ある日の昼間に、経営者仲間と昼食をする機会があった。彼が住んでいるコッテスローというビーチ沿いの高級住宅街にあるカフェで昼食をとることにした。彼は今年50歳になるが、毎朝サイクリングをしているからか、とても 若々しくみえる。彼は、年頃の3人娘を持つ父親でもある。
話題がファミリーに移ったときに、彼は面白いことを言っていた。
「親子関係は、質の高い時間(クオリティータイム)が重要だと米国では良く言われているようだが、僕にはそうは思えない。親が都合が良い時間に子供 に向かって、『さあ、質の高い時間を短時間で過ごそう』、なんて言っても、 子供はついてこないものさ」。
「子供は両親と一緒に長く過ごしたいと思っているんだよ。その長い時間を過ごすなかで、ふとした瞬間に心が通い合う会話があったり、悩みを打ち明けたりする、質の高い時間が来るのである」、と。
確かにそうだと思う。なるべく多くの時間をともに過ごして、一緒に様々な経験をする事により、親子の絆は深まっていくのであろう。
そうは言っても、仕事があるので一緒の時間を長く確保したいと思っても、なかなか自由にならないものだ。仕事や学びの合間を縫って、家族へのコミットメ ントを強くすることは、できるのであろうか。
窓の外に目をやると、青い空の下に白いビーチが続き、荒い白波が打ち寄せていた。この海岸沿いは夏になるとサーファーで埋め尽くされるという。冬だというのに、青い空の下に太陽がさんさんと輝き美しい。テラス席には、半そで姿のカップルが食事をしていた。
僕は、違う会合で面白い話を聞いたことを思い出した。「『恥ずかしいから来ないでよ』と子供が言っても、必ず全ての機会に付き添ってあげるべきだ」、とアメリカ人の若い教育心理学者は教えてくれて、次のように理由を説明してくれた。
「ある教育に関する実験をした時に面白い結果が出たんだ。子供が問題を解くのに親が付き添っているのと、親がいないのとでは、歴然と結果に違いが出たんだ」、と。つまり「親の関与の度合いで子供の生産性が違ってくるのである」、と。
ということは、親が子供の成長に関心を持って一緒にいる時間を多く持っている家庭と、そうでない家庭とでは、学力や体力の面でも自ずと違いが出てくる、ということになる。
確かに思い当たる節がある。スポーツの世界でも、イチローや、松井秀喜、中田英寿や、横峯 さくらにしても、親が皆教育熱心である。彼らは天才なのではなくて、「努力をする天才」なのだろうと思う。その努力も親の関心が高かったから、そこまでできるようになったのであろう。また学問の世界でも同様のことが言えるのだと思う。
他の子供たちを見ても、どう考えても親が一緒に遊んでいないなあと思えるような子供がいる。子供の運動神経や表情を見れば、親の関与度合いが自ずとわかっ てしまうものであろう。
僕は、一つのポリシーを持っている。「子供と一緒にできないものは、週末にはやらない」、というものだ。そのポリシーもあって、ゴルフなどの週末のお付き合いは一切辞めてしまったのである。平日の夜も基本的に接待をしないし、接待を受けないのもポリシーとなっている(ただ、海外からの来客がある場合は例外としている)。
週末にゴルフをする暇があれば、テニス、サッカー、スキーなど、子供と一緒にできるスポーツを一緒にしたいと思っている(ただし、週末であっても、仕事と学びは別だ。勉強をしないと仕事の質が上がらないし、そうなると一家の家計を支えられないからである)。
パースに着いてから、一週間近くが経っていた。僕らの、「モデルルーム」 での生活も軌道に乗りつつあり、僕の朝夕の送り迎えも板についてきた。
しかし、僕にとっての悩みの種は、インターネット接続環境が良くないことである。自宅には相変わらず電話回線が繋がっていないので、スーパーまで行き無線LANにアクセスして仕事をする毎日であった。その環境にイライラしているうちに、パソコン本体までが壊れてしまい、一切仕事ができなくなってしまったのだ。
「何ということだ!これでは全く仕事ができないではないか」、と嘆いてみても、パソコンは直らない。
スーパーのカフェから東京に国際電話をかけて、ITスタッフに事情を説明した。「グロービス特有のセキュリティをかけているので、東京に持ち帰らないと治らない」、という返答であった。仕方が無いので、急遽新しいパソコンを空輸してもらうことにした。ありがたいバックアップ体制である。しかし、その数日間は、僕はパソコン無しの生活となった。
グロービスでは、「24時間以内にレスポンスをしないと、そのメールに賛成したものとみなす」という、『24時間ルール』がある。意思決定のスピードを上げるのには有効であるが、このような休みのときにも24時間以内にインターネットにアクセスしないとならないので、多少難儀である。今回のようにパソコンが壊れるという「緊急事態」に際しては、早急にそのルールを停止してもらう必要があった。
僕は東京の秘書から、全社員に、「堀のパソコンが壊れているので、メールは見れません。用事がある場合には、秘書に用件を伝えてください」、とアナウンスしてもらった。そして、その日からパソコンが届くまで、毎夕秘書に電話をし、仕事を済ますことにした
「何というアナログな仕事のやり方だ」、と思えたが、やってみると悪くは無いものだ。
僕は頭を切り替え、これを神様からの、「家族と過ごす時間を増やしなさ い」、というメッセージであろう、と勝手にポジティブに受け取り、仕事のことを一切気にせずに、その後数日間を過ごすこととした。パソコンを開けなくてもいいのは、グロービスを創業して以来初めてのことである。「この際思いきり、家族の一員として、育児・家事にコミットしよう」、と決めた。
朝、いつものように車に長男、次男、三男の「小学校組み」を乗せて、小学校まで送りに行った。相変わらず三男は、泣きっ放しである。教室の前で、いつものように「行きたくない」と泣き出し、僕の腕にしがみついてきた。それを無理やり振り払うのは、かなり辛いことである。だがここで甘さを出すと、三男のみが挫折したことになり、彼のためにも良くない、と思い、いつものように心を鬼にして、教室の中に押し込みその場を足早に離れていった。
長男、次男、三男が学校に行ってもまだ二人残っている。3人が小学校に行っている日中には、四男、五男と多くの時間を多く過ごすことにした。川沿いの遊具がある公園に連れて行って、ピクニックをしたり、目の前の楕円形の公園でフリスビーやサッカーをして遊んだ。
そのうち、過労が重なったのか妻が寝込んでしまった。2,3日間は、僕が家事を引き受けることとなった。掃除、洗濯、オムツ交換、皿洗いなどである。送り迎え、育児、家事、子供たちの面倒をみることなどで、毎日がとても慌しくなった。「専業主夫」になったような気分である。パソコンがつながっていないのが幸いであった。
いつものように3時前には、慌しく車に乗り込み、長男、次男、三男の小学校組みを迎えに行く。
長男、次男が現れた。そして、三男もニコニコして出てきた。毎朝泣きながら教室に入っていく三男の事がとても気になっていたので、その笑顔を見るととてもホッとする。その場で思い切り抱きしめてあげて、「良く頑張ったね 〜」と褒めてあげた。ただ、翌朝はまた「行きたくない」と泣くのである。 この繰り返しが一週間強続いた。
長男、次男、三男を迎えに行った後の放課後は、今度は、「小学校組み」との遊び時間だ。週に一回は、テニスコートを借りてテニスをしたり、プールに連れて行ったりした。それ以外の日は、目の前の楕円形の公園で遊んだりして、彼らの学校でのストレスを発散することにお付き合いした。
僕らは、陽が暮れるまで遊び続けた。長男と次男とテニスのボレー・ボレーを したり、三男・四男とサッカーをしたりして、遊び続けた。子供のころに戻っ たような気がしてきた。空が赤く染まるころには、みんなで家に戻り、みんなで一緒にシャワーを浴びて、みんなで一緒に食事の準備をして夕食をし、そ してみんなで一緒にベッドに入った。
彼らも、少しずつだが学校には慣れてきたようだったが、英語はまだまだ話にならないようだった。そこで、週末や夜の時間に英語の勉強を見てあげることにした。僕が付き添ってあげることによって、子供たちの勉強意欲がわき、生産性が高まっていくのが良くわかった。何よりも嬉しいのは、子供たちが僕が教えるのをとても喜んでくれていることがわかったことだ。長男から四男まで、それぞれの能力に応じて、英語の勉強を教えてあげた。
パースでの生活は、寝るのも一緒で、起きるのも一緒だ。学校の送り迎えも一 緒で、遊びも一緒。そして勉強も一緒だった。これほど子供との心の距離が近く感じたことは、今までに無かった。「子供と十分な時間を過ごさないと、質の高い時間は過ごせない」、という友達の言葉が、実感できつつあった。
2007年8月22日
パースの自宅にて
堀義人