本書は、マーケティングで名高いP&G社で実績を上げた2人が、USJの立て直しを任された中で、いかに数学的(確率統計的)なマーケティングを駆使してV字回復を果たしたのか、そしてそのベースとなった考え方とは何だったのかを解説したものだ。
本書では、実際に2人がUSJで打ったハリーポッターとのコラボ企画などの実例も紹介されており、それはそれで興味深い。しかし、それ以上に印象深いのは、2人がビジネスあるいは市場の本質と捉えている内容である。
著者らによると、市場の本質とは「プレファレンス」だという。プレファレンスとは、消費者のブランドに対する相対的な好意度のことであり、主にブランド・エクイティ、価格、製品パフォーマンスによって決まるという。このプレファレンスの総体が最終的に各ブランドの市場シェアを決めるというのが著者らの考え方だ。
本書によれば、企業がマーケティング戦略を考える上で、経営資源を投下すべきは、このプレファレンス(好意度)、そしてアウェアネス(認知)、ディストリビューション(配荷)だという。アウェアネスやディストビューションにも当然伸び代があり、実際にそれによって売上げを上げた例も紹介されているが、最も伸び代が大きいのはプレファレンスで、だからこそそこによりフォーカスすべきというのが著者らの主張である。
個人的には、ここまで言いきれるものか、やや疑問はあるし、おそらく、ここで想定されている市場は基本的に消費財市場である。BtoBの世界ではまた別のロジックが働くと考えるのが妥当だろう。また、消費財によっても、最寄品と買回品では異なるロジックが働きそうだし、モノ余の現代社会においては、アウェアネスの獲得がやはり重要な分野もありそうだ。
その意味で、本書で紹介しているモデルがあらゆる分野に応用可能と考えるのはややリスキーであろう。しかし、実務で実際に結果を出してきた経営者のノウハウや経験値は重い。100%鵜呑みにするのは危険ではあるが、自社の業界や商材の特性を勘案しながら参考にするのが実務的と言えそうだ。
一方、中盤の第4章「数字に熱を込めろ!」に書かれている内容などは非常に共感を覚えた。人間は意思決定を避ける動物であり、特に冷徹な意思決定は苦手とする。特に日本人はそれが苦手だ。しかし、意識と努力でそれは克服できるものであるし、それをしないとグローバル競争には勝てない。
その拠り所となるのが、著者の場合は確率思考なのである。「数字に熱を込める」の数字とは、情緒を排した成功確率の高い戦略のことである。その数字を冷徹に追求するからこそ、ぶれにくい戦略ができあがる。
戦略に熱を込めた上で、さらに「戦術」で勝つことが重要というコメントも納得感がある。どれだけしっかり戦略を検討したところで、未来を適切に予測することは不可能だ、予測からずれる部分が必ず生じるからこそ、現場での戦術が重要になる。
そもそも戦略は、組織に周知徹底され、適切にカスケードダウンしていけば、自ずと良き戦術につながるものだ。ただし、その逆はあり得ない。現場の戦術が良いからと言って、優れた戦略が生まれるわけではない。
だからこそ、まずはトップが正しい戦略や数字の方向性を打ち出し、それを周知徹底し、現場を鼓舞することが大事なのである。そしてその際に適切な前提を置いて導き出された数字は人びとのコミュニケーションを大きく促すのである。それにより、冷徹さと情熱の両方が生まれるというのは卓見と言えよう。
本書は、ところどころに数式が登場し、統計学が苦手な人間にとってはやや取り付きにくい用語も出てくる。巻末資料などは、大学で理系だった人間でも完全に理解することは難しいだろう。ただし、そうした数式を無理に追わずとも、エッセンスは伝わるはずである。
本稿ではあまり触れなかったが、第5章「市場調査の本質と役割」、第6章「需要予測の理論と実際」、第7章「消費者データの危険性」なども非常に面白い。特に市場リサーチをされる方には必読だ。
全体を通じて、ページ数の割には、ところどころ難易度が高く感じる部分もあるかもしれないが、ぜひご一読いただき、マーケティングの1つのヒントにしていただければと思う。
『確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力』
森岡毅、今西聖貴著
3,200円(税込3,456円)