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インド出張 - その7:ムンバイのベンチャーキャピタル

投稿日:2006/12/11更新日:2019/08/22

「外出禁止令」が解除されている午前中に、ホテルをチェックアウトしてアウランガバード空港に着いた。警備がとてもタイトだ。デカン・クイーンなどの高級列車やバスなどの輸送手段が抗議行動のために狙われていたからだろうか、ものものしい雰囲気が漂っていた。

アウランガバードからムンバイに向かった。ムンバイは、英国植民地時代のインド西海岸の統治拠点として発展した都市で、以前はボンベイと呼ばれていた。デリーと並ぶ、人口1000万人を超えるインド最大の都市である。中国における北京と上海の関係のように、デリーが政治の中心都市で北部の内陸部に位置し、ムンバイが商業の中心都市で南部の海岸地帯に位置している。

ムンバイに行く目的は、ベンチャー・キャピタル・コンファレンスでスピーチをするためだ。インドでのコンファンレスなのに、僕はインドのビジネスに関して殆ど知らないのである。僕から、「スピーチをするよ」と申し出たのに、いざスピーチの日程が近づいてくるとだんだん憂鬱になってきた。

事前にプレゼン資料の用意が必要だったので、アウランガバードにいるときに作成した。結局、日本のベンチャーキャピタル(VC)の進化の過程を説明し、その進化からインドは何を学べるのかを提議する内容にした。僕は、過去に10年間、日本で投資をしてきた経験から1999年から2000年が日本のVCの1つの節目になっていると考えていたので、タイトルを「2000年の日本、2006年のインド」ということにした。

スピーチに備えて、インドのことを頭の中に叩き込もうと思い、空港の待合室から飛行機の中まで、新聞という新聞、雑誌という雑誌に目を通した。インドは、言論の自由があるので、雑誌や新聞の数も豊富で、情報量が多く、さまざまな視点に触れることができて面白い。Business Today、Business World、India Today、This Week、Out Look、Front Lineなどに目を通した。

中国の国家主席が来印したばかりなので、中国関係の記事やインド企業による海外企業買収関係の記事が目についた。最近は、インドの企業も海外に目を向け始めている。オランダのミタル製鉄がルクセンブルグのアルセロール社を買収して新日鉄の3倍近い規模になったのは、記憶に新しい。最近では、インドのタタ製鉄所が英国のコーラス社の買収提案が報じられていたし、タージホテル・グループもボストンのリッツホテルを買収するなど、製鉄以外の分野でも海外企業の買収が盛んである。

ホテルに向かう道は混んでいたので、雑誌や新聞を目を通し続けた。新聞の記事には、ダリットや外出禁止令に関するものが多い。「インドの経済は成長し、ビリオネアが数多く生まれ、大都市の知識労働者が高所得を楽しんでいる。一方では、カーストの底辺にいる人々は、差別されて貧困に喘いでいる。インドの繁栄は、誰のためのものなのであろうか」、という記事には、しばし考えさせられてしまった。相変わらず、車が止まるたびに、小さい子供たちが寄ってきて、窓の外からものを売ったり、お金をせびったりしていた。交差点のど真ん中なので、見ていてもとても危険だ。

暫くしてふと目を上げると海が見えてきた。インドで見る初めての海景色である。なんだか懐かしい気分になった。1時間ほどしてホテルに着いた。インド門やタージマハール・ホテルの反対側の海に面するホテルだったが、残念ながら海が見えない部屋を案内された。

昼食時に、YPO(Young President Organization)の友達と昼食をともにした。今まで、インドで感じたことやダリットの動乱などに関して色々と質問をぶつけてみた。彼は、ジャイナ教の信者であるというが、それほど敬虔ではないらしい。

夕方19時前後から、インド・ベンチャー・キャピタル・コンファレンスのレセプション・パーティーが始まった。今回の参加者は、400人に膨らんでいた。日本でもベンチャー・キャピタル(以下VC)の会議は開催されるが、参加者は多くても100人を越えるぐらいだ。

僕は、レセプションで、最初から最後まで積極的にネットワーキングをすることにした。翌日のスピーチに備えてインドのベンチャーキャピタルの状況をヒアリングするためである。インドのVCに関しても大体状況がわかってきた。

インドのVCは、基本的には、ICICI銀行やUTI・アセット・マネジメント のように、金融系が中心だという。しかもレイターステージ案件が多く、カテゴリー的には、グロース・キャピタルに位置する。それ以外は、小さい独立系のVCが一部あるぐらいらしい。現在、米国のVCが42社参入することを考えていて 、 21社のファンディングが終わりつつあるらしい。IPO市場の整備、規制緩和が始まりつつあり、インターネットや携帯の環境も進化しているので、起業家が育ちやすい環境ができつつあった。丁度、日本の2000年の状況に似ている気がした。

僕は、レセプション会場の参加者に、次のような質問を繰り返した。「僕はインドのVCのことを殆ど知らない。でも、明日はスピーカーとして話をすることになっている。皆さんは、どういう話を期待するかを教えて欲しい」。こう問い合わせると、さすがに色々と教えてくれる。

「まず、そのように何も知らないことを冒頭に率直に言ったらいいよ」、とか。
「インドの人間は、インドのことを良く知っているから、今更インドのことを知りたくない。それよりも、日本のことを聞きたい」、とかである。

最後までパーティーに居残り、多くの人に出会い、ヒアリングをした。立食のカクテルパーティーで2時間以上も立っていると、さすがに足が棒のようになってくる。一旦部屋に戻り、ネクタイを外しジャケットを脱いで、海沿いのバーに行くことにした。この海岸線を、「女王様の首飾り」と呼ばれている。 半円形にできる夜の灯りが宝石のように見えて綺麗なので、そのような名前がついたらしい。

ムンバイ(ボンベイ)に来たからには、インドっぽいカクテルを飲みたいと思い、ボンベイ・サファイヤをトニックで割ったジン・トニックを注文した。「そのうち、ジンの名前も、『ムンバイ・サファイヤ』に変わるのかなぁ」、とショウモナイことを考えならが、「女王の首飾り」を眺めていた(ちなみに、ジンのボンベイと都市のボンベイとは関係性が無いらしい)。

翌朝、メールチェックを済ませてから、プールに向かった。当然屋外プールである。半円形の海岸線の対岸には、高層ビルが見えた。空気が汚れているのか、ぼんやりとしか見えない。

一泳ぎした後に、淡い青のボタンダウン・シャツにベージュのチノパン、そして黒のジャケット(スーツの上)を羽織った、ベンチャー・キャピタリストらしく、ビジネス・カジュアルの格好で会場に向かった。学長として登場するときはスーツで、ベンチャー・キャピタリストとして登場するときは、ビジネスカジュアルにしている。

ちなみに、僕の時間の使い方は、学長半分、ベンチャーキャピタル半分である。双方の仕事とも、魅力的で面白い。両方とも、アジアNo,1にするべく、一生をかけてやり遂げたいと思っている。

僕は、プレナリー・セッションの二番目のスピーカーであった。時間帯的には、ゴールデンタイムである。これも、「学長兼ベンチャー・キャピタリスト」というユニークなポジションからであろう。

僕の番が回ってきた。昨晩教えてもらったことを参考にして、スピーチを始めた。「インドのことを良くしらない」と前置きをして、「日本からわざわざ来たので、日本のVCの進化のプロセスを説明したい。インドの皆さんにとって参考になれば幸いと思う」と説明して、パワーポイントを使って、スピーチを始めた。

質疑応答も含めて計1時間。結構いい感じであった。最後にはちゃっかりと、「僕が日本からインドに来たんだから、みんなもインドから日本に来てください」と宣伝して、スピーチを締めくくった。

喋っている本人が調子がいいと思っているときは、大体観客の反応もいいものである。終了後の観客の反応でもそのことが良くわかった。コーヒーブレイクの最中に一通り名刺交換をしてから、部屋に戻った。渋滞しているらしいので 、早めにホテルを出ることにした。残念ながら、自分のセッション以外は、殆どコンファレンスにはいられなかった。コンファレンスの主催者に挨拶をして、ホテルを後にした。

昼間の「首飾り」は、ちょっと霞んだ感じである。ムンバイ空港から、デリーに着いた。そして、デリーから成田への夜行便の中で、このコラムを書いている。帰りの飛行時間は、7時間である。「意外に近い」というのが印象である。サンフランシスコに行くよりも近い。ただ、心理的距離があるのか、遠く感じてしまう。

今回の出張を通して、インドは近い将来、中国とともに世界のトップ3の経済大国になる予感がした。それだけの人口や規模がある。だからこそ、日本にとってインドとの関係は、非常に重要になると感じていた。

僕は、スピーチの際に、以下付け加えていた。

「僕は、インドのことが大好きである。インドと日本は、文化的にはかなり近いと思う。今後、インドと日本の関係は、更に良くなると思うので、どんどん日本にも来て欲しい」。

インドで出会った方々は、皆一様に優しく、親日的な方が多かった。そして、何よりも精神的な充足感を、物質的な充足感よりも高く評価している点が、日本に近いのでないかと感じている。事実、多くの友達ができた。今後は、毎年のように来る必要があるように思えていた。

今後は、米国・欧州への出張の回数が減り、その分中国・インドへの出張が増える気がしていた。「脱欧米入亜」がこれからの日本のキーワードになるのであろう。

機内食が配られ始めた。ヘッドホンからは、モーツアルトの調である。コラムをようやく書き終えたので、久しぶりに美味しい赤ワインを楽しみながら軽く食事をして、一寝入りすることにしよう。翌日も朝から仕事である。

そして、ここまで 9泊11日にわたるインド出張のお供いただいたコラムの読者の皆様に感謝しつつ、パソコンを閉じることとした。

2006年12月5日
デリーから成田に向かう機内にて
堀義人

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