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パース滞在記 - その4:パースの小学校の初登校日

投稿日:2007/08/24更新日:2019/08/21

朝起きて、長男、次男、三男が通学する小学校の制服に着替えた。青のスクールカラーに大きくロゴマーク(校章)がついていた。こちらは紫外線が強いので帽子も必須である。しかもその帽子は、消防士が被るようなもので、耳から首の後ろまでカバーされるようになっていた。全身明るい青のいでたちである。

朝食を済ませ、家族全員で学校まで送ることにした。こちらの学校では、過半数の生徒が、車での送迎で通学していた。8人乗りのワゴンに7人乗り込み、ゴルフコースを左手に、テニスコートを右手に見ながら進み、フリーウェイに入る。すぐにスワン川を越えて、暫くして市街地を抜けるためのトンネルに差し掛かる。トンネルを抜けて大きなフリーウェイと合流し、そのまま左側の車線まで移動してフリーウェイを降りた。これからは朝夕の二回、運転手としてこの道を通ることとなるのだ。

車の中では、パースに来て学校に行く目的を再度説明することにした。

「堀家では、水泳と囲碁と英語は、必修科目です。皆さんの英語が上手になるために家族みんなでパースまで来ました。将来、どうせ英語を喋る事になるのであれば、一番良い方法で身に付けさせてあげさせたいと思い、今回パースの小学校に行く手配をしました」、と。

長男の日本の小学校のクラスメイトには、帰国子女がいるし、一年間米国で過ごした子やサマースクールに行った子もいる。僕が英語で喋るのを見る機会も多いせいか、割とすんなりと英語を学ぶ必然性を皆が認識しているようだった。

学校に着いたので、道路の向かいに車を停めて教室に向かった。長男、次男、三男をそれぞれ担任の先生に預けることにした。長男と次男は、すんなりと教室に入っていったが、三男がなかなか母親から離れようとしないのだ。終いには、「行きたくない」、と泣き出してしまった。僕は心を鬼にして、必死に抱きついてくるその手を無理やり振り払って、三男を担任の先生に預け、その場を後にして車に乗り込んだ。

英語も喋れないし、知っている人も誰もいない。それに加えて初めての小学校経験である。6歳になったばかりの子供には、辛い経験だと思う。

たまたま堀家の子供として生まれてきたことによって、このような厳しい教育方針に従わなければならないのは、とてもつらいことなのだと思う。まだ幼稚園生なのに、いきなり英語の小学校に入れられてしまったのである。

妻が幼少時、シドニーに滞在したときには、3週間泣きどおしだったという。この三男もこれから毎日泣き続けることとになるのであろうか。

僕は、経験的に「試練を多く与えたら、与えた分だけ人間は強くなる」、という信条を持っている。僕もその試練を多く得ることによって、かなり成長できたと思っている。甘やかして育ったり、逃げることを覚えたりすると、逆に大きくなってから苦労するのは目に見えていた。

だからこそ、試練を与えてあげ、逃げずに前向きに臨む姿勢を身に付けさせせることが重要なのである。そういう信条を持っている人を父親に持つと、子供の立場としては辛いことが多いのであろう。次から次へと「愛のムチ」、ということで、試練を与えられ続けていくのである。

獅子の親が、子を崖から落として成長させるように、僕も崖から子供を落とすような教育を心がけるようにしているのである。崖から落とされ続ける子供は、大変である。

ただ、その試練には、大いなる愛情と支援が伴うことが重要になると思う。そうでないと子供たちは、僕らを鬼のような存在としてのみ認識するであろう。僕は、この夏休みには、子供たちに試練を与えながらも、大いなる愛情を与え、パパ兼、運転手兼、家庭教師兼、遊び相手兼、大いなるサポーターとしての役割を担うことを決意していた。だからこそ、最初から3週間は、べったり付き添ってあげようと思っているのだ。慣れるまでの最初が肝心なのである。

僕が執筆した、「人生の座標軸」(講談社) の中で書かれている、「家族人」としての役割に3週間徹することを決めていた。そこには、学長もベンチャー・キャピタリストも存在しておらず、ただ単にがんばっている子供たちの、よきサポーターになろうと努力をしているパパが存在しているだけであった。

子供たちの試練に見合う愛情を注ぎ続け、支援していこうと思っている。その試練を乗り越えた結果、必ず強い生命力と忍耐力を身に付けてくれる筈である。

僕らはそのまま買い物に向かった。まだまだ生活必需品が足りないのだ。まだ家には、電話回線が届いていないので、ショッピングセンターの無線LANを使 ってのインターネットアクセスとなった。これから毎日、電話回線がつながるまで同じショッピングセンターに行き、そこで仕事をすることになるのであろう。

家に戻り、洗濯や掃除などの家事を手伝い、「モデルルーム」を住める環境にする必要があった。しかしその間、やはり子供たちの様子がとても気になった。「子供たちは、どうしているだろか。三男は泣きどうしなのであろうか?」と、とても気になった。

そうこうするうちに3時前になり、子供たちをお迎えに行く時間となった。同じ道をたどり、学校に到着し、校門の前で、気になりながら3人の子供たちの登場を待った。

3時10分過ぎに青い制服を着た一団が、一斉に校舎から飛び出してきた。その中からわが子を探した。長男は、いかにも何事もなかったかのような自然体で出てきた。次男もニコニコしながら友達と一緒に出てきた。そして気になっていた三男も満面の笑みで登場してくれた。

とても安心するとともに、子供たちの頑張りに誇りを持つ瞬間でもあった。6歳になったばっかりのわが子を思いっきり抱きかかえてあげた。帰りの車の中では、3人から学校の報告を受けた。やはり、英語はさっぱりわからないようだった。ただ、算数と体育は、かなりいい線行っているようだ。やはり、囲碁と水泳で鍛えたお陰なのであろう

その日は、さすがにストレスが溜まっていたのか、或いは気分が高揚していたか、子供たちは家に戻ってから、目の前の公園で陽が暮れるまでひたすら遊び続けた。
そして、一緒にシャワーを浴び、食事をして、一緒にベッドに潜り込んだ。

このようにして、子供たちとのパースの小学校通いが始まることとなった。

2007年8月21日
パースの自宅にて
堀義人

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