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MBA、それからの10年~スマイルズ森住理海さんの場合

投稿日:2017/04/17更新日:2019/04/09

グロービス経営大学院が2006年に開学してから丸11年。その前身であるグロービス・オリジナルMBAプログラム「GDBA」(2003年開始)と大学院を合わせ、卒業生総数は3000人に迫る一大MBAコミュニティーを形成するに至っている。草創期のMBA取得者たちが、その後のキャリア人生をどう生き抜いているのか――。3人の「創造と変革の志士」たちに「それからの10年」を聞く。初回は、GDBA2005期の森住理海(もりずみ・まさうみ)さん、現・スマイルズ 経営企画本部 関係会社管理室 室長。 (企画・構成: 水野博泰=GLOBIS知見録「読む」編集長)

2005年、GDBAに入学

知見録: 森住さんは2005年入学、2007年卒業。10年以上前の話になるが、なぜグロービスの門を叩いたのか、まずはその経緯を聞きたい。

森住理海氏(以下、森住): 同志社大学在学中から、大企業で既存の仕事を与えられるより、中小でも良いから自分で事業を興す仕事をやりたいと思っていた。新卒で入社したのは、ロック・フィールドという惣菜屋。「神戸コロッケ」が有名。「RF1」というブランドでデパ地下に惣菜店を展開している成長中の企業だった。

理系なので最初の3年は工場に入り、新商品開発プロジェクトに加わったりして楽しく過ごした。新しいハンバーグの企画で生産現場の責任者をやった時のことだ。最初は凄い勢いで売れたが、1カ月もするとパタッと売れなくなってしまった。なぜ売れないのか全く分からず右往左往するばかりだった。マーケティングや経営戦略の知識が全く無かったからだ。今思えば、あの時が後にMBAを学ぶことになる伏線になっていたのかもしれない。

そんな時、社内公募に手を上げたら通り、東京のオフィス街を狙った新規事業を立ち上げることになった。ゼロから16店舗を展開し、20億円ぐらいまでの売り上げにまで育てたが、次第に収益が落ちてくる。現場で頑張ったが、結局うまくいかなかった。6年で撤退することになる。ハンバーグに続いての失敗。かなりへこんだ。

仕事の環境が悪いんだと転職を考えたりもしたが、いろいろな人に相談するうちに、ある人から「グロービスという学校があるから、ビジネスを学んでみては?」とアドバイスをもらった。会社も一部上場するまでに成長していた。森ビルさん、三菱地所さんなど大手ディベロッパーとの交渉も任されていた。だが、現場叩き上げ一筋の7年だった。「なるほど、この辺りでビジネスを勉強しておくべきかもしれない」と納得した。

知見録: そして、2005年にGDBAに入学。どんなところだったか?

森住: 刺激に満ちていた。同級生たちとは今でもつながっている。現場でずっとやってきて成長実感もあったが、苦しい思いもたくさんした。スキルを学んでもっと成長したいという知的欲求がすごく高かった。同級生たちはそんな同類ばかりだったので、極めて特殊な空間ではあったが、居心地は非常に良かった。

知見録: グロービスで森住さんが獲得した最大の気づきは何だったのか?

森住: 一言で言うと、「逃げない」という覚悟だろうか。仕事というのは、難しくもあり、また、面白くもある。どうせやるなら、逃げずに向き合って、面白くしてやろう、という姿勢だろうか。それは、単なる気合いや強がりではなくて、学んだスキルと膨大で激しい議論の末に獲得した自信に裏打ちされていた。

実際、グロービスで学びながら、会社では売り上げ300億円規模の東日本販売本部で業務管理全般を任され、総務・人事・経理の責任者に抜擢されることになった。綿密な企画書を書いて、改善策をどんどん提案して実現した。当時のグロービスでは、四半期で6回あるクラスのうちDAY3とDAY6がレポート提出回だった(現在はDAY4が一般的)。メンバーは“濃い”人たちばかりなので、グループワークでガンガンやり合い、時に対立したりもしながら、学びを深めていった。そのプロセスを通して提案力、企画力がもの凄く鍛えられたと思う。講師の方々は学生のアウトプットに対して厳しかったし、学生もそれを求めていた。

スマイルズに転職するや、JAL機内食への売り込みに成功

知見録: そして2007年にグロービスを卒業。その後の軌跡は?

森住: グロービスでせっかくビジネスについて掘り下げて勉強し、MBAも取ったのだから「もっと経営者の近くで働きたい」と考えていたところ、転職エージェントから「Soup Stock Tokyo」を展開するスマイルズを紹介された。スマイルズは三菱商事の社内ベンチャー0号として設立され、私が入社した時点ではまだ同社とオリエンタルランドの子会社だった。

遠山の著書『スープで、いきます 商社マンがSoup Stock Tokyoを作る』(新潮社)にも書かれているが、私が入社した頃、社内の雰囲気はとてもいい状態とは言えなかった。私以前にも、何人ものビジネス畑の人間が採用されては、組織とのそりが合わずに辞めていった。「とんでもない所に来てしまった」と思ったが、グロービスで学んで胆力がついたのか、「自分で実績を作ろう」とスイッチがパチっと入ったのが入社3日目のこと。ロック・フィールドで百貨店事業を担当していた頃のつてをたどり、「冷凍スープをギフトに入れてもらえないか」と交渉。ひとりで営業し、50件ほど契約を取りつけた。

知見録: 社内の反応は?

森住: 「業績がすごく伸びたね」と(笑)。その半年後ぐらい(2008年2月)に遠山が三菱商事から独立するのだが、その直前に呼ばれ、「実はスマイルズをMBO(マネジメント・バイアウト)するつもりだが、お前はどうする?」と聞かれた。私としては業績も伸ばしたし、やるしかないだろうと思い、「頑張ります」と腹をくくった。

その5か月後には日本航空(JAL)ハワイ便の機内食を手がけた。Soup Stock Tokyoには、バイブルのようになっている企画書がある。日本ケンタッキー・フライド・チキン(以下、KFC)に出向していた遠山が「1998年、スープのある1日」と題された物語形式の企画書を作成。これを読んだ当時のKFC社長がゴーサインを出し、Soup Stock Tokyoは生まれた。この企画書にはスープを巡るシーンやお店、会社の未来想像図まで多岐にわたって描かれていた。実はその中に「SoupStockTokyoはJALさんと提携し、スープを機内で提供することなった」」と書いてある。MBOのあいさつでJALに伺った時に、遠山がその話を持ち出し、JALにプレゼンする機会をつかんだ。

知見録: グロービスで学んだことは役立ったか?

森住: 数え切れないほどある。特に「誰にプレゼンすべきか」という視点。多くのビジネスパーソンは「プレゼンは社長に対して行うもの」だと考えているが、JALクラスの大企業ではそんなチャンスは滅多にない。経営トップではない意思決定者にどう納得してもらうかがポイントだ。これは、同級生たちとの雑談の中で聞いた経験談や失敗談のおかげでイメージできていた。

実際、大企業の中の意思決定者は一人ではない。JALの機内食プロジェクトでも意思決定者のマトリクスを作成して作戦を練った。

知見録: JAL機内食への売り込みも成功した。その次は?

森住: 2009年秋に、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」を立ち上げて、Marunouchi BRICK SQUAREに出店した。2010年春にはPASS THE BATON OMOTESANDOをオープンしている。

「PASS THE BATON」はSoup Stock Tokyoとは真逆の存在。例えば、Soup Stock Tokyoではデザインはインハウスが前提。でも、PASS THE BATONのデザインではアウトソーシングも積極的に取り入れる。またデザインの路線もSoup Stock Tokyoが全体的にシンプルなのに対して、PASS THE BATONは多様なデザインを採用。ビジネスのスタイルから雰囲気に至るまで全く異なる。新たな挑戦だ。

私は、最初の丸の内店の設計が始まるあたりからプロジェクト・マネージャーとして参加している。遠山の経営者としての直感で呼ばれた(笑)。

合理と感性が交差する瞬間を待つ

知見録: Soup Stock Tokyoとはまるで異なる発想が求められる。

森住: 真逆というか、無限の発想が必要。目のつけどころが斬新すぎて、今後ビジネスとしてどのような成長曲線を描けるのか、マネタイズの道筋すらも見えないことが少なくない。遠山が立ち上げる事業はだいたいそうだ。最初は「面白いことを考えた」と、遠山が言い出すところからスタートする。瀬戸内海のレモン栽培が盛んな離島「豊島」(てしま)に、“泊まれるアート作品”である「檸檬ホテル」を開業したときもそうだった。

 

「檸檬ホテル」のホームページ

 

ブレストで「ホテルを作る」のは決まった。どのようなホテルを作るのか、さらにブレストを重ねていると、ある日突然、遠山が「“ほほ檸檬”で終わるのが面白いんじゃないか」と言い出す。何を言っているのか、よくわからない(笑)。

檸檬ホテルでは実際、2人1組になって音声ガイドの指示に従い、館内を歩く。最後は部屋に置かれた檸檬をおたがいのほほにはさんだ“ほほ檸檬”を行い、その様子を自撮りし、写真共有アプリ「Instagram」に投稿することで、アート作品として完結する。

……と、こんなことを突然言われても、理解できないし、想像できない。ところが、遠山はこちらが理解していようが、していまいがお構いなしでその後もずっと、アイデアを語り続ける。ウェブデザインをしているタクラムさんにも、建築家の伊東豊雄さんにも同じように訴える。周囲が困惑し「本当にやるんですか?」「知らない人同士“ほほ檸檬”なんてしないでしょう」と言ったとしても、その面白さを語り続ける。

そんな現場に私はずっといて、遠山が語るのを黙って聞いている。すると、そのうちに、私にも遠山と同じように「見えた!」と思える瞬間が来る。それがいつ来るのかは私自身にも正直わからない。私のほうは、どうやってビジネスを継続するのか、どうやってマネタイズしていくのかを必死でリサーチしている。すると、どこかで、ビジネスプランの合理性と遠山の感性とが交差するのだ。

遠山との仕事が始まって以来、会話の中にはデザインやファッション、カルチャーにまつわる言葉がバンバン飛び交う。知らない言葉が出てきたらメモし、関連書籍に目を通し、現地に足を運ぶ。この10年アートを必死で見て回ってきた。

ただ、アートの分野について真摯に学んできたつもりだが、私の立場はあくまで「ビジネスマン」であるとも思っている。グロービスでビジネスの土台となる知識やスキルをしっかり学んでいるからこそ、私は私なりの突破法で進んでいきたいし、遠山に近づいていきたいと思っている。アートのセンスというよりも、ビジネスのセンスによってだ。

だから、どんなに遠山がやりたがっていたとしても、「やめましょう」と説得するのは私の役割だ。事業である以上、最後の最後は言語化する。言語化できないとすれば、事業内容に問題がある。だから確信を持って「しゃべれないものはやりません」と言う。

知見録: 今後については、どのように考えているのか?

森住: 遠山正道という非常にユニークな経営者が立ち上げる事業をビジネスとして軌道に乗せるという仕事を数多く手がけてきた。遠山のアイデアをビジネスの形にすることはある程度できるようになった。では、次はどうするのか。

私としては次の10年は「ビジネスの拡大」に注力したいと考えている。これまでスマイルズの事業を通じて、さまざまな人と出会ってきた。そこには常識の枠を軽々と飛び越える個性的な人が大勢いる。もちろん社内のスタッフも含めて。そんなユニークで魅力的な人たちと一緒に新たなビジネスモデルを生み出していきたい。

 

森岡書店 銀座店

例えば、私は今、「一冊の本を売る書店」ということで話題になった「森岡書店」の取締役でもある。無給だけど(笑)。代表である森岡(督行)さんに“ビジネスとしての継続していくあり方”を伝え一緒に考えるのが私の役目。

事業としてしっかりと継続できる状態をつくるには共感してもらいながら収益にも繋がる企画を考え、人を雇い、ビジネスモデルを構築する必要がある。その“種まき”を今、せっせとやっている。

知見録: 最後に、森住さんに続く後輩たちに応援メッセージをいただきたい。

森住: 仕事と勉強の両立は時間的にも体力的にも負荷がかかる上、グロービスでは大量のアウトプットも求められる。だが、どんなに苦しくてもやり遂げたという経験は必ず大きな自信につながる。講師からの手厳しい指摘も、グロービス生同士の意見のぶつかり合いも、成長の糧だと思ってポジティブに吸収していってほしい。

グロービスで学ぶからには、与えられるのを待つのではなく「自分で立つ」という意識を持ってほしい。自分の価値を自ら提案できるビジネスパーソンになってほしい。共に頑張ろうと心から願う。

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