今春、希望する保育所に子どもを入れられない母親の嘆きが、大いに話題になった。その後の論議としては、政府や自治体による支援政策の充実や、男女共同参画時代における育児のあり方といった方向に進んでいったが、ビジネス的な視点から解決策を探れないものか――。
そんな問題意識で本書を読むと得られることが大きいはずだ。2012年にノーベル経済学賞を受賞した、スタンフォード大学のアルビン・E・ロス教授による、「マッチメイキングとマーケットデザイン」についての入門書である。
筆者はオペレーション・リサーチの博士課程を修了した後、ゲーム理論の研究に携わっていた。彼が研究テーマとして取り組んだのが、腎臓移植に関する仕組みの設計である。腎臓移植を「マーケット」として捉えてみよう。腎臓に病気を抱え、移植手術のために誰か別の人の腎臓を欲する患者は大勢いる。一方で、移植用臓器を提供したいというドナーがいて、この両者を仲介しペアを成立させる仕組みを「マーケット」と見なすことができる。ただし、移植が成立するには誰の臓器でもよいわけではなく、血液型等が適合する相手でないといけない。また、患者側のニーズは切実だが、ドナー側は無償の利他心に依存するため、欲しい臓器がなかなか見つからないという問題が常につきまとう。こうした条件の中で、どのようにして救われる患者を増やす(適切な臓器移植の件数を増やす)のか。この問題に取り組んだのだ。
さらに筆者は、公立学校の志望選択の問題にも取り組んでいく。ボストンの公立学校では、各家庭が第三志望まで入学希望のリストを提出し、それを事務局がなるべく志望がかなうように割り振っていく、という仕組みが出来ていた。しかし、人気のある学校はすぐに定員が埋まってしまうリスクがある。一方で、二番手クラスの学校は、その学校を第一志望にしていた他の志願者が優先的に入れるから、やはり埋まってしまうかもしれない。このように、第一志望にもし入れなかったら、結局あまり人気の無い学校しか残っていない可能性が高いとなると、各家庭は本来の志望順位からすれば二番手、三番手の学校を安全策として第一志望とせざるを得ないのである。どうしたら、各家庭が他人の動向を横目に駆け引きすることなく正直な志望順位を提出し、それがなるべくかなえられる状況を作れるだろうか。
これらの問題に対してどんな解決策を筆者らが提示したかは、本書を読んでいただくとして、この本のポイントは「一見すると仕方ないように見える需給のミスマッチ状況も、マーケットの設計を細かくチューニングすることで、解決、改善できる余地がある」ことを示した点にある。
上述の例は公共政策の色彩が強かったが、ビジネス寄りの問題も当然この「マッチメイキングとマーケットデザイン」の対象になる。むしろ、ネットオークション、FX取引、転職や就活等のマッチングサイトなど、ITの発達とともに身近なサービスとして急速に世の中に定着した例は数えきれないほどだ。こうしたサービスは、マーケット参加者がより満足を得られるような仕組み(たとえば、ネットオークションの出品側であれば、より確実に、より高値で落札される見込みが高い仕組み)作りを競いあっている。「マッチメイキングとマーケットデザイン」の巧みさは、大きな競争優位性と成り得るのだ。
本書には難解な数式は全く出てこないし、本書自体がこのテーマの教科書となっているわけではない。あくまでも、「こういうことを研究する領域があるのだ。そしてそれはこれからの時代、非常に役に立つのだ」という紹介の書である。どうしたらマーケットデザインによる問題解決力が身に着くか、については別の機会を見つけざるを得ないが、環境変化を機会と捉え新しいビジネスチャンスを常に探している読者にとっては、大いに刺激を与えてくれることだろう。
『Who Gets What マッチメイキングとマーケットデザインの新しい経済学』
アルビン・E・ロス 著、櫻井祐子 訳、日本経済新聞出版社
本体2,000円+税