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ブータン王国旅行記Ⅰ-ブータンへの道

投稿日:2006/05/01更新日:2019/08/21

北京での会議を終え、北京空港からバンコク行きの飛行機に一人飛び乗った。カルカッタ経由でブータンに入るためである。

昨年のこの時期には、ミャンマーに旅行させてもらった。今回は、ブータンである。僕は、仏教国が好きなのでその前にはカンボジアにも旅行してきていた。素朴な国で寺院を回り、座禅をして、自然の中でゆったりとした時間を過ごすことを、一つの楽しみとしてきた。

仏教の中でも、最も親しみを感じるのが密教である。グロービスのファンドへの投資家でもあり、僕の人生の師匠でもある斑目力廣氏(ネミックラムダの創業者)とともに、何度か高野山にも登ったことがある。高野山と言えば真言密教である。それ以来、密教思想に深く傾倒し、一度はヒマラヤの麓のチベット密教の国々に行ってみたいと強く思っていた。

本当は、チベットに行きたかったのだが、NYから来た知人から、「チベットでは、中国が侵略した後に、文化的・宗教的遺産がかなり破壊されている。NYでは、今ブータンが静かな流行になっているんだよ」、と教えてくれたので、急遽ブータンに行くことにしたのだ。

家族も仕事もある。家族には、出張ということで理解してもらい、帰国後の ゴールデンウィークで思いっきり家族孝行をさせてもらおうと思っている。5人の子供の面倒を見る妻をおいて一人で旅行に向かうのはとても気が引ける。

仕事もちょうど、グロービス・キャピタル・パートナーズのファンドレイジング(第3号ファンドの立上げ)の時期とぶつかってしまった。だが、もう予定を変更できないのである。家族のことは妻に任せて、仕事のことは、他のパートナーに一任して、ヒマラヤの麓のブータンに行かせてもらうことにした。多くの方に支えられていることに感謝をしながら、行き先を秘書にのみ伝えて、一人北京を旅立ったのである。

バンコク空港には、夜9時に着いた。空港隣接のホテルで一休みした。翌朝5時過ぎのブータン国営のドゥルク航空に搭乗し、カルカッタに向かった。飛行機は、カルカッタ空港の手前で高度を下げた。ふと窓の外を眺めると、眼下には、ガンジス川デルタの湿地帯が一面に広がっていた。

カルカッタ空港で、乗客が乗り降りをした後、いよいよブータン王国のパロ国際空港に向かう。カルカッタを離陸後、バングラディシュの空を飛ぶ。一 面は、水田地帯の平野が広がる。暫くすると急に地面が飛行機に近づいてきた。飛行機が、ヒマラヤの2000M級の山岳地帯に入ったからだ。

山々の合間を縫うようにして、飛行機が飛んでいる。飛行機の真横に緑の山肌が見える。反対方向の窓を見ても、近くの山が真横に見えるのだ。こんな光景は見たことが無い。山の谷間に沿って飛行機が飛んでいるのである。

暫くすると山の中に民家が見え始めた。高度を下げている感じはしないのだが、着陸態勢に入っているようだ。飛行機は、最後に右旋回して、そのまま谷間のパロ空港に着陸した。朝9時過ぎであった。思ったよりもバンコクからは近かった。

飛行機のタラップを降り、そのまま歩いて空港の建物に向かう。周りを見渡すと、一面山である。空港が、谷間に造られたことが良く理解できた。

移民局で、頭が禿げ上がった人と目が合う。何と、偶然にエイパックス(グロービスの合弁相手)のパートナーのピーター・イングランダー氏だったのだ。思わずビックリである。

彼も一人で来ていた。3ヶ月間休みを取って、アジアを訪問しているらしい。 インドでは、ニューデリー、アグラ、ウダイプールを周った後に、これから ブータンに5日間滞在する、というのだ。しかし、ブータンで、エイパックスのパートナーに会うとは、世間が狭い。お互いに「旅程の中で再会しよう」 と誓いあって、別々のホテルに向かった。

ブータンでは、民族衣装を着ることが義務付けられている。迎えに来てくれたホテルマンも運転手も皆民族衣装に身を包んでいた。30分ほど車で揺られた後、ホテルにチェックインした。部屋に着く前に、事務所でLANを貸しても らい、メールチェックを開始した。

旅行中であっても、仕事のことは、常に頭にある。休みをとって旅行させてもらっているので、迷惑をかけてはいけないのである。ヒマラヤの麓におりながらも、日本のオフィスや世界各地のパートナーや投資家の方々とコミュニケー ションをするのである。頭の切り替えができないと、旅行を堪能することができない。

ランチをホテルで済ませた後に、午後からパロ市内を観光することにした。国立博物館とパロ・ゾンである。1600年代に建てられた見晴らし台を、1968年に国立博物館へと改造したのである。中には、仏教を広めたグル(師匠)達の絵が展示されていた。ブータンのヒーローは、戦国武将や政治家ではなくて、悟りを開いたグル達なのであろう。権力、名声、財力よりも、精神的 な豊かさが重んじられているのであろう。

見晴台の下には、パロ・ソンがあった。ブータンで、ゾンとは、お城のことを指す。ただ、現在ではお城の代わりに寺院や行政の事務所として使われることが多いという。パロのゾンでは、寺院として使われていた。ゾンの中の寺院をガイドに案内してもらう。

寺院の中庭では、僧侶修行中の子供達が赤茶色の僧衣を身にまとい、自由奔放に遊んでいた。6歳から10歳ぐらいの本当に若い子供達である。親の合意を得て、僧侶となるべく住込みで学んでいるのである。ちょうど僕の長男と次男ぐらいの年齢である。僕が行ったのは、休み時間なのか、皆無邪気に遊んでいた。

寺院の入り口で、7-8歳の修行僧が二人、お経を唱える練習をしていた。彼 らの目の前には、赤、黄色、緑の紐があった。ガイドが説明してくれた。お布施をしてその紐をもらい、首の周りにかけて3日以上ネックレスのようにかけていると、長生きをすると信じられているのである。

僕は、100ヌルタム(ブータンの紙幣。約250円程度)をお布施して、黄色い紐を拾い上げ、首の周りにかけて、ガイドに両端をしばってもらった。本当は、その紐をもらったらそれで終わりらしいのだが、僕は、ガイドにお願いして、子供達にお経を唱えてもらうことにした。

子供達は、顔を見合わせてはにかみ、恥ずかしそうにしていた。ガイドに再度促されて、子供修行僧も意を決したか、お経を唱え始めた。

お経の響きは美しい。子供の高い声で、恥ずかしそうに唱えている声には、小さいながらも引き込まれていく魅力があった。頭を前後に振りながら、子供達は、一心不乱に、地面に置いてあるお経を読み、唱えていた。イガグリ頭が二つ交互に前後していた。微笑ましい姿である。

お経が終わり、お礼をした時の、あの屈託のない純粋な笑顔は、当分忘れることはできないであろう。

ゾンを出て、坂を下り、歩いて橋を渡った。古くからある伝統様式で創られた橋である。偶然下校時の中学生・高校生と一緒になった。ゾンの周りは、文化地域になっているようで、小学校から高校までが隣接しているのである。皆、 伝統衣装の制服に身を包みランドセルのようなリュックサックを背負っていた。2,3人の友達と一緒にグループで下校しているのだ。僕は思わず彼らに、「グズサンポー(こんにちは)」と声をかけてしまった。

そのまま、彼らと一緒に橋を渡る。気持ちが温かくなってくる。橋を渡った後に、振り返ってみた。

橋の中を歩いてくるオレンジ色と緑の伝統衣装の制服をまとった生徒達。その背後に聳え立つゾンの白い土台と赤茶色の壁。そして、はるか上に見える見晴らし台が重なって見える。空は青く、橋の下には緑の川である。この光景を脳裏に刻み込もうと思い、心のシャッターを切る。

僕は、そのときに見たもの感じたものの印象を大切にしたいので、カメラを持ち歩かない主義なのである。だからこそ、その時に見たもののイメージや感情を強く心に刻みつけようと意識することになる。5分ほど佇み、脳裏に刻み込む。

この風景は、後世に残したいももの一つである。
この光景が数十年後も残っていることを願いたい。

当初は、コラムを書かないでいようと思っていたが、あまりにもブータンが美 しく印象深かったので、多くの方にも知ってもらおうと思い、パソコンを叩くこととした。

今、ちょうどブータンの旅行を終えて帰路に着くところである。
パソコンを打つ周りを、ハエが飛び回っている。これからのブータン旅行記に暫くお付き合い願えたらと思う。

2006年5月1日
ヒマラヤの麓にて
堀義人

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