MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している。2015年、「創造部門」で受賞したJPMCアセットマネジメント代表取締役/日本管理センター執行役員の小野学氏(グロービス経営大学院2007期生/東京校)に、MBAの学びをどのように活かしたのかについて聞いた。(聞き手は、GLOBIS知見録「読む」編集長 水野博泰)
知見録: アルムナイ・アワード受賞、おめでとうございます。小野さんのキャリアは丸紅から?
小野: 分譲マンション開発のプロジェクトマネージャーをやらせてもらった。1994年に大阪配属になったが、95年1月17日に阪神大震災が起きた。当時住んでいた西宮の独身寮の周りはほとんど潰れてしまった。多くの人の日常生活が突然何の前触れもなく遮断され、お亡くなりになるのを目の当たりにして非常にショックを受けた。「人生は1回しかない。いつ死ぬかも分からない」と痛感した。それが私の人生の原点になった。悔いなく生きるためにはどうしたらいいのか、亡くなった方々の分も含めて人生をいかに生きるべきかを、常に自分に問い続けている。
その後、東京転勤となり、東京でも2年間、分譲マンション開発をやらせてもらった。パソコンに強かったので、それが転機をもたらすことになった。というのも、分譲のマンションの営業担当者は当時約30人いたが、一人ひとりが個人商店主のようなものだった。企画立案、土地の購入、ゼネコンと建築会社の契約、施工進捗管理まで一人で一氣通貫で行う。担当者にとっては面白い仕事だが、ノウハウが横断的に生かされていなかった。
丸紅で分譲マンション開発、得意のパソコンで頭角現す
知見録: そこに小野さんが切り込んだ?
小野: 当時は、パソコンとインターネットを使ってマンションが売れるんじゃないか、という話が社内で上がり始めた頃で、私はいろいろと口を出していた。ウェブはこうすべきだとか、プロモーションはこうすべきだとか。自分で勉強もしていた。すると、「じゃあ、お前がやれ」ということになり、ネットを使って組織横断的に売る仕組みを作るIT推進チームのリーダーに任命された。営業企画的な仕事もくっつけて。
知見録: 営業企画の仕事の中身は?
小野: ネット・プロモーションに加えて、ブランド戦略、CS(顧客満足)、広告費削減などを部門横断で行うこと。「全部まとめて私にやらせてください」と(笑)。
大きな組織としてスケールメリットを活かしたかったし、経験やノウハウの共有によって効率を上げたかった。担当がバラバラに発注しているのをまとめるだけで単価が大幅に下ることも目に見えていた。やれば必ず効果が出る状態だったので、楽しく仕事をさせてもらった。実際、部門で使っていた広告費約40億円を17億円減らすことができた。広告代理店にはすごく恨まれたが(苦笑)。
知見録: それにしても、なぜ小野さんが抜擢されたのか。
小野: いろんなことについて声を上げていたからだろう。当時、ジョイントベンチャー方式で大型マンションを造るプロジェクトが流行っていたが、各社がただ集まっても思惑が合わずなかなかうまくいかない。それを、丸紅がリーダーとなって主導的に動き、マンション開発のノウハウも教える代わりに、しっかりフィーをもらうという仕組みを作った。それまでには、ありそうでなかった。
知見録: しかし、商社というのは、事業単位、プロジェクト単位で仕事を進めていく縦割り組織。組織横断的な新しい提案は煙たがられたのでは?
小野: その通り(笑)。ある上司には「ごちゃごちゃ余計なことを言わずに仕事しろ!」とよく怒られた。
知見録: それは性格なのか?既にあるものを、そのままやるというのが氣持ち悪い感じ?
小野: 確かに。ほかに楽しいやり方があるんじゃないか、もっと儲かるんじゃないか、お客さんにもっと喜んでもらえるんじゃないか、みんなもっと楽ができるんじゃないか、ということを、ずっと考えていた。
しかし、新しいテーマばかり与えてもらったので、「ブランディングって、まず何をしたらいいのか?」「広告費を削減するには、どうしたらよいのか?」というレベル感。本を読んで勉強したが、やはりマーケティングのスキルが足りないことを痛感していた。そんな時、グロービスの講師が会社に来てマーケティングを学ぶクラスが開講されるというので受けてみたら、非常にしっくりきた。自社やその業界では初めて取り組んでいることでも、他の業界では既に経験していることだったりすることに氣づき、業界を超えて視野が広がった。それがきっかけとなって2006年にグロービス経営大学院の単科、2007年に本科に入学した。
その頃、仕事では、ダイエーの子会社でギャルのファッションを扱うOPA(オーパ)というアパレル会社の経営統合案件で、丸紅からダイエー経由でOPAに再出向になった。元々は十字屋という山形の老舗百貨店が母体だったが、ダイエーを親会社として数社を合併させ一緒になったもの。社員は約140人、テナント売り上げ規模は900億円くらい。そこで基幹システムの計画立案から開発をやってテコ入れせよという指示だった。
苦難の出向時代、まるで敵が潜むジャングルに落下傘降下
知見録: 親会社のさらに親会社からトップとシステム担当者が送り込まれたというのは…。
小野: 敵が潜むジャングルにパラシュートで飛び降りたという感じ。「商社マンに何ができるんだ?」と言わんばかりの冷ややかな視線で迎えられた。「うちの業界の何を知っているのか?」「小野さんには何ができるの?」「課長らしい仕事をしてもらわないとな」とか、面と向かって言われた。
知見録: 最初から拒絶モードだ。
小野: 正直、かなり傷ついた。しかし、「自分にはグロービスのMBAがある!」と氣を取り直して(笑)。素晴らしい提案を考えて、しっかりプレゼンすれば、みんな分かってくれるに違いないと信じていた。ヒト・モノ・カネの科目をバランス良く受けていたので、クラスで学んだことをすぐに会社で使ってみた。
知見録: すると?
小野: 必ず玉砕してしまう(笑)。
知見録: えっ、突破するのではなくて?(苦笑)
小野: 「それは机上の空論だ!」「この会社には合わない!」などと、厳しく拒絶された。現場の社員、主任さん、課長さん、部長、役員からも白い目で見られた。たぶん、グロービスだとかMBAだとか、カタカナ言葉ばっかり使う小生意氣な商社マンが何を言っているのか、ということだったのだろう。
知見録: そうした関係性は全く変わらなかったのか?
小野: 2年目ぐらいから、少し空氣が緩やかになった。
知見録: 転機は?
小野: ベタだが、みんなと一緒になって現場で汗をかいたこと。元旦の初売りで率先して現場に行き、朝から並んでいるお客様を誘導したり、お茶を配ったり。そのうち「単なる商社マンじゃなくて、うちに溶け込もうとしてくれているんだ」と感じてもらえたようだ。1年間、言葉でロジックを語っても全くダメだったので、「私はOPAの一員です」という氣持ちを分かってもらえるよう、とにかく現場で汗をかいた。
いくら理屈を言っても、周りの人が動かなかったら仕事は動かないし、会社は動かない、成果も出ない。それを生身で学んだ。お酒もしこたま飲んだ。一緒に馬鹿をやって仲良くなった。「人間はやっぱり、これなんだ!」と思った。小野って良い奴だ、彼が何か言っているなら聞いてやろう――。そんな人間関係を作らないと現場は動かない。
140人、900億円ぐらいの規模の会社だから、動き始めると速い。社員全員の顔もキャラクターも覚えられるから、1つの船に乗っている感じがあった。前半はすごく辛くて、グロービスのクラスで学ぶ理想の高さと、自分がやっている現場のレベル感とのギャップを埋めきれなかった。メンタル的にかなり凹んでいた時期もあったが後半は楽しくなっていった。
知見録: OPAにはどのくらい在籍したのか?
小野: 3年。1年目がシステム構築、2年目が中国への新市場開発。3年目はリスクマネジメントの体制づくり。だが仕事の成果としては不完全燃焼のまま終わってしまった。
2010年に丸紅に戻ると同時にグロービス経営大学院も卒業した。不動産関連事業部でグループ会社との調整役を1年やった後、人事部に異動になった。営業部門のMBAホルダーを何人か集めてキャリア開発課というものを作り、社員育成の仕組みを作る狙いだった。モノ、カネをやり、今度はヒトがやれるということで喜び勇んで異動したが、実際の仕事は物足りなくて悶々としていた。
知見録: 何が嫌だったのか?
小野: 社内規程、ルールブックに従って、決められたことを決められたようにやる仕事の繰り返しだったからだ。仕事のやり方は完全にでき上がっていて、部品になることを求められた。
就活学生に対して私が話をすると、営業経験があるから受ける。就活セミナーなどで引っ張りだこになったが、途中で氣がついた。「俺、過去の話しかしていない…」と。過去の武勇伝を面白可笑しく切り売りしているだけで、この先何年も人事で生きて行くのかと思ったら氣持ちが暗くなった。
そんな時、グロービスの仲間がヘッドハンターの会社を紹介してくれて、色々な案件の中に日本管理センターの募集があり、すぐ社長に会った。
請われて転職、新たなスタートを切る
知見録: 最初の印象は?
小野: 変な社長(笑)。面接というのは、面接される側が6~7割話すものだと思うが、うちの代表の武藤(英明氏)は99%しゃべり続けた。会うなりパソコンを出して、「小野さん、うちはこういう会社で、こういうところがすごくて…」みたいな話を始めて止まらない。圧倒された。すると、「ぜひ、もう1回会いたい」と言われ、今度こそ自分の話を聞いてもらえるのかと思ったら、2回目もずっと武藤さんがしゃべっている(笑)。
知見録: 小野さんの何が武藤社長に刺さったのだろうか?
小野: それが良くわからない(笑)。あなたのここを見込んでみたいな話はなかった。面接、会食で5回会った後、「ぜひに」と言われた。
知見録: 小野さんは何に惹かれた?
小野: 賃貸管理・サブリース業という地味であまり儲かるイメージが無い業界でたった9年でジャスダックに上場した、という事実と実績に圧倒された。そして、本業が強いということ。今から本業と並び立つような新規事業を立ち上げてほしいというのが私に対するリクエストであり、合理的だった。
知見録: それに対して小野さんは?
小野: IT推進・営業企画でのハンズオン的取り組みや、OPAでの中国事業の立ち上げの経験について話した。企画を立てるだけで、その後を人に任せるということが性分に合わない。やり切って、仕組み化して、私がいなくても回るところまでやりたい、と。
何をやるかは自分に任せてほしい、そして2~3カ月の猶予が欲しいと頼んだ。その間に現場を見て、お客さんやパートナー会社にも会い、自社の強み・弱みを勉強させてもらい、2~3カ月後にプレゼンをさせてほしい、と。
2011年の年末に決まり、2012年4月1日に日本管理センターに入社した。
知見録: 2011年と言えば東日本大震災が起きた年だが、小野さんの氣持ちが動いたことに関連しているか?
小野: 関連はある。人事として丸紅の新入社員たちを被災地に連れていくというボランティア研修をやった。その時に阪神大震災を思い出した。「あれ、俺はあの時、いつ終わるか分からない人生をみんなの分も含めて懸命に生きるって誓ったんじゃないのか。その思いを忘れていないか」と思った。
知見録: グロービス経営大学院で学んだことの影響は?
小野: めちゃめちゃ大きかった。いろんなことを知っているのに、いろんなことを経験しているのに、俺はなぜくすぶっているのか。ヒト・モノ・カネの全てを駆使して、新しいものを作りたいという思いが日増しに強くなった。グロービスで私は人の3倍勉強したと思う。首席で卒業し、卒業式で答辞も読ませてもらった。頑張っている姿は妻と子供も見ていてくれた。だから、転職について最初は反対されたが、最後は分かってくれた、と思う(笑)。
知見録: さて、丸紅を辞め、日本管理センターでの一歩を踏み出した。どんなスタートだったのか?
小野: 部下1人、秘書1人の社長室を作ってもらい、2カ月で現場を見て回った。いろいろな人の話を聞き、グロービス経営大学院で学んだフレームワークを駆使し、SWOT分析やアンゾフの成長マトリクスに情報を埋めていった。
リサーチ結果を3年スパンの事業計画にまとめた。自社の強みを活かすために、いつまでに、何を、どのような順番で実行していくかいうタイムスケジュールも作った。プレゼンをしたら、そのまま採用され、即、実行フェーズに入った。
日本管理センターの本業は住宅のサブリースだ。空いているマンションやアパートを丸ごと借りて、お客さまを入れ、オーナーに一定以上の賃料収益を送金する受託事業である。物件を借り上げてくる営業マンたちが全国に40人いる。彼らはサブリースの営業としては本当にスーパー営業マン達なのだが、それとは違う新しい事業にはすんなりとは馴染んでもらえなかった。
知見録: どういうことか?
小野: サブリース物件のオーナーが全国に約4600人いらっしゃる。その中には、賃貸経営に疲れたので物件を売りたいとか、逆に買いたいという方がたくさんいらっしゃる。私は、売りたいオーナーと買いたいオーナーを仲介させていただく売買仲介を新規事業として立ち上げようとしていた。
スーパー営業マンたちも勝機があることには氣づいていたが、オーナーに対して「借り上げたい」とは言えるが「売ってほしい」と言うのに抵抗感があった。「俺の物件を売っぱらうつもりか!」と、オーナーに怒られるのではないかと。
まずは営業マンたちに同行した。売りませんか、査定してみませんかと提案してみる。オーナーは怒らない。むしろ喜んでいる。そういう生の反応を見せていった。社内評価制度も変えた。借り上げよりも売買のポイントを大幅に上げた。査定を切り出す心理的な抵抗を下げるために営業キャンペーンを仕掛け、査定1件当たり数千円のボーナスを支給した。
やってみるとオーナーは喜び、借り上げだけでなく売買の提案もできるのかと、むしろ営業マンに対する評価は上がった。売買仲介サービス「イーベスト」(小野氏が社長を務めるJPMCアセットマネジメントの事業)を開始したことで、営業マンの意識も大きく変わった。
知見録: OPAの話と繋がっているように思える。
小野: 日本管理センターとOPAは会社の売り上げ規模が似ている。社員数も百数十人だから、社員全員の顔が分かる。数千人規模のタンカーでは、逆向きに漕いでいる社員とか寝ている社員がいても、なんとかなる。だが、百数十人の船では、みんなが必死に漕がないと前に進まないし、下手をすれば沈んでしまう。その点でOPAでの経験が日本管理センターへの参画する決め手になったのかもしれない。
もちろん、小さくても組織だから、組織を動かしているキーマンとの信頼関係を構築することが大切。日本管理センターでは、武井大取締役専務執行役員が現場叩き上げのカリスマ番頭だ。下からも上からも社外の関係者からも信頼感絶大で、現場のことは何でも知っている。
合氣道とMBAのおかげで今の自分がある
知見録: そうしたキーマンとの信頼関係構築能力はどこから来ているのか?
小野: 合氣道がとても役に立っている。
知見録: ほお?
小野: 空手はぶつかり合いだが、合氣道は相手が来たところを受け流す。。これを「沿いつつずらす」と言う。自分の持っていきたい方向にずらしていって、相手が氣がついた時には倒れているというのを狙う。だから、相手を潰してやろう、倒してやろう、腕を折ってやろうなどという氣持ちがあると駄目で、相手といかに一体になるかがポイント。
それは仕事も全く一緒だ。相手は何を感じていて、何を求めているのかを考える。全く同化してしまうと引きずり込まれてしまうので、心から共感し一緒になりつつも、「こっちだよね」と沿いつつずらすということを仕事でも意識している。
例えば会話する時、相手と同じようなトーン、同じようなペースで話をする。相手がゆっくり話しているのに、こっちがワーッと早口でまくし立てたら、信頼関係は作れない。合わせながらも、少しずつ自分のペースに沿いつつずらす。
ただ、「相手をコントロールしてやろう」と思ったらダメ。相手の氣持ちを慮り共感し、「あなたの言うこともわかります。でもこちらの方があなたの為にもなるよね」と心底から思いつつ、
オプションを提供することを心掛けている。
知見録: 合氣道は、いつ始めたのか?
小野: 早稲田大学の1回生の時から同好会で。高校の時には空手をやっていて、東京都の社会人大会でチャンピオンになったが、自分の体格では世界チャンピオンにはなれないと思った。自分でもやり抜ける武道ってなんだろうと調べてみると、合氣道で達人と呼ばれる人はそれほど大きくないことが分かった。
合氣道では大学の時に学生大会で3位になり、社会人大会で優勝した。30歳前に世界大会にも出て3位になった。
知見録: 世界大会で3位は凄い!今もトレーニングを?
小野: 続けている。早大の同好会のコーチと、OB会の幹事長を昨年までやっていた。
知見録: 合氣道は小野さんの人生の軸のようだ。
小野: 合氣道も仕事も一緒だと思っている。コミュニケーション、信頼関係の作り方、物事を学び、鍛錬し、上達するコツ。目標設定をして、その目標に対してどういうアプローチをしていったら最短距離で到達できるのか――。そういうことを武道が教えてくれた。高校の時に空手で教えてもらい、大学受験の時にそれを使い、大学で合氣道をやって丸紅の仕事で使い、グロービス経営大学院の学びでもそれを活かした。
知見録: キーマンとの関係性を作るという点をもう少し掘りたい。
小野: キーマンを好きになること。武藤社長や武井専務は自分に無いもの、決して真似できないものを持っている。尊敬して、好きになる。心がけているのは一緒にする食事の回数だ。夜のお酒を1回がっつり行くよりもランチを2回行ったほうがいい。一緒に飯を食う、他愛のない話をするということが人間関係を作っていく。
「この人すごいな」「自分は逆立ちしてもかなわないな」という人がいる。じゃあ、どうしたら良いところを盗めるだろうか。自分との差や違いとは何だろうか。自分に何が足りないんだろうか。そういうことを考えている。
知見録: やはり、武道に繋がっているようだ。小野さんにとって武道とは何か?
小野: 人生そのもの。武道に出会うまでは本当に駄目な人間だった(笑)。人生に温もりを与えてくれたもの、かな。小学校の時に、野球、サッカー、水泳、中学で野球部に入ったが、球技は私、全く苦手で(笑)。高校に上がった時、消去法で空手を選んだ。ブルース・リーが好きだったというのもある。
最初は、見返したいとか、強くなりたいとか劣情から始めたようなところがあった。でも、始めてみると、そんなことはどうでも良くなっていく。やればできる、頑張ればうまくなれる、強くなれる、ということを武道に教えてもらった。
合氣道のある先生が素晴らしいことを言った。「合氣道の最強の技は何か?自分を殺しにきた殺し屋と仲良くなることだ」。殺し屋と仲良くなれるんだったら、仕事で誰とだって仲良くなれる。
来年の春に自宅を新築するが、実はその中に道場を作る予定だ。
知見録: えっ、道場を自宅に?
小野: 16畳くらいの畳敷きの道場。合氣道の練習には畳の道場が必要だが、都内でも稽古が出来るところは非常に限られている。ずっと何とかしたいなと思っていた。かみさんがバイオリンの先生なので、バイオリンのレッスン室と隣り合わせで。
知見録: じゃあ、仕事の方を引退したら「小野塾」みたいな道場で教えたり?
小野: 考えている。古典も好きなので、できれば論語などを教えつつ。クリティカル・シンキングやマーケティングも教えてもいいかもしれない。
知見録: 寺子屋だ!
小野: 松下村塾みたいなことをやりたいというのが、近い将来の目標だ。
知見録: 素晴らしい。朝、神棚を前に正座して瞑想したり。
小野: それ、ぜひやりたい(笑)。
知見録: 奥さんは何と?
小野: 喜んでいる。これができるのは、合氣道のおかげだし、丸紅で経験を積ませてもらったおかげだし、グロービス経営大学院で学ばせてもらったおかげだし、転職の機会をいただいたおかげ。全てに感謝しているし、ささやかでもお返ししたいと思っている。
先日、グロービス経営大学院のOB会に参加した時、卒業生の皆さんの前でかなり厳しいことを言った。グロービスの先輩たちに憧れて入学し、卒業したのだから、俺たちも後輩から憧れられる存在にならなければいけない。そして、自分が今、こういうポジションでこういう活躍ができるのはグロービスのおかげだということを人前で言い続けよう。俺は言っているぞ、と。
知見録: 縁と恩を繋げていくということ。
小野: そう。グロービスはアジア・ナンバーワンを目指している。学生の数も必要だが、卒業生が結果を出すことが一番大事。結果を出し続けるためには、みんなの前でコミットすることと、グロービスのおかげだということを言い続けて次の世代を巻き込んでいくこと。それがグロービスで学んだ者が持つべき氣概だと思う。私は仕事で月に5~6回、セミナーで講演するが、必ずグロービス経営大学院の話をしている。
皆さんの前でお話できるのは、合氣道とグロービスのおかげだと思っている、と。かなりの宣伝効果を上げていると思う(笑)。
知見録: ありがとうございます(笑)。合氣道との組み合わせが嬉しい。親和性がある。
小野: すごくある。グロービスの中村知哉先生も「氣と経営」というコラムを書かれている。道場は春に完成するが、親父が非常に喜んで道場に命名したいと言い出して困っている(笑)。親孝行を取るべきか、自分の思いを貫くべきか大いに迷っている(笑)。
M&Aは総合格闘技、グロービスでその面白さを学んだ
知見録: 話を戻すと、サブリース中心だった日本管理センターのビジネスに、小野さんが「売買」を足し込んで…。
小野: 社長室で1年やらせてもらい、売買事業の目処が立ったので、アセットマネジメント事業部を立ち上げさせてもらって1年、新会社JPMCアセットマネジメントとなって1年と、事業を拡大してきた。
皆さんのおかげで仕組みができて、自然にビジネスが回るようになった。今、不動産を所有している資産管理会社ごとM&A(企業の合併・買収)するという新しいスキームに挑戦している。会社ごと売買すれば、不動産取得税、登録免許税などの税コストがかからないというメリットがある。このビジネスを盛り上げていきたい。
知見録: そこに目を付けたのも小野さん?
小野: 丸紅時代からやりたいと思っていた。以前から需要はあったのにプレーヤーがいなかった。不動産のことが分かる会社、M&Aのことが分かる会社はあるが、両方できる会社って意外となかった。
知見録: その思いに火をつけたのは何か?
小野: グロービスの学びだ。ファイナンスの授業を受けてM&Aは面白い、やってみたいと思った。M&Aと自分の仕事をどうやったら結びつけられるかを考えていた。M&Aはビジネスの総合格闘技だと思う。ヒト・モノ・カネ・情報、全てのことを熟知して総力でかからないとうまくいかない。
知見録: 社会課題の解決とか、社会的な価値創造とかにも繋がってくる?
小野: 生きていないような法人、生かされていない不動産が流動化することによって生まれ変わる。そこに息を吹き込むことの喜び。不動産を動かすと大金が動く。大金が動けば、人も物も全てが動く。つまり社会が動く。
不動産を売りたくても売れない人、買いたくても買えない人は、世の中にたくさんいる。それが流れるようにして、不動産売買を活性化させれば、日本経済全体が良くなると思う。
地方の不動産を活性化して動かそうとしている。弊社は47都道府県にくまなく借り上げ物件を持っているが地方の物件はなかなか売れない。オーナーが売りたくても相談する相手がいない。地元の業者さんは地元でしかさばけない。私たちが今やろうとしていることは、北海道・旭川のマンションを東京のオーナーに買ってもらうというようなこと。東京の物件に投資するよりも地方の方が利回りが良いことが少なくない。地方の売り手も東京の買い手も双方が喜んでくれるし、今まで動かなかった地方の不動産が動く。すると、カネ、ヒト、モノが全部動く。そういう流れを作りたい。
知見録: 最後に1つ。小野さんの人生の夢は何か?
小野: 子どもっぽいことを言うと、合氣道の達人になりたい。合氣道をもっともっと、うまく、強くなりたい。その合氣道を仕事に活かし、他のこと全てにも活かしたい。仕事を通じて日本や世界を良くしていきたい。
知見録: ぜひとも、実現していただきたい。道場にもおじゃまさせていただく。ありがとうございました。
(注)「メでは閉めるという意味になる、氣は米で外に発散しなければならない」が亡き師の教え――という小野氏のご要望により、本文中、気→氣と表記しています。
グロービス アルムナイ・アワードとは?
「グロービス アルムナイ・アワード」は、ベンチャーの起業や新規事業の立ち上げなどの「創造」と、既存組織の再生といった「変革」を率いたビジネスリーダーを、グロービス経営大学院 (日本語MBAプログラムならびに英語MBAプログラム)、グロービスのオリジナルMBAプログラムGDBA(Graduate Diploma in Business Administration)、グロービス・レスターMBAジョイントプログラムによる英国国立レスター大学MBAの卒業生の中から選出・授与するものです。選出にあたっては、創造や変革に寄与したか、その成功が社会価値の向上に資するものであるか、またそのリーダーが高い人間的魅力を備えているかといった点を重視しています。詳しくは、こちら→「グロービス・ニュース 学びを成果につなげるためには? ――MBA志士4人からの助言」。