「小説じつは・・・経済研究所」連載中のグロービス出版局編集委員の佐々木一寿が、マクロの視点からお薦めする3冊。
『21世紀の資本』
トマ・ピケティ 著
計量経済学と理論経済学の見事な融合、そう言うしかない本書は、今年一番の経済学書として衆目の一致するところなのではないかと思います。
経済学は一般に陰鬱なサイエンス(dismal science)ともよく言われたりもします。私としては大いに反論したいところではありますが、そのニュアンスの示唆するところの重要さも理解できなくもないのは、まさにこのような研究を目の当たりにしたときです。
トマ・ピケティの基本的な主張はほんとうにシンプルです。とくに「資本主義の第一基本法則」と訳されている「α=r×β」は圧巻で、資本ストックのβは蓄積された資本のフローに対する割合(6年分であれば600%)、資本収益率rは資本から得られる収益の割合(収益が資本の額の20分の1の額の場合、5%)、そこから導き出されるαが国民所得に占める資本からの所得の割合になるという。
説明されれば、そりゃそうでしょ、あたりまえです、となりやすいのですが、このあたりまえの数式(恒等式)からはじまる資本主義経済の蘊奥への考察は淡々としながらも徹底しており、各国のときに数世紀にも渡る経済指標を参照して実証していくその含蓄の深さは本当に驚くべきものです。その延長線上にある「r>g」についての示唆は、本書(か、ほかのいろいろな書評)をぜひ参照してください。
(ちなみに、なぜあたりまえと頷けるかは、「あなたの年間収益における利子収入の割合は、あなたの貯蓄が年収の何倍あるか、そしてその利率がわかればわかります」と言われているようなもので、年収1000万円で貯蓄が6000万円あり、利息の平均が5%であれば、利息からの収入は30%ですね、ということは十分に理解しやすいと思います)
彼にかかると、クズネッツという(とんでもなく)偉い学者の説が、なんの裏付けもない楽天的な見通しにも見えてしまう。これを、経済学的大事件と言わずして、なんと言えばいいのか、そう思ってしまった世界的な研究者たちも多かっただろうと思います。
もうすこし平易に言えば、なぜウォール街が占拠されそうになってしまったのか(occupy wall street !)が理論的に納得できる内容となっています。
『21世紀の資本』、トマ・ピケティ 著、みすず書房 (2014/12/9発売)
『英エコノミスト誌のいまどき経済学』
サウガド・ダッタ 編
経済学の母国はどこか、に関しては、フットボールの母国と同様、諸説ありますが、もちろんそれらをすべて尊重するとしても、やはり英国だと言ってもいいのではないかと思います。
産業革命の発祥の地でもある英国は、近代資本主義以降の経済学に関しては御家芸であり、アダム・スミス、ミル、リカード、マーシャル、ジェボンズ、そしてケインズを輩出したのですから、これは他国がなんと言おうと、その伝統はプレミアであり、その伝統校たちはプレミア・リーグといってもいいかもしれません。
その「母国」の底力が手っ取り早くわかるのが、英エコノミスト誌(週刊のニュースペーパー)であり、その記者たちのルポ、分析、オピニオンコラムは、問題意識、着眼点、分析の鋭利さにおいて、驚嘆させられるものがとても多いのです。
果たして、学者が記者をやっているのか、それとも、記者が学者でもあるのか・・・。
世界の経済系インテリを唸らせ続ける良質の記事を量産する彼らが、経済の理論と事象のいまがわかるよう数年ごとに書籍として編纂し、タイトルもそのものズバリの“ECONOMICS”とした本書はこれで第3版になりますが、最大の見所は、彼らが推す「次の10年を担う8人の若手スター経済学者」ではないかと個人的には思います。彼らにより1988年に選出されたポール・クルーグマン、1999年のスティーブン・レヴィットは、サッカー界で言えばすでにリオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドのような存在になっていますが、経済学界のネイマールたちは、果たしてどこにいるか。そして、そのプレイヤーたちの得意技は何なのか。気になる方はぜひ最後のコラムからご覧ください。
『英エコノミスト誌のいまどき経済学』、サウガド・ダッタ 編、日本経済新聞出版社(2014/9/26発売)
『シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」』
ネイト・シルバー 著
情報によって未来は予測できるのか、それとも不可能なのか。ビッグデータ時代の到来で、「もうなんでもできるんじゃないか」という期待感もあるなか、非常に冷静かつ実際的に情報学の可能性と限界を論じた本書は、この分野に興味のある方であれば一読に値すると思います。
著者は米の有名コラムニストで、彼がはじめた「538(Five ThirtyEight)」というニュースサイトによる選挙予測報道の精度が評判を呼び、(「なぜサイト名が538なんだ」からはじまる)みんなの「なぜなに」のFAQに答えるために本書を書いた模様(これは私の予想)。
興味深いのは、彼の主張がいわゆる「ビッグデータ」にまつわる一般的な意見と一線を画しているところです。たとえば、データ量がビッグになっても、かならずしも予測精度に寄与しないことがある、そして、その理由は本来シグナルであるデータを、大量のノイズが覆い隠してしまうからだ、と言います(これが本書のタイトルの所以です)。
たとえば、選挙予測についていえば、役に立つのは直前(たとえば数日前)の大規模な投票行動調査であり、かなり早い段階の予想はノイズか、ノイズになりやすい、とのこと。
そのノイズの説明はカオス理論的であり(バタフライ効果など)、それへの対処としてひとつにはベイズ推計的なアプローチが有効だ、というような具体的な指摘は、これまでにない膝打ち感でした。
また、それとは逆に、経済学でいう効率的市場仮説は批判もあるけどなかなかどうして堅牢なんだよ、ということを、多くの人たちのベイズ推計の応酬による帰結だからと動学的にさらりと説明してしまう。
まさに目から鱗でありながら当意即妙という、良書に典型的な、なんともいえない読書体験を味わえる一冊かもしれません。