2015年9月1日、いったん決定していた2020年の東京五輪・パラリンピックの公式エンブレム使用を見送ることが正式決定しました。
デザイナーの佐野研二郎氏は当初、盗用を疑われたベルギーの劇場のロゴとは無関係であるとし、オリンピック組織委員会も問題なしとしていました。しかし、その後、佐野氏の事務所が手掛けたサントリー賞品のトートバッグのデザインに盗用があるのではという疑惑が湧き、佐野氏サイドは、8月、一部のデザインを取り下げます。これをきっかけに一気にネット上で、佐野氏の過去の仕事に盗用がないかを探す動きが活発化し、さまざまな疑惑が湧きあがってきました。佐野氏や組織委員会も、日に日に増していく疑惑の声に対抗しきれず、ついにエンブレム使用を諦めることになったのです。
今回、佐野氏を追い詰めたのは、一人ひとりは「正義」の意識からなる匿名の一般人です。しかし、こうした「正義」から起きた行動は、正義という御旗を得たがゆえにエネルギーが強く、エスカレートしてコントロール不可能になるなど、かえって好ましくない結果をもたらす危険性を孕んでいます。これが「正義の暴走」です。古くはアメリカの禁酒法なども正義が出発点でしたが、マフィアに密造酒造りという資金源を与えるなど、結果は好ましいものではありませんでした。文化大革命の狂気も、当事者の紅衛兵たちは正義に燃えていたはずです。
現在の日本では、匿名掲示板などが発達しており、また検索技術も進んだことから、ネット上で正義の暴走が起きやすい下地があります。この点を忘れてはなりません。MANGAに代表されるクールジャパンを国策として打ち出している中、過度な正義の暴走が関係者の創作意欲を削ぐようでは国益につながりません。安易に正義を気取らないよう注意するとともに、「適切な正義」の良きバランスを見出したいものです。