二週間目の月曜日の朝、三男がまたぐずり始めた。パースの小学校に通い始めてから、毎朝このような状態になる。
三男は、迎えに行った時は、満面の笑みで登場してくれるのだが、朝になると憂鬱になるようである。毎日この繰り返しだ。意固地になると、ベッドから叩き起こし、制服に着替えさせるのは、ひと苦労なのである。
前週の後半に高熱で二日間休んだこともあり、休み癖がついてしまったのだろうか、全く気がのらない様子であった。
しかし、この二週目からは多少様相が違っていた。2歳年下の四男も一緒に学校付属の幼稚園に通うことになっていたのである。「お兄さんとして、しっかりとしなければならない」、という気持ちが働き、三男は、多少前向きになろうとしていた。だが、それでも嫌なものは嫌なのだろう、やはり行きたくないようで、ぐずり続けていた。
いつものように強引に制服に着替えさせて車に乗せ、家族全員で小学校に向かった。長男、次男は、自ら進んで教室に行くが、三男は相変わらず「行きたくない」、という姿勢を崩さなかった。その泣き顔に負けずに、強い姿勢で臨み、三男を担任の先生に預けて、教室に押し込んだ。「こうするしか無いのか?」、という後ろめたい気持ちがあったが、他に方法は無いのである。
そのまま四男を送りに、五男とともに幼稚園に向かった。幼稚園は、小学校に併設されているので、小学校とは10メートルと離れていない。ただ、幼稚園は制服が無いし、遊び道具がいっぱいあって楽しそうである。四男の幼稚園の先生にご挨拶をして、立ち話した。
担任の先生に、簡単な送り迎えのルールなどを説明受けている間に、四男と五男は、遊び道具につられて、教室の中に入っていった。そしてすんなりと友達の輪に入っていった。帰るときには、遊んでいた五男を連れて帰るほうが逆に大変だったぐらいである。
一人残った五男を連れ、妻とショッピングをした後、自宅に戻った。週末に換えの新しいパソコンが届いていたので、溜まっていたメールを処理する ことにした。暫くすると迎えの時間になったので、小学校に向かった。先ずは、幼稚園の四男を迎えに行った。四男がとてもうれしそうに出てきて、抱きついてきた。そして心配した三男の教室に行った。三男もニコニコしながら出てきてくれた。そして、長男・次男をピックアップして家路についた。
帰りの車の中で、四男が「僕、ぜんぜん泣かなかったよ」、と言った言葉に、すかさず三男が意地を張って答えた。「僕も泣いていないよ」、と。
僕は、「しめしめ」と思いながら二人の会話を聞いていた。
結局、翌日から、三男は全く泣かずに、教室の中にすんなりと入っていく事ができた。お兄さんとしての自覚があったのであろうか、それとも怖い所ではないということがわかったのか、その日以降、ぐずることな く、自ら進んで教室の中に入っていけるようになった。
僕は、嫌がる三男を強制的に学校に行かせていたことに罪悪感を感じたり、高熱が出て寝込んでいる三男の看病をしている時には、僕らの教育方針が間違っていたのではないかと疑問に思ったりしたが、すんなり溶け込んでいる三男の姿を見ると、僕らがやり続けたことは正しかったのだ、と思えるようになってきた。
その日から、兄弟四人は、進んで学校に行くようになった。
やれやれである。
そして、その日にはやっと電話回線もつながったので、自宅で仕事ができるよ うになった。
生活にリズム感が出てきて、悩み事も無くなった。こうなると、 送り迎えの子供達との会話も楽しくなってくる。
「学校はどう。 日本と比べてどう?難しい?面白い?」、と僕が問いかけ ると、次のような回答が返ってきた。
子供達が一様に言うのは、「友達が皆優しくて、楽しい」、と言うのだ。次男は、豪州の小学校の方が性にあっているのか、英語がわかっていないくせに、「こっちの方が楽しい」、とさえ言う。
「どうして」、と 聞くと、「授業が楽しいし、休み時間や昼休みに、フットボール、サッカー、クリケットとかで遊べるから」、という答えが返ってきた。こっちに来て子供達から初めて聞いたのだが、東京の小学校では、校庭が狭いからか、危ないからなのか、「ボールを蹴ってはいけない」、というのだ。それでは、のびのびと遊べないであろう、と思う。
東京の校庭は、狭いばかりでなく、全天候型のテニスコートのような人工的なゴムのような素材で覆われているのである。一方、豪州の校庭は、東京の4倍以上もあり、しかも全て芝生だ。更にテニスコートまであるのだ。
こちらの学校では、校庭以外にも様々なところに楽しく学べる仕掛けがあった。僕が参加した第二週目の生徒集会では、今度は7年生(今は最上級生は7年生である。)による演劇を披露してくれていた。そして、その後で先生がギターを持って登場し、最近誕生日を迎えた人に立ってもらい、ギターを弾きながら他の生徒と一緒に「ハッピー・バースデイ」を歌うのである。生徒集会で、「ハッピー・バースデイ」である。聞いている側も楽しくなってくる。
豪州の学校の授業の進行は、文科省の指導要綱のような画一的なものがある訳ではなく 、担任の先生が自由にカリキュラムを決めているようだった。そして、あくまでも主眼は、「社会に役に立つことを教える」、であった。
長男の宿題を見るとそれが理解できた。「英語の単語の意味を英英辞典で調べなさい」、「毎日15分間本を読みなさい」、という基本的な学び系の宿題も出ているが、それ以外の課題がユニークなのである
「爬虫類に関して調べなさい」、「テレビを一時間見て、コマーシャルの種類とその回数を調べなさい」、とか「お父さんの一番好きな音楽を聴いて、その音楽を宣伝するポスターを作りなさい」、とかである。どうやら社会に関心を持たせて、そこから学ばせようという教育方針のようだ。
そういえば、四男の幼稚園でも遠足の代わりに、「職業を理解する」、という名目で、園児の両親の働いている職場を、バスに乗って訪問していた。ハイアットホテルのサービスカウンターに行ったり、オフィスを訪問してボードミーティングに参加した、というのだ。そのように幼稚園児に職場を体験させようと考えているようだ。我が家の四男は、途中から寝ていたらしいが、良い考えだと思えた。
ある日、子供達を送り迎えしているときに、小学校二年の担任の先生に、「クラスの教壇に立ってくれませんか」、とお願いされた。その理由を聞いてみると、「そのクラスでは日本をテーマに一週間学んでいるので、ぜひ日本人に登壇してもらい、生徒に向かって日本のことを喋って欲しいから」、と言うのだ。その先生の隣では、生徒達が日の丸をつくり、僕に向かって振ってみせてくれていた。僕は、この学校にとてもお世話になっているので、二つ返事で、スピーチを引き受けることにした。
当日、クラスに行って、日本のことを説明した。僕は、持参した日本の新聞を全員に配り、先ずは日本語に関して説明した。その後、日本の国土と人口や産業、豪州との関係、更には日本食に関して説明したあとに、質疑応答に入っ た。生徒の関心は、基礎的なものが中心であった。富士山、新幹線、お茶会、日本食、日本の生活などである。とても、かわいらしかった。質問はバンバン出て、最後には先生が、「あと一問ですよ」と止めるまで続いた。結局30分から40分ぐらいのスピーチセッションだったかと思う。
やってみて思ったが、こういった機会を持つことによって、社会に関心を持たせるのは、良い方法なのではと思えてきた。
一方、長男によると、クラスの進行はかなりゆっくりとしているらしい。現地の学校の5年生でやっていることは、「算数は2年生ぐらいで、理科と音楽は3年生ぐらいだ」、という。算数の計算問題が出たときに、長男は、2分台で全て解けたが、他の生徒は皆5分以上かかっていたというのだ。長男にとっては、他の生徒がそれだけ時間がかかっていたのが驚きのようだった。一方、「英語がわからないので、そこが課題だ」、と。
僕は、高校時代の留学時の体験のひとつを忘れないでいた。 シドニーに着いて一ヶ月ほどした頃 、豪州統一の数学試験が行われた。生徒全員参加の試験だったので、僕も受けることになった。豪州では、試験に電卓を持参しても良いということを知らず、電卓を持たずに、代わりに辞書を片手に会場に向かった。そもそも日本では、電卓などは一切使ってはダメなのだが、 会場で皆が持っているのを見て、かなりビックリしたことを良く覚えている。
僕は、難しいルート計算や、2乗3乗の計算などを手計算で行い、わからない言葉を辞書で調べながら、問題を解いていった。そして終了時刻となったが、結局最後まで終わらなかったので、かなり成績が悪いだろうと、落ち込んでいた。
一ヵ月後に高校の生徒集会があって、成績優秀者が発表されることになった。全国500位ぐらいから順番に名前が呼ばれていった。100番ぐらいが呼ばれた後、「そして最後に素晴らしい成績を残した人がいます」、とアナウンスの後に、僕の名前が呼ばれたのである。何と全豪で20位以内に入っていたのだ。
『英語がわからない』、と『電卓を使っていない』、という二つのハンディがあったにも拘わらずの好成績である。僕は日本での校内のテストですら、20位以内に入ったことが無かったのに、豪州では全国20位以内なのだ。この時は、さすがに驚いた。
そもそも、日本と豪州とでは、学びの力点が違うのである。「数学の試験に電 卓を持参しても良い」、という考え方からして、その力点の違いが理解できるであろう。
小学校の子供達に聞くと、インターネットなどのパソコンの使い方は、こっちの学校の方が、数段進んでいるのだと言う。昔の電卓が、今はパソコンやインターネットである。それらを使うことが奨励されるのだ。確かに教室には、必ずと言っていいほど、パソコンが数台設置されており、休み時間に生徒が皆いじくっていた。
日本では、学力を付けることに注力し、豪州では社会役で立つことを教える点に主眼が置かれているようだった。日豪のどちらが良いというのではないと思う。ただ単に学びの視点が違うのだ。
日本語と英語の違い、日本文化と西洋文化の違い、そして教育手法の違い。様々な違いに触れるのが、人間の幅を広げるのにも良いのであろう。
青い制服を着て、元気に登校していく子供達を見ながら、そう感じるようになってきた。
気がつくと、僕の3週間の夏休み+サバティカルは、もう残りわずかとなっていた。
2007年8月29日
パースの自宅にて
堀義人