MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している。今年、「変革部門」で受賞したアルインコ社長の小山勝弘氏(グロービス経営大学院2009期生/大阪校)に、MBAの学びをどのように活かしたのかについて聞いた。(聞き手は、GLOBIS知見録「読む」編集長 水野博泰)
知見録: グロービス アルムナイ・アワード受賞、おめでとうございます。まずは感想を伺いたい。
小山: すごく嬉しい。リーダーの価値イコールその組織の価値だと思っているので、この賞はうちの会社に対していただいたものだと思っている。
知見録: 社員の皆さんは何と?
小山: グロービス経営大学院に通っていたことを社内ではあまり言ってこなかったので、アルムナイ・アワードの受賞よりも、「社長をやりながらあの経営大学院に通っていたんですか!」という驚きの声の方が多い。グロービス経営大学院は「虎の穴」みたいな厳しい所だと見られているようだ(笑)。
知見録: 正しいイメージかもしれない(笑)。なぜ、社員に言わなかったのか。
小山: グロービス経営大学院に通い始めた時はまだ社長になっていなかったし、シンプルに自分のビジネススキルをもっと上げる必要があると感じていたのが入学動機で、あくまでも個人的なことだと思っていた。2007年にアルインコに入社して1年ぐらい経った時に受講を開始した。
知見録: 前職は?
小山: トーメン(現在の豊田通商)で商社マンをやっていた。最後はアメリカ西海岸に駐在していて、MBA(経営学修士)、CPA(米国公認会計士)、ロイヤーといった高学歴集団の中にいた。商社マンとして海外駐在経験はあったし、大きなプロジェクトを動かしたり、ベンチャーの取締役を務めたりと、一通りの経験をしてきたので怖さはなかったが、その頃からビジネスを体系的に俯瞰する力を強化したいという気持ちはずっと持っていた。
知見録: 大学での専攻は?
小山: 理工学部で機械工学を学び、新卒でトーメンに入社した。1990年、バブル経済のど真ん中。ところが、最初は経理部に配属された。
知見録: 理系で商社に入って、しかも経理部門?
経理部からスタートした商社マン時代
小山: そう。人事にも文句を言った。営業をやりたくて、プラント関係の仕事をやりたくて商社に入った。そもそも、経理の知識を持っていない、と。バブル時代なので新人も強気だった(笑)。すると人事の責任者から、「ビジネスを動かすには、まずは金勘定が大事だからやってみろ。必ず、ああ良かったと思う時が来るから」と説得された。というよりも、つべこべ言わずにやれという感じ(笑)。そうこうして4年ぐらい経った時、発電事業への異動辞令が出た。「技術の知見があり、体力があって、数字が分かる奴がほしい」ということだったらしい。経理の経験もまんざらではなかった(笑)。
新しい仕事は、火力発電の事業化プロジェクトで独立系発電事業者(Independent Power Producer、IPP)として企画立案からパートナー探し、人材集め、資金調達、建設、運用までを推進し、利益を出していくというもの。フィリピンで数件の立ち上げに携わった。まさに商社マンの醍醐味で、「うわっ、キタ~」という感じだった。
中国やパキスタン、インドネシアにも拠点を作り、そのうちにシンガポールに持株会社を作って上場しようということになり、マニラからシンガポールに移った。そうしたら、アジア通貨危機が起きた。
知見録: 1997年。
小山: 上場計画は吹き飛んでしまったので、日本に帰国することになった。31歳か32歳の時。すると、日本国内で風力発電事業プロジェクトを立ち上げるという計画があり、IPPの経験がある僕は国内風力に移ることになり、5~6年やった。
知見録: トーメンさんはアメリカで風力発電にかなり力を入れていた。
小山: そう、1990年くらいからやっていたので、そのノウハウを日本に持ってきた。僕は宮城県出身という理由だけで東北を担当した。風車のレイアウトや設備選定、資金調達もやるし、地元調整もやる。楽しかった。
知見録: 地元の利害調整というのは楽しいものなのか。
小山: 知識や道理、カネだけでは通らない世界。自分の全人格をフル稼働させないと動かない。それを動かしていくという仕事が自分には合っていた。夜10時くらいに地主の家にお邪魔して、一緒に酒を飲んで、土地の話ができるのは24時を過ぎてから。土日、祝日もなく、通い詰めた。
あの辺りの風力発電に適した土地は共有地になっていることが多い。境界問題で隣近所が100年にわたって喧嘩しているなんてことが、あちこちにある。しかし、プロジェクト・ファイナンスを成立させるためには、土地の境界を決めなければならない。「決めたくねえよ」と言われても、決めてもらわなければならない。そういうところに切り込んでいくのが僕は楽しかった。
僕は、ある地主の家に住み込んでいた。そこは民宿をやっていて競合相手も訪ねて来る。ここは絶対に譲れないと思ったので3年間そこで寝泊まりした。陣取り合戦みたいなもの。東京に妻子を残しての単身赴任だった。その地主さんは地元の名士みたいな人で、そんな人が他にも何人かいた。その当時で多くは60代。僕は30代前半だから息子みたいなもの。それぞれ自分の人生に自信があって「俺はこうなんだ」という芯が通っていた。そこでは相手をしっかり受け入れて、その後に自分を受け入れてもらうことの実体験が重ねられた。
そうすると会社でも成果が出てくる。上司が「小山、次はどこに行きたい?」という話になって迷わずアメリカを希望したら、風力発電事業の拠点があったカリフォルニア州サンディエゴでの駐在が決まった。今度は家族と一緒に約4年間駐在した。
知見録: アメリカでの4年間で、小山さん自身に何か変化はあったのか?
小山: ビジネスの「仕組み」を作ること、「合理的」な判断をすること、リスクを「定量化」すること――といったことを、以前よりも深く考えるようになったと思う。フィリピンでIPPに取り組んだ時に、1人でやれる仕事は限られているということを知り、組織で動くこと、チームワークで動くことの大切さを知った。東北では全人格いわゆる人間力のダイナミズムを身を持って体験した。アメリカでは「仕組み化」とか「合理性」の底力を学んだ。
最近になって、こういう学びの根底には、漁師の家系に生まれ育ったという僕自身の生い立ちがあることに気づいた。親もいとこも漁師で船の仕事を幼いころから見聞きして育った。漁船員は組織の一員であり、時化の時1人でも自分の役割を果たさないと船は沈んでしまう。生と死、組織観、人生観のはしりを幼い時に感じていて、それが自分の価値観、判断軸のベースを作ってきた。アメリカに行って、そのことに改めて気づくことができた。アメリカでは、組織は極めて緻密に作られているということ、アメリカという国そのものがよく作り込まれた組織であるということを知った。
根底にある船乗り気質
知見録: そうした学びを収穫として、帰国し、商社を辞め、アルインコに入社した。
小山: はい、創業オーナーの娘婿なので、以前にも「来ないか」と言われていたが、その時はまだ商社マンとしてやりたいことがあったので一旦は辞退した。帰任の際に再び声をかけてもらい、商社の仕事も一通りやり切った満足感を得ていたので、新しいチャレンジをしてみることにした。
その決断の時も、船乗りの気質が自分を引っ張っているのかなと思った。漁師だった父親は、「いつ死ぬか分からない。自分がやりたいことにその都度一生懸命に打ち込め」と言っていた。そういう「打ち込む人生観」みたいなものが自分の中にあって、経理部でも、フィリピンでも、シンガポールでも、東北でも、アメリカでも、常にそういう軸で生きてきたのだと思う。
知見録: 帰国して、アルインコに入社したのが2007年8月。
小山: 最初は仮設リース事業部部長から始め、半年後に経営企画に異動し、その半年後に社長になった。入社時にそういう約束があったわけではない。それまでと同様に、アルインコでの仕事に全人格をかけて打ち込んだ結果が評価されたものだと思っている。リーマンショックによる世界的な景気後退の頃だったので、「こんな時に引き受けて大丈夫か?!」と、多くの方々から心配いただいたが、自分としては、託されたという使命感も強くあったが、やれる自信もあった。
知見録: 社長就任が2009年5月。その前からグロービス経営大学院に通い始めた。
小山: クリティカル・シンキングを単科受講したのが最初だ。
知見録: 企画書も財務分析も書ける、プレゼンもネゴシエーションもできる、スキルも経験もある小山さんが「今さらクリシン?」という印象だが。
小山: 当時もよく言われたが、試しにオープンキャンパスに行ってみて受けた田久保さん(田久保善彦グロービス経営大学院研究科長)の模擬授業で、「知らなかった!こう考えるのか!ぜんぜん分かっていなかった!」というショックを受けた(笑)。こんなことも知らないで、今までよくやってこれたなと、冷や汗ものだった。
2008年の7月期(7-9月)にクリシンを受講して、時間のやりくりができるのか、勉強のペースをどうするかなどを確認し、10月期(10-12月)、1月期(1-3月)にさらに単科を取り、2009年4月に本科入学した。
知見録: グロービス経営大学院での約3年間の学びを通して得たものは何か?
小山: 考え抜くこと、そしてそれを続けることの本当の価値を体で学ばせてもらった。知識は教科書で頭に入るかもしれない。けれども、どんな事柄についても、自分なりに深掘りして考えぬくという「向き合う姿勢」はグロービスに通わなければ身につかなかった。3年間の受講をすべて終えたとき、そういうものが自分の中に残ったことを実感した。
ケーススタディーの授業が終わった都度いい映画を観た時のように気持ちが高揚し帰り道で興奮が冷めやらなかった。そんな「心の揺さぶられ感」と「腹落ち感」を何度も繰り返し味わったのだから、自分の中で何かが変わらないはずがなかった。
知見録: 勉強の時間は、どうやって確保したのか?
小山: 受講は土日にまとめて。勉強は平日の夜。帰宅したら少し仮眠して、11時くらいから3時間。仕事で会食のある日は除いて毎日、お酒も飲まず。特に後半戦は辛いときもあったが、そこは心に決めてやり通した。
知見録: 社長就任当時の課題は?
小山: 課題は自分の心の中にあった。それは、「どれだけ人を信じられるか」「任せられるか」「待てるか」の営みだった。例えば、船で目的地に向かうとする。方位を定めて、誰かが舵を持っている。でも、潮の流れや風の影響で少しコースからズレたりすることもある。船長がそれを許せなかったら、「こうやるんだ!」と絶えず舵を持っていなければならない。船長がやるべきことは、小さなズレを自らの手で修正することではなく、潮や風の大きな流れをしっかり見て大局的な判断をすることだ。
自分が出て行くべきところ、出て行くべきでないところ。出て行かなくていいところに自分が出て行って体力を消耗すべきではない。出て行かなくていいのなら温存しておいて、別のところに目を配ったほうがいい。だが、それを実践するのは簡単ではなかった。
知見録: 小山さんほどの経験豊富な人が「信じる」「任せる」「待つ」を、自分自身の課題感として持っていたというのは意外だ。
小山: グロービス経営大学院で戦略理論、組織理論などを体系的に学んだ今では、実際の事象に直面したときに、それを瞬時に体系化して理解できる。「これは時間が解決する」「これはカネが解決する」「これは気持ちの問題だ」ということを俯瞰的に見通す力が養われた。経営の海図が読めるようになった、と言ってもいいかもしれない。問題となりそうなところを特定して、集中的に議論し、対策を講じればいい。会社にとっても自分にとっても、コスト・時間のセーブになっている。キャリアアップを狙って実績を重ねたい若手・中堅だけでなく、経営トップのように任せる立場の人にとってもMBAの学びは極めて有効だ。
知見録: 小山さんは、これから生涯をかけて何を目指していくのか?
小山: それは模索中だ。グロービスの「企業家リーダーシップ」のクラスでは、“必要とされた場所で、与えられた課題に、全身全霊をかけて取り組むという姿勢で生きていきたい”――漠然と、信条を明らかにした。実は「こうなりたい」という明確な目標みたいなもの到達していなくて、クラスメートの多くは意外に思ったようだ。
自分の可能性を予断を持って決めつけたくない。これまで、その時々に一生懸命になれるものに出会い、そしてその結果として次が見えてくるということの連続だったし、そのスタイルが僕の人生観に一番合っている。
だから、何かと出会ったときに全身全霊で取り組み、全力でチャレンジできるように、耐えず基礎能力は鍛え続けたい。身体を健康に保ったり、頭の回転を速く保ったり、感覚を研ぎ澄ませたり、感情の振れをコントロールできるようにしたり。
人生のすべてはつながっている
知見録: なるほど、そういう準備をしているからこそ、チャンスに対して即応できた、と。
小山: 「選べる」という言い方もできる。プロのアスリートが毎日、腹筋や走り込みといった基礎トレーニングを続けているのと同じだと思っている。経営者やリーダーも基礎的な鍛錬を繰り返していくことで、ここぞという時にパワーを出せる。
ちょっと話がずれるが、アメリカにいた時、クラシックバレエを始めた。バレエをやっていた子供の送り迎えをしているうちに興味が湧いてきて、アダルト・ビギナーズ・クラスに入って、タイツを履いて踊っていた。
知見録: えっ、小山さんが!?
小山: 39歳の時に。そうしたら「なかなか筋が良い。今度ドン・キホーテをやるからドン・キホーテ役として出演しないか?」って声がかかった。ボリショイ・バレエのプリンシパルをやった人が「俺が3カ月間、みっちり指導するから、やってくれないか」と言うので決心した。1000人ぐらい入るホールで、2時間の公演を計10回。ドン・キホーテ役で。DVDを7~8本観て、小説も読み込んで、役作りもした。公演は好評だった。日本に帰国してからも「もう1回来てくれ」と依頼が来た。1回だけ、会社を1週間休んで出演した。会社には言ってなかったけど(笑)。
ちょっと脱線したが、そんなふうにチャンスに出会ったら全身全霊で取り組むもうというのが僕の生き方。思いもしなかった新しい世界がどんどん広がる。こんな贅沢なことは無いと思う。最近は、作詞・作曲の話も来ている。ある少年野球団体のテーマ曲を作ってほしいと。趣味でやってきたものだけど、願わくば、作詞・作曲家としてもデビューしたい(笑)。
新聞にも寄稿したりしている。誰かがそれを見て「こっちにも書いてみないか?」と声がかかるのを待っている。アピールすることも大事だと思っている。
グロービス経営大学院大阪校の卒業式での学生挨拶もやらせてもらった。決して成績優秀者ではなかったが、有り難い話をいただいた。ひょっとしたら「選ばれたらいいな」「選んでくれないかな」みたいなオーラを発していたのかもしれない(笑)。
知見録: 先ほどの船乗りの感覚に近いのかもしれない。太平洋のような広大な漁場を縦横無尽に駆け巡るような。
小山: それはある。「魚のいるところで釣りをしろ」と社内でよく言う。どんなに釣りが上手い人でも、山では魚が釣れない。下手でも魚がいる所なら釣れる。魚の居場所を上手に探すことが釣りでは最も大切だが、そのためには魚の動きをキャッチする感覚と、すぐに漁場に駆け付けられる機敏さが必要だ。自分は、これまでそういう人生の旅を続けてきたし、これからもその旅を続けていくように思う。
知見録: 最後に、小山さんに続く後輩たちにエールを。
小山: 僕は一見すると「回り道」のような人生を歩んできた。幼い頃から船乗りになりたかったので水産高校に行ったが、途中でちょっと違うなと気づいた。でも3年間は船のことをとことん勉強すると決めた。水産高校を卒業してから受験勉強を始めて2年かけて東京の大学に入った。水産高校から普通高校に乗り換えた方が“効率的”だったかもしれないが、それは1つのことを納得感が得られるまでやり抜く、という自分の性分に合わなかった。
万事、そういうことの繰り返しだったように思う。商社で志望と違う経理部に配属されても腐らずにやりきった。そうしたらチャンスが舞い込んできた。フィリピンでIPP事業を手がけたが、シンガポールでの上場計画はアジア通貨危機で水の泡となった。しかし、その経験が東北での風力事業、アメリカ駐在につながっていった。その時々では、次のことなど考えていなかった。今その瞬間にやるべきことを自分自身の全人格を注ぎ込んで取り組んでいた。長期で見るとすべてのことがつながっていて、何一つ無駄なものはなかった。このことに気づかせ自信にしてくれたのも、グロービスでの学びのおかげだ。
懸命に頑張っている皆さんに、こんな生き方視点もあることを知ってもらえれば幸いだ。
知見録: 本日はありがとうございました。
グロービス アルムナイ・アワードとは?
「グロービス アルムナイ・アワード」は、ベンチャーの起業や新規事業の立ち上げなどの「創造」と、既存組織の再生といった「変革」を率いたビジネスリーダーを、グロービス経営大学院 (日本語MBAプログラムならびに英語MBAプログラム)、グロービスのオリジナルMBAプログラムGDBA(Graduate Diploma in Business Administration)、グロービス・レスターMBAジョイントプログラムによる英国国立レスター大学MBAの卒業生の中から選出・授与するものです。選出にあたっては、創造や変革に寄与したか、その成功が社会価値の向上に資するものであるか、またそのリーダーが高い人間的魅力を備えているかといった点を重視しています。詳しくは、こちら→「グロービス・ニュース 学びを成果につなげるためには? ――MBA志士4人からの助言」。