嬉しかったこと(水泳編) 

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海外での活動に関するコラムが続いたので、これからはちょっと視点を変え、身近で起こった嬉しかったことをいくつかコラムにまとめてみようかと思う。多少、個人的なことになって恐縮なので、ご興味があればご一読いただきたい。
最近、あった嬉しかった事の1つが、水泳に関することで、「スイミングクラブに入会し、体調を崩さずに最後まで練習についていけたこと」である。『なぁ〜んだぁ』と思う方も多いと思うが、僕にとってはすごく嬉しかった事なのである。その理由を説明しよう。

僕は、海の近くの村で育ったこともあり、泳ぐことが好きだった。小学校の高学年に引越した水戸は、古式泳法の水府流の発祥の地ということもあり、水泳の指導に力を入れていた。中学校時代には、水泳部に入り、その後スイミングクラブにも所属し、毎日毎日練習した。中学校2年生の時には、全国中学校水泳大会にも出た。中学校3年の時は、平泳ぎは県内では敵なしで、県の全ての中学記録を破っていた。高校時代には、念願の国体6位に入賞し、大学時代は、体育会水泳部に所属して、競泳と水球を両方やったほど、水泳にのめりこんでいた。真剣にオリンピックを目指していて、中学校3年生の時には、五輪にかこつけて、「五厘刈」という丸坊主になったこともあったほどだ。

数年前の事である。中学校時代に埋めたタイムカプセルを20年ぶりに掘り出すということで、水戸に集まったことがある。「20年後に会いましょう」と言う合言葉で埋めたものである。僕は自分で何を埋めたのか忘れていたので、ワクワクドキドキしていた。そして出てきたのは、水泳日誌であった。その日誌には、「今日はどれだけの練習をして、もっとこのタイムをこれだけ上げないと勝てない」、と 自分自身を戒めながら、日々書かれていたのだ。水泳日誌が大切に保管されて、20年後にタイムカプセルから出てきたのだ。。『ナーンだ・・』と思いながらも、やっぱりその当時は、水泳しか頭に無い、ただの「水泳バカ」だったんだなあと、妙に納得したことを良く覚えている。

最近、スポーツの科学や流体力学などを学ぶにつれ、『もしも、もうちょっとしっかりとしたコーチについて東京や大阪で練習をしていたらもっと早く泳げたのではないか』と思うこともある。今思うと、その当時の指導があまりにも前近代的なものだった、と感じられるからである。でも、もしも、僕がもっと早く泳げたとしたら、僕の人生がどのように変わっていたかは、知る由も無いし、どっちが良いかなどは、結局最後までわからないものなのだ。心残りということではないが、そのようにふと考えることがある。

いずれにせよ、僕は中学、高校、大学と水泳とともに成長してきた。その水泳も20歳の時に現役を引退し、その後、真剣に泳ぐことは、ほとんどなかった。20年以上経った今年の新年の抱負に、無謀にも思い切った事を誓った。
それは、「今年中に水泳のマスターズの大会に参戦すること」であった。
(水泳のマスターズの大会とは、年齢別のシニアの大会のことである)。

20年以上のブランクがあるのに、再度水泳選手として復帰しようという事にしたのだ。出張のたびに泳いでいるとは言っても、水泳の大会に出るとなると全く別の話だ。2年ほど前に、水泳で体を鍛えようと思い、スイミングクラブに入りかけ、1回練習に参加したのだがバテバテで、しかもその後1週間ほど寝込んだことがあった。つまり、全く体ができあがっていないのだ。その状態で、今年の新年の抱負に、大胆不敵にも「満を持して水泳のマスターズに参戦する」と書き、有言実行ということでそれを皆にも言ってしまったのだ。

2年前に「囲碁で1年以内に初段を取る」と宣言したのをふと思い出した。このときも大変だったが、前回は頭で今回は体だ。肉体的に持つだろうか?

それからは、週2-3回のペースで泳ぎ始めた。目標を持つと真剣味が違う。7月のマスターズの大会に向け計画を立て、体作りを始めた。出張が重なっても泳ぎつづけた。明らかに体に筋肉がついてきているのが実感できたし、水を切る感覚も戻り始めた。個人の練習でもやっと1000メートル程は泳げるようになってきた。そして、緊張しながらも、前回挫折したスイミングクラブの練習に再度参加する事とした。『最後まで泳げぎきれるだろうか?』『前回みたいに体調を崩さないで済むだろうか?』 と不安がよぎる。

練習が始まった。久し振りのインターバルトレーニングだ。クロールで疲れると、平泳ぎに変え、それも疲れると、バック(背泳)で泳いだ。最後、200Mx3本をバテバテながらも泳ぎ切り、合計で2400メートルの練習を終えた。ヤッター!と思わずガッツポーズをとって、水の中でゆっくりと体をほぐしていった。

その後、1週間経つが、体調も崩さなかったばかりか、その間に2回も各1000Mを泳ぐことができた。明らかに筋肉がついてきている。これで、‘マスターズの大会への参戦‘という今年の抱負も何とか実現できそうな気配がしてきた。

最近考えることがある。それは、「僕の人格形成において、水泳がものすごく大きく寄与したのではないか」、ということだ。中学校時代からギリギリまで自らをプッシュした。肉体的に、自らの限界まで挑み、精神的には勝つ意欲と大舞台での度胸が養われた。中学校時代からのこのような体験が、社会人になってからも生きている気がしている。水泳を始めるまでは、何をやっても長続きしなかったし、勉強もできるほうじゃなかったが、水泳を始めて集中力がつき、目標もでき、それを達成していく喜びも得られた。そして、健康な体と強い精神力もつくられた。その意味では、水泳にとても感謝している。

僕には、ちょっとした夢がある。水泳のマスターズの大会に世界大会があるのかどうかはわからないし、年代別の世界記録があるかどうかも不明だが、もしもあったなら ば、いつかは世界で優勝し、世界記録をつくりたいと思っている。もしかしたら80歳代になるかもしれないし、90歳代、あるいは100歳を超えているかもしれない。もしも、本当にいつか世界記録をつくれたら、北島選手の持つ世界記録よりも、もしかしたら価値があるかもしれない。なぜならば、それまで健康に長生きできたという証だからだ。

などと他愛もないことを考えながら、ふと気が付いたら深夜0時を過ぎていた。今日は、僕の42歳の誕生日である。また1つ歳をとってしまったけど、水泳を続けながら、体力的にも若いままで歳を重ねられたら幸いだと思う。これからも1日1日を大切にして、一生懸命に生きていきたいものである。

2004年3月28日
自宅にて

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