ドラッカーの著作群の中でよく出てくるコンセプトに、「すでに起こった未来」というものがある。変化の兆候を示す出来事は既に起こっているのに、これからその変化が起こっていくという認識が世の中にまだ浸透していない――そんなタイムラグを指す言葉だ。日本におけるベンチャー・ビジネスの盛り上がりは、もしかしたらこの「すでに起こった未来」かもしれない。本書は、明日の「当たり前のようにベンチャーが続々と成功を収める日本」に目を開かせてくれるとともに、そのために必要な資金調達の方法や資本政策について非常に実務的な知見を示している。
長年ベンチャーの世界に身を置き、現在はベンチャーキャピタルのゼネラルパートナーである筆者によれば、2010年頃までは日本のベンチャー環境は悲観的だったが、今では打って変わって活況を呈している。楽天やDeNAといった日本発ベンチャーの成功例の蓄積や、社会の大企業志向の薄れによるベンチャーへの人材供給の好転、情報インフラが充実して人脈づくりやノウハウ共有が容易になったことなどが背景にある。
とはいえ、活況なのは動く資金が比較的少額なシードやアーリー・ステージに限られ、数十、数百億円単位の案件はいまだに多くない。グーグルやフェイスブックといったグローバルなメガベンチャーを次々に生み出すアメリカに比べると、課題が多いのは否めない。
しかし、一見アメリカとは大差がついているようでも、実は単に歴史の進み具合がずれているだけで、これから10年ほどの間に日本も昨今のアメリカ並みの環境へ徐々に近づいていく可能性が高いと筆者は説く。
そこで重要になるのが、シード、アーリー・ステージで、外部から多額の資金を調達するテクニックである。上述のように、比較的規模の小さいステージでは既に日本のベンチャーは活況を呈している。ビジネスアイデアが不足しているわけではない。ベンチャーを志望するヒトも以前に比べれば大きく増えている。あとは、そのビジネスをスケール大きく育てるためのカネの問題というわけだ。
現状の日本では、創業以来の株主と後から入ってくる投資家との間で、成長後のリスクとリターンを上手く分配するスキーム、具体的には優先株(残余財産の分配や配当金の支払い等に関して、普通株に比べて有利な条件を予め付けた株式のこと)等の仕組みが広まっていない点がボトルネックとなっている。見方を変えれば、これらの仕組みに関する知識が普及し、いくつかの実例も積み上がってくれば、ガラリと風景が変わって、それまで無名だったベンチャーによる巨額増資や、小が大を呑むM&Aが頻繁に起こるという日も十分予想できるのだ。
本書の中盤では、投資契約のひな型や株式発行の際の定款条項に関する解説などに記述が割かれ、今まさに株式の発行側、もしくは投資側として実務に携わっている人以外は、ややもすると取っつきにくい印象を受けるかもしれない。しかし、これからの時代、いつ自分がベンチャーに身を置いたり、M&Aに関与したりするか分からない。「ベンチャーの世界では、こういうことを考慮しておくと、巨額な資金調達も可能になるのだ」というイメージを掴んでおくだけでも役に立つだろう。
それだけでなく、巨額の資金調達を可能とする資本政策の実務のイメージを持つことで、ユニークで価値のあるベンチャーが日本の業界秩序を一気に逆転させてグローバルに大きく成長するという、ダイナミックなドラマは決して遠い夢物語ではないと思えてくる。創造と変革を志す読者にとって、やる気を大いに刺激してくれる一冊となるだろう。
「起業のエクイティ・ファイナンス 経済革命のための株式と契約」
磯崎哲也 著、ダイヤモンド社
本体3,600円+税