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KIBOW 八戸~北側から被災地復興を担う

投稿日:2011/07/24更新日:2024/11/26

(本コラムは、ツイッターでの呟きをもとにまとめたものです)

前日の最終の新幹線で仙台に入り、今朝の始発で仙台を発ち、盛岡に向かう。盛岡でレンタカーして、宮古まで向かい、そこから久慈などを経て、八戸に向かう予定だ。これにて、津波被害の視察は、いわきから八戸まで全ての沿岸部の市町村を回りきることになる(除く、大熊、双葉、浪江町)。

岩手の優しい陽の光を浴びながら、緑の渓谷を車が走る。隣に流れる川の水面が、キラキラと輝く。見上げると、青い空に白い雲。窓を開けて、天然のクーラーを体感する。

視野が開け、川幅が広がり、平地に至る。道路脇に住居が増え、宮古市に入ったことが分かる。ひと月前はここから南下し、山田町、大槌町、釜石、大船渡を訪問した。今回はここから北上し、田老、岩泉、田野畑、普代、野田、久慈を経て、八戸へ行く予定。

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宮古市田老の海辺で立ち尽くす。堤防の残骸が海と陸地に散乱し、建物は全てなぎ倒されていた。内陸に位置する5m近くもある堤防も無惨にも途中から決壊している。辺りからは、ショベルカーやグレーン車の機械音とガレキを片づける音が、カモメの鳴き声とともに聞こえてくる。

普代村の海岸沿いは、美しい。波打ち際に、エメラルドの水が白いしぶきをあげて、砂に乗り上げる。初めて堤防が津波をせき止めた形跡を、この地で発見した。外側は木々を含めて全てなぎ倒されていたが、内側は住居が整然と並び、木々も無傷であった。

ツイッターから情報提供があった。「普代川の水門は15.5mの高さがあり、防潮堤も15.5mあった。そのため14mの津波を防いだ。大学時代に師事した教授の現地報告です。」と。なるほど。確かに、堤防が役に立ったのを見たのは、初めてだ。一方、普代の北にある野田村は、堤防が無く壊滅的打撃だった。

陸中の小袖海岸は、美しかった。岩がおりなす自然の芸術美であろう。今、久慈市で手打ちそばのお店で昼食。可愛らしい女子店員によると、久慈市の被害は、軽微なようだ。ここでも、野田村の被害のことを耳にする。これから八戸に向かう。

「時間がありましたら更に美しい種差海岸へぜひ!」と言うツイッターの返信に従い、種差(たねさし)海岸に行くことにした。天然の芝と松の緑。岩が創りだす天然の芸術と砂浜。そして、青い海に白い雲。東山魁夷の名作『道』が生まれた場所に相応しい海岸であった。日本で最も美しい海岸の一つであろう。

八戸到着。海辺の被害状況を確認した後に、ホテルにチェックイン。辰巳琢郎さんも世耕さんも到着した様だ。一休みした後に今からKIBOW八戸の会場に向かう。本日は、八戸市長も来られる予定だ。多くの人との新たな出会い、そして有意義なディスカッションが楽しみだ。この晩は、八戸が熱い!

KIBOW八戸がスタート。僕の開会の辞の後に、小林眞八戸市長からのご挨拶があり、八戸出身のグロービスのMBA生である外和信哉さんが、ゴールや趣旨を説明された。そして、八戸大学総合研究所・所長の大谷真樹氏が乾杯の音頭を取る。

「KIBOW八戸は、八戸から東京に出た志ある人と、八戸在の志ある方々とが出会い、学び合う場にしたい」と大谷真樹氏。挨拶の後に、乾杯した。

このKIBOW八戸は、グループ・ディスカッションが2回行われ、その後に全体で討議をする、という形式で進められた。最初のグループ討議では主に、自己紹介と震災後何をしてきたかを討議した。今回KIBOW八戸の参加者は、遠くは名古屋、東京ばかりでなく、岩手県盛岡市、久慈市、洋野町、青森県弘前市、階上(はしかみ)町、おいらせ町、十和田市、三沢市、八戸市等各地域から来ている。

全体討議では、いくつかのご意見の紹介があった。「八戸を北側からの復興支援の中心地にしたい。新幹線が停まる場所でアクセスがいいのが、仙台と八戸だ。八戸はもっと出来る筈だ。頑張れ、と言いたい」(学校の先生より)。

スペシャル・ゲストとして、本荘修二さんと辰巳琢郎さんのスピーチを頂いた後に、今は「これからどのように行動していきたいですか?」という二度目のグループ討議に入った。グループの発表者より「観光」、「雇用」、「教育」等のキーワードが出て来た。全体ディスカッションに入り、皆の熱い思いが伝わってくる。

赤ちゃんを抱っこした母親より。「ひどい被災地を見るともっと頑張れるんではないかと思う。一方では、自分たちは芸能人でも有名人でもない。極論を言うと何もできないかもしれないかと思う。ただ自分としては日々やれることをしっかりとやりたい」(堀注:実はそれが一番大事なことだと思う。)

世耕さんのスピーチは、「天皇陛下のスピーチを聞いて大泣きして、『やれることをやる』と決めて、一歩一歩できることから始めた。野党の政治家でできることは、限られていて悔しい気持ちはある。だが、できることか始めることにして、手ごたえを感じている。是非皆さん、やれることをやろう」と締めくくられた。心を揺さぶる素晴らしいスピーチだった。会場が熱く盛り上がった。

最後に僕が締めの挨拶をして、KIBOW八戸が終わった。二次会に向かった。多くの皆さんに感謝だ! 二次会は、近くの地元の居酒屋だ。40~50名が所狭しと、座敷で交流し、議論をしていた。逐次、辰巳琢郎さんが、一升瓶を抱えて、地酒を勧めにくる。ふと隣の人と会話をしたら、小林八戸市長だった。ついつい話し込んでしまった。

市長も乗りに乗ってきたので、市長のご案内で三次会に行くことにした。KIBOW八戸の流れで、地元の「みろく横丁」で小林市長、辰巳琢郎さん、世耕さん、本荘さん等と地酒を飲みながら議論することになった。この横丁が楽しいのだ。屋台のテーマ・パークの様に、狭い横丁の両脇に屋台が並んでおり、行き交う人と交流できるようになっていた。

市長と辰巳さんがツーショットでいると、数多くの市民が立ち止まり、サイン会や写真撮影会が始まる。世耕さんにも声がかかる。皆、楽しみながら話をしていた。ついついお酒の勢いが増し、そのまま楽しいまま夜が更けて行った。

翌朝、多少胃袋に違和感があるままホテルから三沢空港に向けて海岸沿いを視察した。やはり、ここまで津波の影響があるようだった。三沢空港から羽田に向けて飛び立つ。米軍基地があるために外国人が多く、国内線の雰囲気とちょっと違う。天気は晴れ。今日は、暑くなりそうだ。

これにて、水戸から始まった被災地訪問は、いわき、仙台、盛岡そして八戸と被災5県の主要都市を全て訪問したことになった。3月の水戸から始まり、毎月一都市北上して訪問し、7月の八戸にて一旦一段落となる。

被災地への援助が、物資提供、ボランティアや義捐金・支援金の寄付だけじゃないことを証明できたと思う。最も重要なことは、希望を持ち、高い意識・志を共有し、各地域と関わり続けることだと思う。そして、一番大きな貢献の一つは、リーダーの教育だ。KIBOWでは、「KIBOWリーダー教育」と称して、水戸、いわき、仙台(2回)、盛岡に無償で教育を実施している。

被災地を復興する良い方法は、徹底的に関わることだと思う。現地を訪問し、人々と交わり、適宜投資をして、人、金、知恵、技術を惜しみなく投下していくのが、民間にできる最善の被災地復興策だと思う。

僕らのKIBOWの活動が何らかの形で被災地の復興に貢献していたら幸いだと思う。KIBOWに関わってくれた方全員に感謝をして、先ずは一連のKIBOWの被災地北上訪問計画を終えることにする。

次は8月3日にKIBOW福島を行う。放射線に悩み苦しむ福島県の方と集うために急きょKIBOWを福島市で実施することにした。多くの福島県民と未来の福島を語り合いたい。

2011年7月24日

堀義人

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