「ベンチャーでは成功したが、家庭は崩壊してしまった」。21年前、米ロサンゼルスで開かれた若手起業家が集まる世界大会で、ある起業家が自らの経験を壇上で語り始めた。
彼は友人からこう聞かれたという。「ベンチャー企業では、経営チームと共に経営理念を明文化し、戦略を練り、事業計画を立て、会議で議論する。実行段階では進捗状況を確認し話し合う。このように意思疎通を図るのが普通だ。あなたは家庭の経営チームと同じようなことをやったことがあるかい?」
友人の言葉を受け彼は、はっと気がついた。「妻と、家庭の理念や計画を話し合ったことは、ほとんどなかったのだ」。破綻した縁は戻らなかったが、次に伴侶を得た時には友人のアドバイスを実践し、幸せな家庭を作ることができたそうだ。彼はスピーチをこう締めくくった。「経営と同じくらいのエネルギーを家庭にも注ぎ、理念や家族・教育計画をしっかり立てるべきだ」
僕は当時34歳。結婚していたが子どもはいなかった。スピーチに心を動かされ、アドバイスを即座に実行することにした。家庭のパートナーである妻と、子どもの人数と教育理念、家族として大事にすべき価値観を協議した。
双方とも3人兄弟だったこともあり「子どもは3人は欲しいね」ということで一致した。出産時期を決め、わが家で大事にしたい理念、いわゆる堀家の家訓のようなものも明文化することにした。
僕の祖父が繰り返し伝えてくれて、僕が大事にしていた「人に迷惑をかけない」と「友達を大事にする」の2つの言葉をまず入れた。おやじからもらった言葉「クリエーティブに生きる」を盛り込んだ。そこに僕が考えた「大いなる志を持つ」、妻の発案による「自分の言動に責任を持つ」を加え、堀家の5つの家庭理念をつくった。
子どもにどのような能力を持たせたいのかも話しあった。一番は「生命力」、つまり試練を乗り越える強靱(きょうじん)な精神力、体力、粘り強い頭脳の力を養うということになった。「僕らが子どもに何を残せるのか」を妻と議論したときに「財産より、自分の力で生き抜いていく力を育むことが、僕らができる最たることだ」との結論に至ったからだ。子どもを過保護にせず、できるだけ試練を与える方針とした。
公立小学校に入れ、能力を高めるため囲碁と水泳を必修科目とした。中学受験を経て、必ず部活動に入り、心身を鍛え、結果を出すことを促した。中高時代には1年間は留学し、大学か大学院のどちらかは海外校とする。シンプルだが、これが堀家のスタンダードとなった。
当初、子どもは3人にする予定だったが、結果的に大幅に上方修正することになった。子どもが生まれるまでの1年間は妊娠期間、生まれた後の1年間は授乳期間だ。子供が歩き始めると次の出産計画に入る。このサイクルを3回終えた後に「経営チーム」で協議した。「こんなにかわいいのだからもう1人欲しいよね」となって4人目。そして4人目が歩き始めて、再度経営会議の開催だ。同様に5人目が生まれた。妊娠・授乳が5回、計10年間が出産期間に充てられた。5人、しかもなぜだか全員が男だ。男児の出産と授乳、育児に伴う心身の苦労に耐えた妻に心から感謝している。
そして、経営は成長期に移行した。子どもたちは、囲碁・水泳、中学受験、部活、留学、大学受験と着実に成長していった。教育理念と計画が明快だから、経営チーム間の食い違いはほとんど起きなかった。
僕は友人や部下の結婚式のスピーチでは、ロサンゼルスで聞いた起業家のエピソードを、必ず話すようにしている。「家庭円満の秘訣は、経営チームとの理念・計画・実行における密なコミュニケーションですよ」と。読者の皆さんにもお勧めですよ。
※この記事は日経産業新聞で2016年9月30日に掲載されたものです。
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