このコラムの読者は、企業をはじめとする様々な組織で活躍しているビジネスリーダーが多いと思う。しかし、ビジネスの根底にある経済学の基本や原理原則をどこまで理解した上で日常業務を遂行しているかと言うと、100%自信を持ち切れないのが本音ではないだろうか。「経済学は難しい」「興味はあるが具体的にどの様にすれば身に付くのか」「これさえ読めば、経済の最低限が理解できるような一冊はないものか」という声が聞こえてきそうである。
そんな方にオススメなのが、この『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門』。ミクロ編とマクロ編に分かれているが、どちらも身の回りの事例を用いながら、経済学の基本を分かりやすく、かつ、簡潔にまとめている。ここでは、ミクロ編に絞って一部を紹介しよう。
“一人では鉛筆一本つくれない”
例えば、「分業」。鉛筆をつくるためには、北カリフォルニアの森で木を伐採し、工場に輸送して小さく切り刻む。鉛筆の芯は、セイロン島から輸入した黒鉛とミシシッピ州の粘土を混ぜる。鉛筆の外側に塗る黄色い塗料はトウゴマという植物からつくられているので、それを栽培し、輸送し、塗料に加工する。さらに、鉛筆の先についている消しゴムとの接合部分には真鍮が使われているので、銅と亜鉛をそれぞれ採掘し、精錬する。消しゴムは、西インド諸島の植物油やイタリアからやってくる軽石、その他多くのつなぎ物質を混ぜてはじめて完成する・・・
この様な具体的な事例を引き合いに出し、世の中全てのものが「分業」体制で生み出されている事を読者の肌感覚に訴える。さらに、企業は分業することによって自社が得意とする仕事に集中でき結果として業務効率が上がり、規模の経済性が利いてコストダウンを図る事ができ、従業員は1つの仕事に集中するので習熟度が上がる。このような便益を企業や個人が追求した結果、市場経済が発達したと結論付けている。
“魚を与えるか、釣りを教えるか”
この書籍が興味深いのは、「経済学の概念やセオリー」を分かりやすくひも解くに留まらず、市場経済や競争社会がもたらす格差など、いわば負の側面にも光を当て、「あるべき姿」を論じているところである。
「貧困と福祉」の章では、市場経済が貧富の差を生み出しやすいシステムである事を指摘し、何らかの手を打つことの必要性を力説する。金銭的支援をするのではなく、金銭を得る手段やスキルを与えるべきとは分かっていても、いざ貧困問題に当てはめたとき、果たしてこの原則論を杓子定規に振りかざすべきか、葛藤が存在する事を素直に認めている。詳細は割愛するが、こうしたジレンマを心に留めつつ、変化と成長を続ける社会で生きるスキルを身に付けることが重要と結んでいる。
このように、この書籍は実務家である読者にとって参考書的な存在でもあり、現在進行形の課題に対し問いを投げ掛けてくれる指導役的な存在でもある。この書籍と対をなす「マクロ編」でも、上記の特徴が色濃く表れている。併せて読むことで、「マクロ経済学とは巨視的な見方で、単にミクロ経済学を大きくしたものではなく、経済全体を大づかみにする視点である」ということに改めて向き合ってみてはどうだろう。
最後に、著者ティモシー・テイラー氏が語る印象的な言葉を記しておきたい。
「世界経済が直面しているさまざまな問題について検討するとき、私がよく考えるのは、日本の経験から何か学べることはないかということです。(中略)かつての経済成長のようにポジティブな点でも、バブル崩壊後とその後の低迷のようにネガティブな点でも、あるいはグローバル化や高齢化のような変化という点においても、日本経済は世界中の国々に多くの示唆を与えてくれる存在なのです」