103歳になった現在も精力的に表現活動を続ける芸術家、篠田 桃紅の最新作が話題だ。1956年、当時43歳で渡米し、個展を開催。「水墨の抽象画」というジャンルを確立した筆者。すでに40万部をこえるベストセラーとなっており、「勇気づけられた」「このように生きられたら」といった感想も多い。
とはいえビジネスパーソンには、一見違和感すら覚える言葉が多く連なっているようにも見える。
「私には死生観がありません」
「目標は持ちません」
「規則正しい毎日から自分を解放する」
「奇天烈に生き、長寿となった芸術家のエッセイ」のようにも見えるが、そうではない。芸術家だったからこう生きられたのだ、と一言でまとめるにはあまりに的外れである。困難な時代を生きながら、すべてにおいて常識に捕われない生き方をしてきた筆者の道程を辿ると、そこには一つの軸となる言葉を感じ取ることができる。
―「自らに由る』生き方をすること
当時の女性にとっては当たり前だった「くじびき」のような結婚から逃れるために、一人暮らしを始めたこと。生徒を取れるまでに書道を極めたが、「川」という漢字を書くのに、「三本の線ではなく、無数の線、あるいは一本の線で表したくなった」という希(ねが)いから新たな芸術の分野をつくり出したこと。
「自由を求める私の心が、わたしの道をつくりました」とあるように、筆者は自分の感性を信じ、磨き、歩み続けたことで多くの人を魅了する作品を生み出し、認められるようになった。
一人暮らしの決断も、戦後まもない渡米という意思決定も、「心で感じることを信じる」「人に依存しない」「年齢に縛られない」価値観から生まれている。
私自身を含め、多くの人は「年齢を基準に判断すること」や「目標を定めること」「無駄を省きながら効率的に物事を進めていくこと」を当たり前であると思い過ぎてはいないだろうか。あるいは、そうすることで「自分のやりたいことを実現できる」と思い込んではいないだろうか。
とくに女性は、キャリアにおいても人生においても、年齢という基準を考えるなと言われても難しいかもしれない。ただし、「何歳までにこうなっていたい(いなければならない)」と決めつけることは、それ以外の可能性を狭めることにもつながる。
だからと言って、何も考えずに流されているのではない。
「なにかに夢中になる」
「いつでも面白がる」
「『わが立つそま(=自ら立ちうる場所)』に感謝する」
やれることをやる。やりたいことは、どんどんやる。生かされていると思いながらも、一人で立っていることができる人であるために。
困難な時代を生き、100歳を超えた今でも表現活動を続ける筆者の言葉は、安易に求めたり、すがったりできるような「答え」ではない。この時代を生き、何かを成し遂げようとしている私たちにとって、自らに投げかけ続けていかなければいけない「問い」であると感じている。