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「丑寅知命ツアー」~50歳の仲間と巡る種子島の旅

投稿日:2012/07/23更新日:2024/11/25

「50歳になった記念として、一生の思い出になる旅行をしよう」。同い年の仲間が集った場で、そう誰かが言いだし、すかさず旅行のコンセプトをブレストし始めた。50歳なので、「丑寅知命ツアー」と命名することにした。「丑寅」は、僕ら皆、丑年・寅年生まれだからだ。「知命」とは、孔子の「五十にして天命を知る」という言葉から借用した。期間は折角ならば、2泊3日にしよう。「誰もが行ったことが無く、今後も行くことが想定されない離島」に行こう等と意見が出され、日程は7月20-22日と決まり、そのクライテリアに則り、離島の行き先選定が始まった。

佐渡島、壱岐、小笠原諸島等様々なアイディアが出されたが、最終的な候補地は、対馬と種子島に絞られた。本年3月に仲間が集い、目的地を議論した。結果、ツアーの行き先は、対馬に決定した。理由は、「対馬に韓国の旅行客が多く来ているらしいが、その実態を視察したい」という理由と、「秀吉の朝鮮出兵の遺跡があるのでそれを見よう」と言う事だった。種子島は、次点。「もしもロケットの打ち上げがあるならば、種子島にしょう」となった。

種子島出身のグロービスの社員である梶屋氏から、「7月21日に日本最大のロケットのH2Bが打ち上げられる」という地元情報が入った。そこで、その事実を確認することにした。JAXAに問い合わせたら、ロケットの打ち上げ予定が確認され、逆転で種子島行きが決まった。幹事は、その経緯から、僕がやることになった。

旅の計画が始まった。折角種子島に行くならば、福岡でセミナーをして、開業した九州新幹線で熊本に行きクライアントにご挨拶をして、鹿児島で投資先企業を視察するとともに、卒業生とも会おう、等と着々と計画が立てられた。

そして、7月18日の朝、羽田から福岡に飛び、旅程が始まった。午後に九州財界の要人にご挨拶に伺い、夕方は福岡セミナーだ。6年ぶりの福岡セミナーは、大盛況だった。 総勢100名の来場者があり、熱気がムンムンしていた。僕は、夜7時からのスピーチ、そして夜9時過ぎからの懇親会と4時間ぶっ続けで立ちっ放しで疲れたが、気分は爽快だった。そして、中洲での打ち上げだ。6年ぶりの中洲は、相変わらず華やかだった。

福岡セミナーには、福岡出身のGMBAの卒業生・在校生が名古屋校、そして東京校から来てくれた。グロービスの卒業生そして在校生の結束の高さを、痛感できた。

翌朝、九州新幹線「さくら」に乗って熊本へ向かった。この一年強、ほとんどが東北新幹線だった。初の九州新幹線は、熊本まで何と30分程度。あっと言う間だ。

九州新幹線「さくら」の内装は、花柄で華やかだ。アナウンスは、日本語・英語に続き、韓国語・中国語の順番だ。博多から鹿児島までの九州を縦断が、たった1時間20分弱でできる。熊本でクライアントに会い、熊本城の天守閣に登る。近代と戦国時代とを行き来する感覚だ。遠くに阿蘇の山が見えた。

そして、鹿児島に入った。投資先企業のしまうまプリント社の工場を訪問した。その前に多少時間があったので、薩摩焼の里の美山を訪問した。日置にあるしまうまプリントの工場には、数十台のデジカメ・プリント機がところ狭しと並んでいた。現在、デジタルプリントのネットでのシェアは約20%だと言う。一枚5円と言う破格の値段で、業績をグングン伸ばしていた。デジカメ・プリントのご要望は、是非しまうまプリントへお願いします。http://www.n-pri.jp/

夕方グロービスの卒業生と城山観光ホテルで再会した。その間、東京や京都から仲間が集って来た。ホテルでの夕食後には、鹿児島の繁華街の天文館へと繰り出した。二軒はしごして、ホテルに戻った。天文館は、夜中の2時を過ぎても、若者を中心に人通りが絶えない。こんなに活気がある街は、仙台以来だ。九州新幹線が開通して、鹿児島が活気づたと言う。「夜の元気さが、経済と比例する」と、言われる。鹿児島の未来は明るいと確信する。

朝6時に起きて、桜島の眺望を楽しみながら温泉に浸かる。鹿児島の天気は、雨。山の上部が雲に隠れているが、山頂から噴煙がモクモクと上がっているのが見えた。種子島に向かうフェリーターミナルにタクシーで向かい、90分間の高速船の旅だ。
種子島到着。天気は曇り。グロービスの社員梶屋氏のお父様が出迎えてくれた。鉄砲伝来の地でも有名な種子島。ポルトガル船が漂流しているのを曳航して、修理して、出港させたと言う。船の修理の合間に鉄砲の作り方を教わったのだという。だが、どうしてもネジが作れずに苦労したとの逸話がある。

種子島の城があったという西之表市を抜けて、マイクロバスは、東シナ海側を通り、ロケット基地がある島の南種町へと向かう。美しい砂浜を楽しむ。沖に馬毛島が見える。米軍の練習基地として候補に上がっている無人島だ。昭和の初めまでは、人が住んでいたと言う。一方の種子島は、波がいいのでサーファーが増えているのだと言う。

ロケット発射台を見下ろす公園に陣取り、発射を待つ。ラジオが大音声で流れていた。480秒前からカウントダウンが始まる。60を切ったころから、緊張感と期待感で静まった。カウントダウン6秒前にロケットに点火され、はち切れんばかりの黄色い炎とともにロケットが浮き上がり、瞬く間に雲に吸い込まれていった。発射台は、白い煙で覆われゴーという音が僕らを包む。

雲の上から、ゴーという音が鳴り響く。ロケット音の振動の波導で、肌がビシビシ響いているのを感じた。轟音が辺りを包んでいる間に、どこからとなく拍手が湧き上がる。「大成功」と声に出し、皆で拍手をする。宇宙ステーションで、星出さんが「こうのとり」を待っている。いい話だ。ぼくは、以前フロリダで、スペースシャトルの打ち上げを見たことがある。何度見ても打ち上げは、感動する。

打ち上げのあと、JAXAの宇宙センターの敷地に入り、立川理事長にご挨拶をした。ご多忙の中、お時間をとって頂き感謝したい。「打ち上げご成功おめでとう」の拍手から、先ずは会談が始まった。ロケットの目的等をご説明いただいた後に、いくつかの質問を受けてくれた。理事長はこれから記者会見だ。僕らはこれから敷地内の資料館等の視察だ。世界一美しい発射基地だと言う。確かに、ビーチが最高に綺麗だ。

「いい時もあるし、悪い時もある。是非暖かく応援して欲しい」と言う言葉を最後に、案内してくれたJAXAの職員と、門でお別れした。JAXAもJAEA(日本原子力研究開発機構)も双方とも日本を代表する研究機構だ。是非失敗を恐れずに、果敢に挑戦して欲しい。JAXAは、有人打ち上げや軍事上有利になり得る開発を、JAEAは、核燃料サイクルの完成を期待したい。僕ら、国民がやるべきことは、科学者が政治に翻弄されることなく、研究に没頭できる環境を創る事だと思う。

一面さとうきび畑をマイクロバスが走る。亜熱帯の植生が、好奇心をそそる。島内唯一の製糖工場を通り過ぎる。バスは、種子島の太平洋側を北上している。宇宙センターは、南東の海岸に位置する。潮で侵食された洞窟を見学して、これから地元の梶屋家で昼食だ。

昼食のあとに、和牛農家で黒毛和牛育成に関する講義を受けた。この育成農家は、和牛を産み9カ月後にせりにかけることを専業とする。ビジネスモデルとして面白い。

その後、東シナ海で釣りを楽しむ。意外に海は穏やかだ。静かに時が流れて行く。雲の合間に屋久島が見える。僕は、でかいカンパチを一匹釣った。仲間で、合計10匹釣れた。

釣りを終えて、全長12kmの長浜海岸へ。手つかずの自然の海岸線には、人っ子一人いない。ここでひと泳ぎ。海水が実に気持ちがいい。みんなでウミガメを放流する。昨日生まれたばかりのチビウミガメを、海に放流するのだ。僕は、水着のままウミガメと一緒に泳ぐが、すぐに見失ってしまった。いくら探してももう見つからない。頑張れチビガメ!!

ウミガメ100匹ほど放流したが、そのうち一匹でも戻って来れば、幸運だと言う。泳ぎ方も、餌の取り方も教わらずに、大海原へ。チビガメは、本能のまま天敵を避け、生きていく。こういう逞しい育て方を、僕はしてみたい。子供達を、海外へと「放流」するのだ。生き方は、自らが見つけて欲しい。

夕方は、そのまま人っ子一人いない長浜海岸で、BBQだ。夕陽が、東シナ海に落ちる中、海の幸をビールのお供にいただく。本日のディナーのメニュー;昨晩獲れた伊勢海老、ながらめ(あわびの一種)、亀の手、ばー貝、今日釣ったシマアジやカンパチの刺身。お酒は、種子島産の芋焼酎「島の泉」。場所は、砂浜に立てた大きなテントの中。水着で上半身裸。そよ風が気持ちが良い。裸足で砂の感覚を楽しみながらの夕食だ。東シナ海に日が沈んでゆく。

東シナ海が、夕焼けに染まる。浜からのそよ風と潮騒が、五感を刺激する。テントのテーブルの上には、海の幸が並び。東京から来た仲間と地元の人々が、焼酎を片手に談笑する。

海辺が暗くなった。テントの灯りを消し、星を楽しむ。種子島の星は、落ちてくるようで、「手に取れるかのような」錯覚をするほど、鮮明に見えると言う。当初は、ちょっと薄曇りで、島民からすると不満があったようだ。島民の男衆が「めでた節」を唄ってくれた。僕らの50歳のお祝いだと言う。盛り上がった。

ほろ酔い気分で、一人海辺を歩く。木の棒が、ところどころに立っていた。ウミガメが産卵した場所の印だ。砂上で、静かな時を過ごす。ふと夜空を見上げる。星が迫ってくる。テントに戻り、「空が晴れた」と報告をした。電気を消し、しばし皆で星を堪能する。ミルキーウェイも綺麗にくっきりと見えていた。

砂浜のBBQを撤収し、近くの町営のキャンプ場の宿泊施設へ。何と宿泊費2000円で、大部屋一部屋での雑魚寝である。大の大人が、共同作業でふとんを敷き、交代でお風呂に入り(タオルもシャンプー・リンスも無い)、そして今から部屋飲みの二次会だ。晩遅くまで飲み、語り、雑魚寝した。こりゃ確かに「一生の思い出になる旅」だ。

丑寅知命ツアーの3日目。朝食は、種子島牛乳を飲みながら海の幸だ。そして、マイクロバスで、移動だ。運転手は、梶屋氏の幼馴染の笹川さんだ。相撲が島内一の腕前だったと言う。

向かっているのは、フルーツ園だ。フルーツと言ってもナシとかベリーではない。マンゴー、パッションフルーツ、ドラゴンフルーツだ。マンゴー畑を見学。ミツバチを使って交配するのだという。マンゴーを試食した。種子島産がとても人気があると言うことに納得。思わず衝動買い。パッションフルーツとドラゴンフルーツの農園をみせて頂き、それぞれを試食。とれたてのパッションフルーツやドラゴンフルーツが、これほど美味しいとは思わなかった。何よりも色が鮮やかだ。

フルーツ園から一時間弱ほどバスに揺られた。目的地は、種子島の北端に位置する浦田海水浴場だ。種子島で一番美しい海と言われている。そこで、仲間とひと泳ぎ。透明度が高い水と、白砂の砂浜、緑の丘陵、と青い空。2時間弱、この地でのんびり。天気は、快晴。

ランチは、種子島最高のホテルの8階で港を見下ろすレストランだ。地産地消の食事を堪能し、仲間で50歳になった「知命」の抱負を語り合った。昼食を終え、種子島港へ。帰路につくにあたり、一抹の寂しさがこみ上げてきた。港で記念写真を撮り、お世話になった梶屋家のご両親と運転をしてくれた幼馴染の笹川さんにお礼をする。高速船が岸壁を離れても、僕らの姿が見えなくても、手を振って別れを告げる3人の様子をみると、ジーンと感じ入るものがあった。高速船は、鹿児島へと向かう。

大隅半島が見え、桜島が近づき、高速船は、鹿児島港へ。バスで鹿児島空港へ移動し、そのまま羽田に向けて飛び立つ。桜島からは、相変わらず白い噴煙が立ち上がっていた。

鹿児島空港の居酒屋で、焼酎で最後の祝杯。ここから仲間が、伊丹そして羽田へと帰っていく。明日からまた、俗世間における奮闘が待っていた。50歳は、「天命を知る」だ。50歳にして初めて知る天命とは、何か。種子島でそれぞれに感じたものを胸に、明日からの新たな挑戦が始まる。

2012年7月22日
鹿児島発羽田行きのフライト内で執筆
堀義人

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