「困難は分解せよ」とは数学者・デカルトの言葉だが、私たちも無意識のうちにいろんなものを分解しているのではないだろうか。例えば、ある商品の利益を上げたいとき、「利益=売上(単価×数量)-コスト」といった具合に、取り組みやすいサイズにものごとを分けることで、打ち手の方向性が見えてくる。しかし、本書の著者・福岡伸一氏は、「世界は分けないことには分からない。でも、世界は分けてもわからない。」と述べている。要は、「木も森もどちらも見ることが大切」と説いているのだ。
私自身、大学時代にマウスを用いた遺伝子の機能解析をテーマに研究をしたが仮説通りの結果が得られないことばかりだった。実験は大別すると、生体実験(in vivo)と試験管実験(in vitro)があり、in vitroではマウスの体内と同様の環境を人工的に試験管などで作ることにより、様々な生理反応を見ることができた。しかし、そこで得られた結果がin vivo、つまりマウスを用いた実験において再現しないことが多々あった。この時に痛感したことは、「一部」の限定的な条件(in vitro)で得られる結果が、「全体」(in vivo)では変わることがある、ということだった。
話は変わり、本書の中から「分解」についての興味深い問いを見ていきたい。
問い:あなたは外科医です。今から、鼻の手術をします。あなたは鼻をどこまで深くえぐり出せば、鼻を取り出すことができるでしょうか?
細かい解説は本に任せ、結論としてあげられていたことは、私たちの目に見える鼻(顔の真ん中で、口より前に突き出した、2つの穴がある身体の一部)という「部分」を切り取ると、私たちの認識する鼻としての機能(匂いを感知する、その匂いを元に行動を起こす、など)は果たされず、身体という「全部」がなければ鼻は機能しているとは言えない、ということだ。
以上のことから、分解することは問題をシンプルにして、手のつけられるような状態にする上で多分に役立つ一方、分解された「部分」は「全体」の中で良くも悪くも意図通りに機能するとは限らないことが見えてくる。
ここからの気づきは、「部分」で見ることの危うさではなく、その事実も加味した上で「分解」すべきであるという点にある。これは、クリティカル・シンキングでいう所の、「具体」的な話をすることも大切だけれど、その後には必ず「抽象」化して全体を見直すことの大切さに通じるところがある。
日々の仕事で、やることがある程度決まっている人は特に要注意。定期的に振り返る時間をとり、今の「部分」的な仕事や役割が、「全体」の中でどんな意味を持っているのか、どんな影響を与えているのかを考えるべきだろう。そうすることで、無駄な仕事が減り、新しいアイデアが生まれるかもしれない。
「部分」と「全体」、「具体」と「抽象」……互いを行ったり来たりしながら、考える習慣を身につけたい方におすすめの1冊だ。
『世界は分けてもわからない』
福岡伸一 (著)
講談社
780円(税込842円)