空港に黒人の運転手が迎えに来ていた。車が走り出すと大粒の雨が降ってきた。聞くところによると、タンザニアは今は雨季らしい。制服を着た子供逹が濡れながら駆け抜けていくのが目に入った。雨と交通渋滞で車は動かない。発展途上国特有の、急激な成長にインフラが追いつかない現象であろう。明日からは、アフリカ版ダホス会議のため、交通規制がもっと厳しくなるらしい。
タンザニアで行われるこのサミットの、40歳以下を対象としたヤング・グローバル・リーダー向けの会議は既に始まっていた。ただ、だいぶ昔にこちらは卒業した僕にとっての本番は、明後日からだった。そこで、温めていた私案を実行することにした。
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タンザニアと言えば、サファリだ。街なかの旅行代理店に駆け込み、スーツケースを置いて身軽な格好になり、チケットを受け取り、旅の手配を確認して、空港まで折り返すことにした。スーツケースは、そのまま旅行代理店に預けて、ダル・エス・サラームに戻るときに、空港に持ってきてもらう手配とした。
その日の夕方に、キリマンジャロ空港に向けて飛び立った。プロペラ機だった。キリマンジャロ空港に着いたものの、夜なので山は見られない。山の方向を向き、心眼で、気持ちの上で見ることにした(と言ってもちょっと無理があるか)。
現地の運転手が迎えに来ていた。サファリ用のランドクルーザーであった(ツイッターでは、プラドと書いたが、正確にはランドクルーザーであった)。夜道をタンザニア第3の都市、アルーシャに向けて西進した。地図によると、ケニアの国境と平行に西に向かっている感じだ。地平線近くまで見える星の美しさに心を打たれながら、車に揺られること一時間。アルーシャに着いた。ランクルが、ホテルのロータリーにゆっくりと滑り込み、長旅を終えた。その日は、ゆっくりと日本からの旅の疲れをとることに専念した。
翌朝、蚊帳の中で目が覚める。体中にエネルギーが充満し、ほてっている感じがする。よほど大地のエネルギーが強いのだろう。この感覚を得たのは、どの土地以来かと僕の頭の中のデータベースを走らせている間に、携帯電話が鳴った。自宅からの国際電話だった。四男が電話ごしに駄々をこねて泣いていた。後ろからママの声が聞こえてくる中、「ママがちょっかい出すんだもん」、という訳の分からないことを喋っていた。
こういう時は、ロジカルに話をしても仕方が無い。四男がいかに立派かを穏やかに伝え、なだめすかして囲碁の大会に行く約束を取り付けて、電話を切った。時計を見たら、現地時間朝5時、日本時間朝では11時だった。 そのまま起きてメール処理をし、朝食をとり、散歩をした。朝の迎えの時間が来たので、車に飛び乗り、目的地であるンゴロンゴロに向けてランクルは発進した。約200km、3時間強の道のりである。
街なかを抜けると、コーヒー園ととうもろこし畑が広がっていた。しばらくすると、アカシアの木とカシアの黄色い花が咲く緑の草原となった。なだらかな丘の近くで牛が放牧されている。マサイ族の集落が見えてきた。モンゴルのパオに似た円筒形のものだが、その上にかやぶきの屋根がついていた。道端に独特の色とりどりの衣装(キテンゲ)を身にまとったマサイ族を発見するようになる。マサイ族は、今も常に槍のような細い棒を肌身離さず持っており、キテンゲの下から細い鍛えられた足がむき出しになっていた。
雨季のためかサバンナ性気候のためか知らないが、また急に雨が降りだした。すぐに雨は止んで、日が照り始めた。不思議な気候だ。景色も面白い。人工物が全く見当たらない草原に、おもむろに学校が現れるから不思議だ。マサイ族は、最近では学校に通い始め、警備などの仕事についているとの説明を受けた。
奇妙な形をしたバオバブの木に見とれていたら、いきなりゾウの群れが遠方に姿を現した。思わずゾウの数を数えた。12頭余りのゾウが一群をなしていたのだ。ランクルを道端に止めて、ガイドさんが天井を何やら触り始めた。僕は、気がつかなかったのだが、天井が80cmほど上がるようになっていたのだ。天井を上げて、車内で立ち上がって、その天井と車の間にできた空間から、遠方のゾウを眺めることにした。
ゾウは、一群をなしてこちらに向かってきた。どうやら道路を横切ろうとしているようだった。ゆっくりとランクルはゾウに近づく。もうゾウはすぐそこにいた。一番後ろの方は子供のゾウだ。何やらじゃれ合っているようだった。僕は、我が家の四男と五男のじゃれ合いを思い出していた。しばらくして、ゾウの一群は、僕らの目の前の道路を横切り始めた。そして、遠方に向かい、ゆったりと歩いていった。
ランクルが発進して間もなくすると、今度は、キリンと遭遇した。道の両脇に10頭以上いた。とても優雅にゆっくりと頭を前後に揺らしながら歩いていた。一方、路上には、死んでいる動物があった。ハイエナだった。まだ国立公園にも入っていない普通の道端での出来事だ。
しばらくすると、目の前に平べったいテーブルの山のようなものが見えてきた。回りの景色は、草原から木々が多く生殖するブッシュ(雑木林)のようになってきた。山を登り始めると森となり、眼下には大きな湖が見えた。マニヤラ湖であった。木登りをするライオンが生息する国立公園だ。
ンゴロンゴロ保全地域の入り口に到着した。運転手が手続きに行っている間にランチボックスを開けて食事をすることにした。保全地域の門を抜けると、生態系がガラっと変わり、湿気を多く含む熱帯雨林のジャングルのような雰囲気となっていた。
山道をしばらくランクルが進む。すると目の前に、大きなくぼみが飛び込んできた。見晴らし台に車を止めて、外に出て景色を拝んだ。この世のものとは思えない美しい景色であった。一生懸命適切な表現を考えるのだが、言葉が見つからない。本当に美しいのだ。
ンゴロンゴロは、半径9km、深さが600mの巨大クレーターなのだ。しかも、野性動物しか生息しない、人工物が一切無い未開の地なのだ。野生の生態系がそのまま残っている楽園なのだ。クレーターと言うと、土肌をむき出しにした半円形のものを思い出すのだろうが、ここは、緑が豊富で、底は平べったいのだ。形状は、フライパンに近いものを想像してもらえるといい。
その底には、黄色い花が敷き詰められている部分と、うす紫色の花が生息している部分。うす緑の草原の部分と、青い湖の部分とに分かれている。そして、淵の部分が山となっている。大きく広がる楽園の景色を、緑の山が仕切り、そしてその上に大空が広がるのだ。その空の透き通るような水色と雲の白さが、アフリカならではの色のコントラストを醸し出しているのだ。
「空ってこんなに透き通るように水色だったのか。雲ってこんなに、純白だったのか。」と、いちいち感動せずには、見られない光景だ。上から見る景色は、本当に「この世のものとは思えない」美しさだった。運転手にせかされるようにして、車に乗り込み、フライパンの底に降りることにした。
クレーターの淵を1/4ほど反時計回りに走り、いよいよ底に下りることになった。淵にあたる山の上は、傘のような木がうっそうと繁る森だが、山を降りるにしたがい、木が減り、見晴らしの良い草原となる。車を止めて、黄色い花を観察する。どうやら黄色い花は、たんぽぽに似たマリーゴールドの様だった。マリーゴールドが、草原に黄色いアクセントを与えているのだ。草原をランクルが走る。見渡す限りの草原に、僕ら以外の車さえも見当たらない。まさに野生の楽園なのだ。
程なくして、黄緑の楽園に黒い点が群をなしているのが見えた。バッファローの一群だ。遠くに白っぽい馬が見えた。シマウマの集団だ。茶色っぽい細い動物の集団は、ヌウ(牛カモシカ)であった。大きな鳥も散見された。ダチョウやトキの一種である。
動物を見つけるたびに、車を止めて、立ち上がり天井の空間から動物を捕捉し、360度パノラマの景色を堪能するのである。そして、ついにライオンを発見した。僕は、感動したので、ツイッターをフォローしている仲間にも、伝えようと思い、携帯電話で呟き始めた。
「大きな雄のライオンが車から10mのところで、今寝返りを打った」。
「今車の横にいる」。
「しっぽが窓に当たっている」。
という具合にだ。ライオンが寝返りを打ったあと、ゆっくりと歩き出し、僕のドアの横にゴツンとぶつかり、そのしっぽが窓にコツンと当たるのだ。その合間につぶやくので、短くしか書けない。10分ぐらい、その奇妙な遭遇をお互いに(?)楽しみ、ライオンはゆっくりと去っていった。
今度は、カバを見に湖に向かった。カバの一団は、水の中にいるからわかりにくい、遠くには、湖の水面から平べったい顔と鼻をかすかに出している様が見えた。比較的近いところでは、定期的に水面に呼吸をするために出てくる一頭のカバを発見することができた。
許されているのかどうかわからないが、このときに、初めて車から出て、歩き回った。ワニとかライオンなどの肉食系の動物は、近くにいないそうだから安心であった。湖のほとりの大きな木の下で10分ほど目をつぶり、座禅を組んでみた。とても、気持ちがいい。
運転手にせかされ、車に乗り込み、サファリを楽しむことにした。何せサイを見たいのだ。しばらく車がガタボコ道を走っていると、黒人のガイドさんが何やら叫び始めた。サイの親子を発見したのだ。しかもこんなに近くにだ。ガイドや運転手によると、サイをこれだけ近くから見られるのは、とても珍しいらしい。しかも親子で、だ。「あなたは、ラッキーだ」と何度も言われる。
サイの子供は、親から授乳を受けているようだった。10分ほど、僕らの無言の交流が行われた。子供の授乳が終わり、こっちを向き、ゆっくりと子供を先頭にして、湖の方に歩いて帰っていった。
その後、ハイエナ、イボイノシシ、ガゼル、フラミンゴ、ダチョウ、猿などを見て、クレーターから脱出し、外縁山にあるホテルにチェックインした。このホテルからは、クレーター(楽園)の景色が一望できた。
本日は、早めに就寝して明日に備えることにした。
2010年5月5日
クレーターを見下ろすホテルにて
堀義人