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日本統治時代の台湾を巡る旅~3)新竹の風景

投稿日:2012/10/11更新日:2024/11/18

台湾3日目。朝6時前に起き、タクシーで新台南駅へと向かう。目の前の成功大学のグランドには、学生たちが既に運動していた。朝もやが残る優しい明るさの中、タクシーは古都台南を走り抜ける。

新幹線で1時間15分ほどで、台湾のシリコンバレーと呼ばれる新竹に到着した。天気は晴れ、だが風が強い。新竹は、ビーフンが有名だ。風が強いので、麺を乾かすのに適しているのだという。川を渡り、IT集積地域へと向かう。

アポの前に、新竹を車で見て回った。ITRI(工業技術研究院)光復キャンパスにまず訪問。後でわかるのだが、ここが日本統治時代の化学研究所だったところだ。そして、サイエンスパークへ。ここには、TSMC(台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング・カンパニー)、UMC、エイサーなどがある。面談をした場所は、ITRIの中興キャンパスだ。経団連のグループも視察にきていた。


ITRIは1937年日本統治時代に、海軍の化学関係の研究所としてスタートした。戦後この研究所を引き継ぎ、1973年にIT関係の研究所として再スタートさせたのが工業技術研究院(ITRI)だ。

筆者注)台湾で感心することは、戦前に日本が貢献した歴史を消さずに、明記している点だ。韓国では、日本が残した歴史の良い部分が消され、悪いものばかりが誇張されている印象を持っている。次回機会があれば、同様の「日本統治時代の韓国をめぐる旅」をしてみたい。

さて、話を戻そう。1973年当時まで台湾には、ハイテク産業は育っておらず、殆どが下請けの中小企業だったと言う。ITRIは、現在では6000人近い研究員を持つ一大研究機関に発展した。特許は1万4千件を超える。TSMCやUMCを作り出し、170社近いベンチャー企業を作り、さらに70社の企業をスピンオフさせた。近隣のサイエンスパークに入居したのが50社、上場を果たした会社は、14社にも上る。

ITRIがこれだけ多くのベンチャーを作り出した理由は、基礎研究をやらずに、短期(最大5年間)のプロジェクト・ベースで研究を行い、終わったら解散し、商業化することを目標にするからだ。基礎研究は、世界の大学や研究機関に委ねる。そのためにも世界的ネットワークを構築しているのだと説明してくれた。

ITRIのインキュベーターやオープンラボには、数多くのベンチャー企業が集まる。以前はかなりの優良なベンチャー企業を輩出したが、最近はあまりうまくいっていないようだ。台湾の景気が悪化し、資金の拠出も細ってきているからだと言う。

「尖閣諸島の影響は?」と問うと、「あまり無い。そもそも他に気にすべき問題が多いので、優先順位が高くない」と。もっと突っ込んで聞いてみたら、「経済の悪化、給与が10年間上がっていない、ガソリンや電気料金アップ、食費値上げ等だ。これらは生活に直結する」と答えが返って来た。「それよりも日台が協調して、韓国に対抗したい」、と日本への期待を表明していた。

ITRIの優秀な博士達にお礼を申し上げ、新竹を後にした。車は高速に乗り、桃園空港に向かっている。高速の両側は道路工事中だ。片側3車線だが、さらに拡張する計画だと言う。

台湾桃園空港に到着。空港で、豚足や台湾の代表的麺料理をいただき、スターバックスでITRIの子会社のベンチャー・キャピタルであるITICの副社長と面談した。ITRIが言うには、「台湾のVCはレイターステージの投資が多い」と言うが、結構アーリーステージにも投資をしている印象だった。

出発40分前になったので、別れを告げ、セキュリティ、イミグレーションを経て、ゲートへと向かった。これにて台湾ツアーを終える。だが行き先は、日本でない。まだ出張は、続く。次のコラムへと続く。

2012年10月10日

自宅にて執筆

堀義人

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