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米国「ロードショー」の旅

投稿日:2006/01/30更新日:2019/08/21

新しい年を迎え、数多くの新年会をこなしたあと、1月の中旬から米国にロードショーに来ている。投資家にプレゼンテーションする旅のことを英語では 「ロードショー」と呼ぶのである。僕は、映画用語みたいなこの言葉に慣れない感じがしているが、雰囲気をぴったし言い当てているので、使わせてもらっている。

今回のロードショーは、シカゴから始まり、ボストン、ニューヨーク、サンフランシスコ、そしてロサンゼルスである。今までは、一人で回ることが多かったが、今回はグロービス・キャピタル・パートナーズ(GCP)の仲間である、仮屋薗氏と本多氏に同行してもらった。

今までは、プレゼン資料の準備から車の手配などのロジスティックを、全て一人で仕切り、投資家の前で孤軍奮闘していたのだが、心強い援軍を得た気持ちだ。

ここで、簡単に背景を説明しよう。グロービスのベンチャー・キャピタル(VC)部門であるGCPは、今まで二つのファンドを作ってきた。1号ファンドは、 グロービス・インキュベーション・ファンド(GIF)と呼ばれ、1996年に5億4千万円のファンド規模で組成された。2号ファンドは、欧米のApax社 と共同で1999年に組成した、エイパックス・グロービス・ジャパン・ファンド(AGJF)でファンド規模が200億円である。

今回の3号ファンドは、初心に帰りグロービスの独立系のファンドとして組成することにした。そこで、既存投資家と新規投資家に向けて、ファンドの概要を説明に回るロードショーの旅に出ているのである。

ちなみに、グロービスのファンドの90%以上が海外からの資金である。「外資が好きなのか?」と言われそうだが、そうではない。日本よりも海外の投資家の方が、グロービスを評価してくれるので、自然と海外比率が高くなってしまうのである。本音としてはもっと日本の投資家にもベンチャー・キャピタルファンドに興味を持って欲しいと思っている。

僕は、経営大学院の学長でありながらもベンチャー・キャピタルのヘッドでもある。従い、トップの僕が行って説明しなければ投資家は納得しない。前置きが長くなったが、このような背景で、今回の「米国ロードショーの旅」となったのである。

1月18日(水)に、成田エクスプレスで仮屋薗氏と合流し、成田で本多氏と会 い、ロードショーが始まった。13時間のフライトの後、同日の朝9時前にシカゴ空港に到着した。出迎えた車に乗り込み、空港近くのホテルに向かった。 朝10時からそこで一件目のミーティングを行う予定であった。

面談相手は、グロービスの2号ファンドに既に投資して頂いている財団の投資運用担当者である。もう数年に亘って何度も会い続けてきた既知の仲である。今回は彼らも出張に出かけるということで、空港のホテルで面談を行うことにしたのである。

この財団は、成功した起業家が全財産を寄付して出来上がったもので、投資の運用で得た利益を、主に貧困救済や教育の提供などの慈善活動に活かしているのである。僕は、グロービスの投資事業が、発展途上国の貧困や教育不足の解消に役立っていると実感できるだけで、幸せな気分になる。

ミーティングは順調に終わり、ダウンタウンにあるホテルに向かいチェックインした。午後2時から2件目のミーティングである。ここも2号ファンドの既存投資家ではあるが、合併に告ぐ合併で、本社が何度も変わり、現在はシカゴに本拠があるのだ。

ミーティング後に早速、サウナを浴びて、プールで一泳ぎする。旅慣れしてくると、電磁波の除去と時差ぼけの解消には、サウナとプールの組み合わせが良いことを経験的に実感していた。

夜7時前にシカゴ大学の学生が迎えに来て、シカゴ大学MBAの学生とのリクルーティングディナーをした。皆、グロービスのベンチャー・キャピタル事業とグロービスの大学院化に興味を持っているようであった。

翌木曜日の朝8時のフライトで一人ボストンに向かった。同行した二人は、朝6時30分の飛行機で、既にミシガン州に向かっていた。彼らに、一件の投資家との面談をお願いしておいた。一方、僕は、一人ボストンに着いてから、ホテルにチェックインして、午後3時にボストンに本拠を置くベンチャー・キャピタル会社の社長らと面談した。

面談後、講演をするために、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)に向かっ た。HBSのアジアクラブ、起業家クラブ、そしてベンチャー・キャピタル・クラ ブ合同の講演会である。

HBSは、一学年に900人もの学生がいるので、このような課外活動が活発に行われておいる。各クラブが主体的に講師を呼び、学生を集めて、スピーチイベントを開催 しているのである。彼らとしては、格好の学びの機会だし、著名人と親しくなれる。しかも、学生のネットワークもつくれるので、一石三鳥のメリットがあるのである。

このようなイベントには日本人のスピーカーが極端に少ないので、僕は全米 の各都市を回るたびに、ビジネススクールを訪問し、可能な限りスピーチをするようにしている(参照コラム:米国ビジネススクール歴訪スピーチツアー)

僕にとっては、英語のスピーチの練習にもなるし、グロービスを知ってもらう 良い機会だし、リクルーティングにも役に立つので、これも一石三鳥ある。午後4時半から1時間半ほど英語でスピーチをしてから、日本人学生を連れてハー バード・スクエアにあるフレンチ料理店に向かった。

チャールズ川を歩いて渡ったが、真冬のボストンにも関わらず、今年は異様な暖冬で、空気が暖かく気持ちがいい。会食では、座る場所を何度か変わり、なるべく多くの方と話をするように努力した。翌日からHBSのアルムナイボード(理事会)が始まるので、学生の意見や要望に耳を傾けることとした。

翌朝、サウナを浴び一泳ぎしてから、HBSに向かった。ランチタイムから理事会が始まるので、理事のメンバー各位と再会の挨拶をしてから、着席してランチミーティングが始まった。この日はランチミーティング以外に3セッションが行われた。

第一セッションが、ハーバード大学の拡張計画の話である。現在ある250ヘクタールに新たに生命科学に特化した新学部を創設するとともに、文化施設などを充実させるために350ヘクタールの土地をボストン側に購入をしたのである。

HBSの周りの土地が全て新キャンパスになる予定である。もの凄いアグレッシブな計画である。ハーバードが創設後400年近く経っても、まだ若さとダイナミズムを維持していることを痛感できた。

第二セッションは、HBSのブランド戦略に関するセッションである。HBSブランドは、既にパワフルなので、ブランド戦略は不要では、と思うのだが、常に見直しを図っているようである。この姿勢は見習わなければ、と思う。

第三セッションは、分科会である。僕は、HBSの「100周年記念事業」の担当なので、教授からそのアイディアを伺い、意見交換をさせてもらった。

その後、改装されたベイカー図書館を案内してもらい、バスで河を渡りハーバード大学にあるファカルティ・クラブに向かった。そこで、ハーバード大学 の副学長から今後のハーバード大学のビジョンをうかがった。

翌朝更に2セッションがあった。一つが最近の渉外活動のアップデートで、もう一つがエグゼクティブ・プログラムの計画である。その後再度分科会に分かれ、討議をして、ランチで合流をして、最後のまとめをした。非常に効率的な理事会であった。今後のグロービスのアルムナイ・ボードにも参考になる運営である。

そのまま皆に別れを告げて、ボストン在の理事メンバーの車に便乗しながら、ホテルに向かった。途中でショッピングセンターがあったので、降ろしてもらい、買い物を楽しんだ。束の間の息抜きである。

夕方6時に、「JAGRASSの設立15周年パーティ」に向かった。「JAGRASS」とは、15年前に僕らがつくった、「ボストン修士会」が名前を変えて、存続し続けている会のことである。しかも、その当時と全く同じコンセプ トである、「ボストン在の日本人大学院生をネットワークする」というものであった。

15年前にHBSにいた頃のことである。「せっかく大学がいっぱいあるボストンに来ているんだから、もっと多くの人と知り合おう」ということを考え付き、 ボストンにある8つの大学院の日本人学生を集め、創ったのが「ボストン修士会」である。

当初は、ハーバード大学からは、ビジネススクール、ロースクール(法科大学院)、ケネディスクール(行政大学院)が集い、MITからは、エンジニアリング・スクール(工科大学院)とビジネススクール、そしてこの5つに、ボストン大学・ボストンカレッジのそれぞれのMBA、そしてタフツ大学にある外交官養成学校であるフレッチャー・スクールの8つの大学院が幹事となり、創ったのである。

現在は、この8校にハーバード大学のメディカル・スクール(医学部大学院)、パブリックヘルス(公共福祉大学院)、エデュケーションスクール(教育大学院)、そしてバブソン大学のMBAなどが加わり、更にパワーアップしていた。

そのJAGRASSの15周年記念に創設者がゲストスピーカーとして来訪し、講演をするのである。多少の盛り上がりがあったのではないかと思っている。二次会も華やかに行われた。僕は、先に退席したが、報告によると夜中の4時まで皆残っていたようである。僕も多少の酔いが残るまま、翌日日曜日にボストンからニューヨークに移動した。

日曜の夜、ニューヨークに駐在しているHBSの同級生二人と再会した。二人と会 うのは数年ぶり以上であった。このお二人とダイエーの樋口泰行社長と僕の4人が、ハーバードのサマースクールで同じクラスだったのである。一緒にタイ料理を食べながら懐かしい話や世間話に花を咲かせていた。

そして、翌月曜の朝からロードショーの再開である。朝6時40分に、仮屋薗氏と本多氏と再会し、コネチカットにある投資家にプレゼンに向かった。ランチタイムには、ジャパン・ソサイエティでスピーチをして、午後にはもう一つミーティングをこなした。

翌日も朝6時40分に集合して、コネチカットとNYで、4件ミーティングを行った。最後はクタクタであった。やはり、資本主義の首都ニューヨークである。投資家が多くいる街でもあるので、効率的に回ることができるが、朝から夕方までびっちりだとさすがに疲れてくる。

水曜日の朝6時にホテルを出て、サンフランシスコに向かった。6時間のフライトを経た後に、青い空のカリフォルニアが迎えてくれた。僕らは、コートを脱ぎ、ネクタイも外した。

サンフランシスコ市に着き、チャイナタウンで麺をすすった後、1時半からと3時から2つのミーティングを行った。僕は、二つ目のミーティングの途中でそのまま二人を残して、スタンフォード大学に向かった。

スタンフォードの教育大学院と経営大学院のジョイント・プログラムから招聘を受けて、5時からスピーチを行うためである。このロードショーで3回目の英語でのスピーチである。段々慣れてきていた。スピーチ後、日本人学生とお茶を した。当然、リクルーティングも目的の一つである。

ホテルにチェックインした後、シリコンバレーで活躍しているコンサルタントの方と食事を供にした。カリフォルニア産のスパークリングワインを飲みながらベンチャー・キャピタルの話から囲碁・将棋の話題など、多岐にわたり意見交換し、有意義な一時であった。

翌朝は、時差もあり朝3時に起きてしまい、そのままメールチェック。朝4時30分にホテルを出て、6:05のフライトでロサンゼルスに向かった。迎 えの車に乗り込み、8時に、仮屋薗氏と本多氏が泊まっているホテルで合流して、センチュリーシティに向かった。

9時からのミーティングが始まった。活発な意見交換の後、一時間後の10時にそのミーティングを退席して、11時50分発のフライトに間に合わせるべく空港に向かった。

LAでの滞在時間は、僅か4時間であった。8日間で5都市を駆け抜けた。ま、ロードショートいうのはこういうもので、慌しいのである。投資家に会う ために各都市を歴訪し、ミーティングが終わったら次に向かうのだ。その合間に息抜きや運動をしないと、精神的にも肉体的にも疲弊してしまう。

やはり、楽しみは、食事、ショッピング、友達との再会、スポーツ観戦、クラ シックやオペラ、美術館訪問、そしてサウナと水泳であろう。メールチェック をしながら、空き時間を見つけては適度に楽しむのである。

当然休息も重要であるが、こういう活動をしないとツアーが無味乾燥なものに なってしまう。今回は、同行者がいたので、道中も楽しめた(当然、ロードショーの面談も有意義なものであったことも付記しておきます(^^)¥)。

次のロードショーは、欧州である。体調管理をしっかりして、次に備えたい。

2006年1月27日
成田に向かう機内にて
堀義人

 

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