MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している。2016年、「変革部門」で受賞した株式会社コメ兵代表取締役社長の石原卓児氏(グロービス経営大学院名古屋校、2015年卒)に、MBAの学びをどのように活かしたのかについて聞いた。(聞き手は、GLOBIS知見録「読む」編集長 水野博泰)
知見録: 受賞おめでとうございます。まずは、感想をうかがいたい。
石原: 率直に「私なんかが受けていいのか」と思った。でも私個人ではなく、「コメ兵」という会社がもらった賞だと思い直した。何より変革部門での受賞がうれしい。業績をV字回復させたことが評価されたのは今後の自信になる。再び厳しい局面を迎えたとしても、きっとこの賞が自分を奮い立たせてくれるはずだ。
知見録: 数々の苦難を乗り越えてきたからこそ、今の石原さんがあると思う。現在に至るまでのストーリーを聞きたい。
父の急逝に伴い家業に入る
石原: 社会人の第一歩はヨドバシカメラ。1996年に入社し、2年ほど働いた。配属先は新宿西口本店の1階。カメラが面白いように売れた時代だった。
97年にコメ兵の2代目社長だった父が他界したため、ヨドバシカメラを退職して98年にコメ兵に一般社員として入社、カメラや時計、衣料の販売に携わった。その頃、よく上司に言われたのが、「これから何十年と仕事をしていく中で、良い時代しか過ごしてないことがいずれ弱点になる。調子に乗るな」ということ。確かに当時は良質な中古品を豊富に品揃えしておけば売れる状態で、今から思えば実力以上の実績を上げていた。
知見録: そんなことを言ってくれる上司はなかなかいない。
石原: 私が入社したときは叔父が社長をしていたが、私は先代社長の長男だから、社内でも次の後継者と目されていた。だから私に苦言を呈してくれる人など他にはいなかったので、ありがたかった。
知見録: その後のキャリアは。
石原: コメ兵の株式上場と相前後して、関東地区への本格的な販売店舗として有楽町店を2003年にオープンさせ、初代店長を務めた。それまで販売店舗は地元・名古屋と大阪のみ。東京での知名度は低かったが、テレビでバンバン取り上げられ、ロケットスタートが切れた。05年には新宿店がオープン。伊勢丹の目の前にあり、有楽町店の約4倍の広さだった。数年して有楽町店、新宿店、渋谷にある買取センターの統括を任された。
リーマン・ショックで業績が悪化
入社以降、売り上げは順調に伸びていたものの、08年のリーマン・ショックの影響で業績がひどく落ち込んだ。立て直しのため名古屋に呼び戻され、営業企画部で店舗企画とマーケティング、店舗開発の3つに携わった。
それまで販売と持ち込まれた商品の買取りしか経験がなかったので、会社から勧められて3人のメンバーと共に3か月間だけグロービス・マネジメント・スクール名古屋校で「マーケティング・経営戦略基礎」を受講した。それが09年4月。「商売人の感覚を持ったマーケティングとはまさにこれだ!」と。勉強は嫌いだが、新しい知識が違う発想を生むと気づいた。まさに私自身にスイッチが入った瞬間だった。
翌10年4月にグロービス経営大学院に入学した。単科生制度があるのを知らず、いきなり本科に。「マーケティング・経営戦略基礎」で指導してくれた松林(博文)講師の考え方が好きで、「どうしたらまた講義を受けられるか」と学校側に聞いたところ、「大学院に入学すれば受けられる」と言われた(笑)。
正直なところ、当初は松林さんのクラスだけ受けられればよく、「マーケティングが分かれば商売はできる」とも思っていたので「マーケティングの講座だけ受ければいいや」と途中で辞める気満々だった。だけど勉強していく中で、「次のクラスを受けたら、また知らないことを教えてくれるのではないか」「リーダーシップも大事だな」と興味がわいてきた。
加えて、最終面接者だった田久保さん(田久保善彦グロービス経営大学院研究科長)と接したとき、「自分とさほど年齢が変わらないのに求心力がある。自分もあんな人間になりたい。あの人が教えるクラスを受けてみたい」と思った。田久保さんはじめ講師陣のキャラクターが濃くて、「なんだ、この軍団」と(笑)。目標にしたい人ばかりだった。「勉強なんかしたくないし、レポートは書きたくないけど、しょうがないから行くか」(笑)と思いながら通い続けた。卒業まで5年かかったが、5年かけたから出会えた人たちもたくさんいたと思う。
知見録: その間、会社の状況はどうだったのか。
石原: 学校に通い始めた頃、依然として厳しい状況だった。リーマンの前までは良質の品物を買取りし豊富な品揃えが実現出来れば集客できたし、売れた。ただリーマン後は高額商品が売れなくなり、チラシをちょっと打つだけではお客様は来なくなった。コメ兵には顧客データベースがなく、ダイレクトメールも送れなかった。お客様にいかに足を運んでもらうかと考えたときに、「そういえばこの前、授業でCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)というマーケティング手法を勉強したぞ」と。それを使ってメンバーズカードを作るなど、ごく基本的なことから手探りで始めた。
「連絡は一切してこないで」と言う顧客
知見録: 顧客データベースがなかったとは! 何か理由が?
石原: リユース(再使用)というコメ兵の商売の形態が要因の1つだ。昔から「連絡は一切してこないで」という顧客が一定数いる。
話は前後するが、私が世間一般の中古品へのイメージや、知名度が乏しい中で店舗を展開することの厳しさを一番痛感したのが、新宿店をオープンしたときだった。新宿店は伊勢丹新宿店の向かいにあり、そこから流れてくるお客様も多かった。
価格の安さに驚いて購入するお客様も多かったが、一方で「見る人が見れば中古の品物だってバレるかな?」と気にされたり、「この足で伊勢丹に食事に行くんだけど、袋にコメ兵って書いてあると恥ずかしいから、違う袋はない?」と聞かれたり。店舗開発でも、中古品を扱う店というだけで毛嫌いされ、物件を借りにくかった。
そうした背景もあって顧客データベースがなかった。このとき、業態のイメージを変えないと駄目だ、お客様に「コメ兵っていいよね」「コメ兵なら信頼できる」と言われるブランディングをしなければと思った。これが最初の壁だ。ただ初めは打破する術を持ち合わせていなくて、当時は「頑張るしかない」だけだった。
リーマン・ショック以後の業績不振で名古屋に戻り、現場を離れて感じたのは、戦法もろくに知らず、ただ「頑張るぞ」と言っていても試合には勝てないということ。私は戦法を学ぶためにグロービスに行った。
知見録: 具体的にどう変革していったのか。
石原: 最初に変えたのは、店づくり。お客様にとって居心地のいい場所に変えようと。「中古品を使うのは賢い」「おしゃれ」という雰囲気を出すためには店内がごちゃごちゃで商品が探しにくいのは論外だからだ。フロアごとに書斎やクローゼットをイメージするような装飾に変え、従来なら商品を並べていた棚にディスプレイ用の本を置くなどした。VMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)を意識した。
「そんなものを置くよりも、もっと商品を並べたほうがいい」と言われても、「このゾーンは高い場所で値札が見えないし、従業員の手も届かない。だったら世界観を打ち出すために使う」と押し切った。例えば最大100点の商品が陳列できるところをあえて70点しか並べなかった。まず銀座店で試したら、これが当たった。
従業員の身だしなみにも気を配った。「百貨店より、コメ兵のほうがいい接客だった」というブランディングが大事だと考えて、「ヒゲを生やすな」「茶髪で売り場に立つな」「ネイルアートをするな」とスタッフの身だしなみ基準を見直した。それは広告出稿のような空中戦ではなく、地道な地上戦だった。
インナーマーケティングのため、名古屋本店のエース社員を銀座の店長に据えたことも大きかった。誰もが会社は本気だということを感じ取ったようだ。
これを展開した他店舗の売り上げも好調だった。「これはいける」と、思い切って名古屋本店を13年ぶりにリニューアルした。東京で成功した方法をいわば逆輸入した格好だ。
会長、専務、常務は改革案に猛反対
知見録: そうした改革に対して、社内から抵抗はなかったのか。
石原: もちろんあった。改革の一環で大掛かりな組織変更をしようとしたら、当時社長だった現在の会長、専務、常務のトップ3人に反対された。
知見録: どのように組織を変えたのか。
石原: 名古屋と東京に分散していた「商品化」の機能を集約し、効率化を図るため、名古屋に「商品センター」を設置した。商品化というのは、買取りした商品の状態を確認したり、メンテナンスを実施したりすること。全国の店舗で買い取った全商品をセンターに集め、点検作業はすべてここで手掛けることにした。
それまでは各店で営業時間が終わりってから、ヘトヘトに疲れた状態で作業していたので生産性が著しく低かった。夜の10時、11時まで仕事をして、翌朝8時や9時には店に来るという毎日で、みんな疲弊していた。そんな姿を見ていて、このままでは駄目だと思い、「店舗」と「商品化」を分離することに決めた。競合が増えてきた中で、従来からこだわってきた商品の品質管理に特化し「やっぱりコメ兵の商品は信頼できるし、きれいだ」とお客様から言われるような差別化策を打っておく狙いもあった。
店舗は若い社員に任せて、商品の見極めができる勤続20~30年の社員を名古屋の商品センターに配属する。若手は努力次第で店長に抜擢する一方で、ベテランは役職、給料はそのまま。これまで培ってきた知識をセンターで存分に発揮してもらう。
これには店舗全体としての収益よりも、ジュエリー、時計、バッグなど各事業部の売り上げを優先してしまう体質をどうにかして変えたいという考えもあった。これまで事業部間で競わせることでモチベーションを高めてきたが、その弊害で自部門の商材を優先した部分最適の発想があったからだ。
これに伴い、今まで商材に関しては部長にあった権限を商品センターに委譲させた。そのことで、部長とはかなり激しくやり合った。ある意味、権限を奪ったのだから無理もない。ただ「名古屋のコメ兵」から「全国のコメ兵」へとブランディングをしていく上でどうしても組織力の強化は必要なことだった。
知見録: 大変な説得作業だったのでは。
石原: 組織変更するとき、全店を3周した。社員のあいだには、「組織変更で給料が下がるんじゃないか」「役職を取られるんじゃないか」という不安があったようだ。そんなとき、こう諭した。「そんなことはしない。私たちは再び成長するために、今のうちにパワーを蓄えておく必要がある。店舗のスタッフが販売と商品化の両方をやっていると、体力勝負になってしまい限界がある。だから仕組みを変えよう。責任は私がとるみんな力を貸してくれ」と。
知見録: 変革のプロセスの中で、「ここで流れが変わったな」という瞬間は。
石原: 当時の社長が「やろう」と決断をしてくれたときだ。専務や常務や部長たちも「やりましょう」と言ってくれた。「本当に動き始めた。もはや、失敗するわけにはいかない」と気が引き締まった。
最初の頃、経営陣から「今の組織でここまで成長してきたのに、その仕組みを変えてしまって本当に大丈夫なのか?」「部長たちが今後のキーパーソンになるはずなのに、役割を商品センターに移してしまって本当にいいのか?」と問われたが、説得力のある回答ができなかった。私の主張はなかなか受け入れてもらえなかった。
勢いや、想い、テンションだけでぶつかってもうまくいかない。組織を動かすには理論武装も必要だということに気づいた。そこで、グロービスの講師陣にいろいろと相談に乗ってもらった。「重要なプレゼンがある。どういう点に気をつけたらいいか」「こうした方向に物事を持っていきたいのだが、どう交渉すればいいか」「自分よりポジションが上の人をどうやって動かせばいいのか」「抵抗勢力はどうしたら言うことを聞いてくれるか」など。皆さん、本当に親身になってアドバイスをくれた。「そんな言い方では反感を買うだけだ。こんなところに気をつけたほうがいい」などと、適切かつ厳しいご指導をいただいたおかげで今の私がある。
社員にも学ぶことを奨励している。当社には「10年キャリアビジョン」という育成方針があって、入社後から10年間をⅠからⅢの3つの期間に分け、そのときどきに必要なスキルを学んでもらっている。第Ⅰ期は販売小売業に最低限必要なスキルを身に付け、第Ⅱ期は「リーダーシップ=巻き込む力」を、第Ⅲ期は「マネジメント=導く力」を養成する。社員は親御さんから預かった大事な子供さんだから、仮にコメ兵を辞めることになっても、よそで立派に通用する社会人になっていてほしいという想いでつくった。
新入社員への訓示では「コソコソ勉強しろ」とハッパをかけている。同期の人間に勝ちたいなら、「俺が業界一の目利きだぞ」と胸を張れるトッププレーヤーになりたいなら、周囲がやっていること以上のことを“コソコソ”やりなさいと。でなきゃ差なんてつかない。“コツコツ”やることも大事だけど、誰よりもコソコソ勉強して、「ここぞ」というときのために自分に備えて力を蓄えておくことが大切だ。私自身、今までそうしてきた。
私がグロービス経営大学院に通い始めた頃の役職は部長で、次は取締役になることが決まっていた。その先にある社長を見据えると、自分自身でも危機感があった。営業のトップは務まっても、今の段階では社員の生活を一生守っていける経営者のレベルにはない。このままでは世間知らずの裸の王様になってしまう。わらにもすがる思いだった。
入試面接のときに、「まもなく役員になり、近い将来、社長になることが見えているのなら、今さらここで勉強しなくてもいいのでは。なぜMBAを取るのか。単に格好つけたいだけなら歓迎しない」とはっきり言われた。私は「そもそもMBAが何ものかも分からないし、何様とも思ってない。今は経営者のレベルにないから教えてほしいだけ」と答えたのを覚えている。
会社を間違った方向に行かせないためにも、グロービスで勉強してよかった。もし行っていなかったと思うとゾッとする。良い仲間もできた。学生という対等な立場で知り合った人たちだから、会社の大小や年齢に関係なく、グロービスにいたという共通項だけで腹を割って話せる安心感がある。みんながある程度同じものさしを持っているのが良い。自然とクリティカル・シンキングの話になったり、マーケティングの話になったり、カネやヒトの話になったり。「あなたの会社だったら、こういうことをしたらいいんじゃないか」と教えてくれる人もいる。同じ学びをした、同じ苦労して、やり切った人間に対するリスペクトがお互いにある。「卒業はゴールではなくスタートだ」ということ良い意味でのプレッシャーを皆から受けている。頑張らないといけない。
知見録: 先代が生きていたら、今の石原さんに何と言うだろうか。
石原: 「怠けるな、頑張れ」と言うと思う。父は本当に勉強熱心で真面目な人だった。商業高校から夜間大学に進み、ずっと家業であるコメ兵を手伝っていた。大学を卒業してまもなく創業者である祖父が病に倒れ、父がサポートする範囲が広がった。父は祖父の存命中、最高の「ナンバーツー」であり続けたと思う。社長になって18年間ほどの任期を務め、57歳のとき病気で亡くなった。私が25歳のときだ。昼は仕事、夜はロータリークラブや地元の大須商店街の活動に精力的に取り組み、様々な情報や知識を仕入れていたようだ。
周囲の人から「お父さんは人の悪口を言わず、いつも笑顔でいた」とよく言われる。だから、社長には「表情責任」があると私は思っている。表情が柔らかくないと従業員が萎縮してしまう。僕の顔を見てみんなが少しでも安心できるのであれば、父を見習い、その責任を果たそうと心掛けている。
捨てない文化を醸成する
知見録: これからの展望、ビジョンは。
石原: 年に1回、全社員を集め経営計画発表会を実施している。その中で社員総会も開く。毎回、壇上に役員が座り、社員から質疑を受ける。社員数は約600 人。質疑応答の時間は40分程度だ。例えば「社長の夢を聞かせてほしい」「なぜリユースにこだわるのか」「リユースの社会的価値とは何か」といった質問があった。
私はそれに対して、このようにに答えた。「捨てない文化をつくるのが私たちの仕事だ。文化だから、自分の子どもや孫の代になったときに『そういう文化をつくってくれたのはお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんたちだよね』と、かなり後になって評価されるような、長い時間がかかることだと思う。あぐらをかいたり、怠けたりしていたら伝わらない。お客様にはすぐ見透かされ、ライバルには足下をすくわれる。だから時間をかけて地道に誠実に取り組む必要がある。うちは上場企業だから業績目標は達成しなければならない。だが、リユースという文化をつくれるのは僕らしかいない。そういうつもりでみんなやってほしい」と。それこそが私のやりたいことだ。
私は日本国内だけでなく、海外でも「リユースっていいよね」という文化を広げたい。海外でもフリーマーケットが人気だし、質屋さんもある。捨てないでリユースするという文化は世界各地どこにでもあるが、日本のリユース文化は世界的に見てもトップレベルに違いない。日本で評価されるということは、世界でも間違いなく評価されるはず。企業規模ではなく、お客様に評価をしていただける会社であり続けたい。
新品と中古、店舗とWEBの壁はもっと低くなっていくはず。お客様に「コメ兵なら安心だ」と選ばれる存在でいたい。だから社員にはいつも「迷ったら『まじめ』を選ぼう」と話しているし、クレドの1つになっている。
知見録: 「循環型社会、捨てない文化」というキーワードは先代の時代からずっとつくってきたもの。今、ヤフーオークションやメルカリなど、ウェブやスマホの世界ではオークション系が人気だが、どう思うか。
石原: リユースに触れてもらう機会を増やしていくという意味では、ライバルであり仲間と言える。コメ兵だけではつかめないお客様をリユースの世界に引き込んでくれるのは良いことだ。
円高株安などの影響もあって単価の高いものの売れ行きが低落傾向にある。我々も、引き続き時代に合った変革を起こしていかなければならない。今回、変革部門でアルムナイ・アワードを受賞したが、また何年後かに「さらなる変革を起こしました」と言えるように努力し続けたい。
グロービス アルムナイ・アワード2016 変革部門
石原卓児氏(株式会社コメ兵 代表取締役社長)の受賞理由
石原卓児氏は、「リレーユースを核としてお客様に満足と感動を提供する」という企業理念を掲げたリユース業界最大手の株式会社コメ兵の代表取締役に2013年に就任。2009年の取締役就任後は、社内で様々な改革を行い、風通しのよい組織体制の構築、店舗毎マネジメントの導入、商品センターの設立などローコスト管理のための施策も遂行し、売り上げ、並びに利益を伸ばしています。特に新規店舗の立ち上げ、社員教育に非常に力を入れ、取締役就任後32店舗を立ち上げ41店舗まで拡大しています。IT周りを強化し、Webでの購入やアプリの開発も含めたオムニチャネル化など様々なチャレンジを行い、株価は7倍に増加しました。人柄の面でも熱い志を持ち、謙虚さを忘れない姿は多くの人を魅了しています。同社の変革を成し遂げた経営者としての実績を称えます。
グロービス アルムナイ・アワードとは?
「グロービス アルムナイ・アワード」は、ベンチャーの起業や新規事業の立ち上げなどの「創造」と、既存組織の再生といった「変革」を率いたビジネスリーダーを、グロービス経営大学院 (日本語MBAプログラムならびに英語MBAプログラム)、グロービスのオリジナルMBAプログラムGDBA(Graduate Diploma in Business Administration)、グロービス・レスターMBAジョイントプログラムによる英国国立レスター大学MBAの卒業生の中から選出・授与するものです。選出にあたっては、創造や変革に寄与したか、その成功が社会価値の向上に資するものであるか、またそのリーダーが高い人間的魅力を備えているかといった点を重視しています。