雪道を歩くと、さくさくと黒革製のスノーブーツから音が伝わる。吐く息が白くなり、顔に戻ってくる。辺りは、早朝なのにも拘わらず暗い。アルプスの山を見ると、山の端が明るくなっているのがわかる。コバルト色の空が広がり、天空まで見あげると濃紺色の暗さが残る。そこに白い三日月が、ちょこんと鎮座している。僕は、坂を下りて、シャトルに乗る。ダボスに戻ってきたことを痛感する。
今年のダボス会議は、2011年1月26日から30日まで開催された。ソーシャルネットワークの浸透もあり、チュニジアに続き、エジプトでもデモが発生している。世界は中国を含めての新興国の台頭による新たな秩序を模索している。今年のダボスは、「規範の共有。新たな現実」と題され、新たな現実の中、共有されるべき規範とは何か、を模索することを主眼としていた。
今年のダボスは、例年に比べて多くの国家首脳が参加する異例の場となった。ホセ・カレーラスの美声の後に、早速登場したのが、ロシアのメドベージェフ大統領だ。冒頭に、直前に発生したモスクワの空港テロの犠牲者を追悼するため起立して、黙祷から始めたのも、「新たな現実」の一つであろうか。
ただ、ロシア大統領のスピーチは、正直言ってつまらないものだった。官僚が書いた原稿を、下を向きながら読みあげているだけだ。冗長且つ言葉が無為に流れている感じだ。大国を経営している気概が感じられない。僕を含めて、数多くの人が退席する事態となった。
このダボスの場では、こうやってリーダーが評価される。そのリーダーの力量によって、その国・企業に対する姿勢が変わるので、株価も動くし、為替も変動する。メディアがトップの言葉に耳を傾け、報道するので、世論も動く。当然、その後の外交にも左右する。そういうリーダーが集い、発信する場なのだ。
ウィキリークスに漏れた米国の公電によると、「プーチン首相はバットマンで、メドベージェフ大統領はロビンだ」と言う。僕は、その公電の比喩に納得しながら、大統領の空虚なスピーチを聞いていた。
翌日登場したのが、英国のデービッド・キャメロン首相だ。彼は、野党党首の時代からこのダボス会議に参加していた。僕も、昨年彼を見て、必ず首相になると予言したほどだ。
昨年のブログ「ダボス会議2010〜(6)ダボス3日目の風景」 の言葉を引用しよう。「キャメロン氏は、僕の印象をはるかに超える存在感を発揮していた。発言は、慎重に言葉を選びながら行っているが、明確に主張すべきは、主張していた。知性もあるし、愛嬌もあった。彼が、今年英国の首相になるのは、ほぼ間違い無い気がしていた。やはり、欧州の政治のトップリーダーは、大舞台での言動には慣れている」
昨年パネルディスカッションの一員として参加したキャメロン氏は、今年は、「スペシャル・アドレス」の大舞台で、独演をすることになった。殆ど原稿を見ずに、熱く語りかけてくる。
「起業家精神が大事だ。欧州のベンチャー・キャピタルは、米国の7分の1だ。イノベーションと経済のダイナミズムが重要だ。英国は成長を最重要課題に決めた。そのために社会保証を犠牲にすることをやむなしと考える。簡単ではないが、やらなければ、未来がない。教育費は削減しない」。
とても明確だ。福祉を犠牲にしても、成長を目指す。そのためには、起業家精神が大事である。ベンチャー・キャピタルに言及したのは、先進国の首脳としても初めての気がする。それだけ、強いコミットメントが示されていた。質疑応答も、会場の参加者を自ら指しながら、進めていた。よほど自信があるのであろう。
中国人の参加者より、キャメロン首相へ質問があった。「スピーチの中で、中国のことに一回しか触れなかった。中国のことをどう思っているのか」。それ以降、キャメロン首相は、何回触れたかを、ジョークに使うようになった。ここでは、参加者や質問の質も評価の対象なのだ。キャメロン首相は、期待以上にダイナミックだった。
そして、次に登場したのが、米国財務長官のティム・ガイトナーだ。前日は、サルコジ大統領とインドネシア大統領(ASEANの議長国)が喋った。皆が、ダボスを重要な場と認識していることが、国家主席の面々からも理解できる。
ガイトナー長官の言葉には、深みと重みを感じられない。賢いのだろうけど、力不足の気がする。童顔でもあり、感情が外にすぐに出るので、相手に手の内を明かしているようにも感じられた。このセッションは、スピーチではなくて、インタビュー形式の対談という形で進行した。
質問者:「日本がS&P;で格付けを下げられた。その点に関してどう思うか?」
ティム・ガイトナー:「他国のことには、余り言及したくない。日本は高貯蓄国だから比較できない。日本の課題は、如何に成長するかにある」
質問者:「どうやったら成長するのか」
ティム・ガイトナー:「成長には、次の3つが必要。(1)優秀な人材を輩出する良い教育システム。(2)研究開発を促進させるイノベーション、(3)適切な分野に投資が促進されることだ」
という形で進行する。基本的な成長や財務に関する考え方は、明快だ。ただ、タフな議会やしたたかな中国との交渉等で、力を発揮できるか不透明だ。やや、不安が残る。
夕方に、ドイツのメルケル首相のスピーチが始まった。彼女のスピーチは、ドイツ語の力強さが手伝ってか、ど迫力を感じた。彼女は原稿を一切読まずに、メモのみを用意して、自分の考えを強く伝えた。彼女のスピーチの中には、ドイツへの言及は殆ど無い。欧州のリーダーとして、EUやユーロの問題に言及し、世界を引っ張っていく立場として地球次元の問題を語っていた。世界のリーダーとしての自覚に溢れていた。
「ユーロは、EUそのものだ。ユーロが失敗すれば、欧州が失敗する」「欧州には通貨の問題は無い。あるのは、債務の問題だ」と述べた。ユーロ導入国の財政再建を迫り、ユーロ防衛の強い意志を表示していた。そのメッセージを伝えるために、ダボスまで来たのであろう。
スピーチを聞いている間に、メルケル首相の服装、髪型、化粧等をチェックしてみた。彼女ほどファッションを気にしない女性リーダーを初めて見た。スピーチの中身と同様、全く無駄がない、直球勝負だ。
ダボスでの風景として印象的だったのは、このメルケル首相のスピーチの後に、「日本代表」のメンバー(緒方貞子氏、竹中平蔵氏、川口順子氏等)が、聴衆が流れていく中で、自然発生的に立ち止まり、感想を述べ始めた事だ。皆の中での共通の関心事(心配事)は、翌日の菅総理のスピーチだった。
フランスのサルコジ大統領、英国のキャメロン首相、ドイツのメルケル首相と欧州のリーダーのスピーチを聞いたが、現在ドイツがリーダーシップを発揮している理由が良くわかる。メルケル首相の政策には、明らかな方針や思想がある。何が正しく、何が間違っているかを、自分の頭の中で整理している感じがする。その考えに基づき、議論し、意思決定するから、全くブレないのであろう。これは、対峙する主要国首脳も、たじたじとなる場面があるのでは、と推測された。
その後、ビル・クリントンのセッションが始まった。今まで聞いたスピーカーの中で最も上手いと思ったのが、クリントンだ。 自信を失いつつある米国の救世主と写ったのか、クリントンの言葉が終わるたびに、会場から拍手が上がった。満場の拍手ではなく、まばらなものだ。明らかに米国からの参加者の意思の表明である。
一方、パネルのセッションで見たジョージ・ソロス氏は、とても分かりやすい。「世界には、2つの不均衡がある。米国と中国との様に世界的なものと、ユーロ圏内にあるものとだ」。
「世界に2つの通貨システムがある。国際的なものと、中国的なものとだ。中国の成功は、通貨安にある。中国が元を切り上げないのは、間違いだ。既に中国のインフレは、手に負えない域に入って来ている」。
一方の中国の高官の反論は、ポイントを外していることが多い。「中国の成功は、通貨安でなく、中国人の勤勉さにある」。場内から苦笑がもれる。今年の聴衆は、中国に対して見る目が厳しい。その理由は、3本目のコラム「国のプレゼンス」において説明したいと思う。
ジョージ・ソロス氏の最後の一言も、強烈だった。「不均衡の問題があるが、中国が為替を変動相場制に移行すれば良い。そうすれば、中国元は、ロケットの様に上昇するが、不均衡は是正される」。
僕が、印象に残った他のリーダーは、豪州の元首相で現外相のケビン・ラッド氏だ。日本の菅直人総理も、自分らしさを出して好評だった。
このダボスの場では、皆がリーダーを評価する「リーダーの品評会」の場でもある。僕は、「世界を引っ張るリーダーの何が凄いのか。僕は、どうすれば彼らに近づくことができるのか?」をテーマにして、このダボスの場に来ている。素晴らしいリーダーに出会うと、「ワオ」と興奮し、最後は「ブラボー」と叫びたくなる。一方、期待外れのリーダーに会うと、「ブー」とブーイングをしたくなり、最後は、退席してしまうのだ。
その素晴らしいリーダーを見つけ、彼らの喋り方、振舞、知恵、から多くを学びとるのに絶好の機会となるのが、このダボス会議だ。今年も、期待通りの興奮と示唆を僕に与えてくれた。
2011年2月2日
三番町の自宅にて
堀義人