ヨルダン訪問記(その3) 

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ヨルダン・サミットの2日目を迎えた。今日も晴れ。雲ひとつ無い。ヨルダンに来てから毎日決まったように晴れている(砂漠地帯だから当然と言えば当然だが)。

朝から、積極的にさまざまな会合に参加した。先ずは、アラブ地域に関する基本的な枠組みを理解した。アラブ諸国は、全部で22カ国より構成される。最大の国がエジプトで、主要国としては、サウジアラビア、モロッコ、シリア、イラクなどが挙げられている。総人口約3億人の地域だ。言語は、アラビア語で、宗教はイスラム教。アラブ世界といっても様々である。北アフリカ諸国は、欧州との貿易が中心だし、ペルシャ湾岸諸国は、アジア・米国との結びつきが強い。

今回のサミットのテーマは改革(Reform)である。アラブ諸国は経済的に立ち遅れており、それに対する焦りも感じられた。セッションの中で一番印象に残ったのは、ドバイの皇太子、シェイク・モハメド殿下のスピーチであった。ヨルダン国王もわざわざ聴衆として列席されていた。アラブの世界では、ドバイを大発展させた立役者として注目されているらしく会場は満杯であった。僕は先ず強烈な印象を受けた。

モデレーター役のイギリス人が語り始めた。
「殿下がビジネスマン100名を集めての会合を行った際、同席させてもらう栄誉を得た。殿下は、ビジネスマンに対し率直に政府に何をして欲しいかを質問し、すぐさま必要な指示を出していった。最後に1人のビジネスマンが立ち上がりこう言った。

『殿下、既に多くの施策は実行されています。逆に質問させてください。殿下は、ビジネスマンである我々にドバイのために何をして欲しいと思っていらっしゃいますか?』。殿下は、間髪を入れずにこう答えた。 『皆にお金儲けをして欲しい。皆がお金を儲けることによって、ドバイは発展していく。ぜひビジネスで成功してお金を儲けて欲しい。』
この姿勢がドバイの発展の原動力になったのであろう。」

皇太子は、アラブの白い服に身をを包んでいた。その伝統的な服装とはアンバランスに、とても率直な言葉でスピーチを始められた。スピーチは、とても印象的で感銘を受けるものであった。なぜならば、ほとんどのキーワードが、ビジネスの共通言語なのである。ドバイの成功事例として、グロービスのケースになりそうだ。
メモから印象に残った言葉を、以下のとおり拾い上げてみた。
・ 起業家精神を発揮しなければならない。人と同じことをしていては失敗する。 
・ 人の批判など気にせずに、独創的な発想を持つべきだ。 
・ ビジョンをもって、前例が無いことを敢えてどんどん実行すべきである。 
・ 一番よくないのは、失敗を恐れて何もしないことだ。これは、到底容認できない。常に、創意工夫をし、イノベイティブにスピーディに改革を進めなければならない。 
・ 先見性と勇気が重要である。 
・ そして品質と効率性をもって、スピーディに行動に移すべし。 
・ 不可能なことなど何も無い。強い意志をもって実行すれば結果がついてくる。

まさに、ドバイというインフラを創造した起業家のストーリーだ。民間の立場で日本のビジネスインフラを創造しているグロービスにも大いなる示唆を与えてくれる。他には、アラブのリフォームに関するパネルディスカッションや、米国との関係など、さまざまな会合に参加した。頭が疲れてきたら合間にプールと死海でひと泳ぎして、また会合に参加した。

夜も更けてきた。パレスチナ人がホストするディナーが屋外のコロシアムで開催される。ヨルダン人の友達とともに、会場に向かった。Sunset Arenaといわれるコロシアム風の会場のアリーナ席と一番上には、テーブルがセッティングされていた。その間が観客席となっている。入場したあと、コロシアムの階段上の席に座り、催し物を見ることになった。そこからは、死海が良く見える。

死海の向こう岸は、イスラエルである。そこでは連日、イスラエル軍とパレスチナ人とで衝突が繰り返されている。先週だけで、イスラエル人が7名、パレスチナ人が14名亡くなったらしい。そのようなニュースが嘘のように静かに夕日が沈んでいく。空を斑に赤い模様が彩っていく。イスラエル側を見ると、ヨルダン側と同じ赤茶色の山が聳え立って見える。

バンドによる音楽とダンスが終わるとビデオが放映された。イスラエル軍によるヨルダン川西岸やガザ地区への不当な入植を訴える内容になっていた。イスラエル軍がブルドーザーでやってきて、パレスチナ人が数百年近く住み続けていた地域から彼らを追い出していき、それに抵抗しようとするパレスチナ人男性がイスラエル兵士に殴られて血まみれになっていく。老母はどうする事もできず息子の名前を叫び嘆いている。そして高さ数メートルもあろうかという壁がつくられていった、という映画だ。

ビデオが終わり、皆重々しい雰囲気でテーブルについた。隣に座った人は、ヨルダンで成功したビジネスマンである。米国留学後、ヨルダンに帰国してからアラブ向けに初の投資信託ファンドを組成して、投資銀行業を行い、今では50名までの陣容のファイナンスに特化した会社へと成長した。その会社をつい2〜3ヶ月前に地場の大手銀行に売却したばかりの大成功した起業家である。彼はまだ35歳である。

彼に色々な話を聞いた。父はパレスチナ人で、母はアメリカ人。父が米国留学中にテキサスで知り合い、結婚後レバノンに住んでいた。兄弟が6人いて、彼はその5番目だ(6番目の弟とは、ランカウイ島でじっくりと話をすることができた友達だ。ヨルダンでバイアウトファンドを運営している)。

平和に暮らしていた中学生の時に、突如イスラエル軍がレバノンに侵攻し、家を破壊していった。なすすべもなく、地中海に待機していた母の母国、米軍の戦艦に乗せてもらい、キプロス島に数日間滞在してから、ロンドンに移った。1982年のことで、その当事のイスラエルの国防長官が、偶然にも今のイスラエルの首相であるシャロン氏である。10年ほど前に、イスラエルとパレスチナとの間に和平協定が締結され、これで平和になると思っていた矢先に、当時首相であったラビン氏がイスラエル人によって暗殺された。生きた歴史を見ているようだ。1人の人間の死によって、歴史は振出しに戻ってしまった。そして現在、1982年のレバノン侵攻の責任者であったシャロン氏が、壁のように立ちはだかっている、と。

紙ナプキンにイスラエル(パレスチナ)の地図を描き、ガザとヨルダン川西岸の入植地の場所と壁のある場所を書いてくれた。彼は語り始めた、「パレスチナ人として望むことは、たった1つだけだ。イスラエル国土の22%であるこの地域をパレスチナ人の自由にさせてくれ、というものだ。今は、それだけを願っている」と。彼の父は、10年前に平和が訪れると信じて、200億円の資金を集め、パレスチナで事業を行っている。そのお父様とお姉様にその場で紹介してもらった。2人は、パレスチナに住んでいて、母と兄はロンドン、もう1人の兄は、アメリカに住んでいる。そしてもう1人はレバノンにいる。年に2回は、家族で集まるようにしているとのことだ。

パレスチナ料理の食事が始まった。メニューは、ガザ地区沿岸でとれたエビ、エルサレムの丘でとれた羊肉などである。デザートの後に、皆が壇上に呼ばれた。パレスチナ産の石鹸で出来た壁から、その石鹸をお土産として自由に持ち返ることができた。壁を皆の力で壊してほしい、という思いから出た趣向であろうか。このディナーの企画は、若手のパレスチナ人によって企画されている。皆一生懸命であり、祖国を思う気持ちが伝わってくる。ヨルダンの首相も参加しているし、世界中のメディアも含めて、VIPが集まっている。パレスチナの現状を正当に理解して欲しい、という切実な願いが伝わってくる。

何となく気分が晴れないので、アジアからきた友達と一緒にバーで飲みなおしたが、盛り上がることはなかった。
ほろ酔い気分で部屋にもどった。その夜は、そのまま静かにベッドに入った。

2004年5月17日
ヨルダン国死海のホテルにて

名言

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