身体に優しい機内食の誕生
JAL成田発ハワイ行き。夏休みの家族連れでごったがえしている中に、40代の男性がぐったりした表情で座っていた。「仕事で疲れてきっているのに、休日はなんとハワイで家族サービスだ」。ため息をつき、ビールをチビリチビリやっていると、機内食が運ばれてきた。
丁寧に作りこんだオニオングラタンスープのメインディッシュが、胃にゆっくりと入ってくる。サイドディッシュは、ボイルしただけの、色とりどりの野菜。シンプルな野菜の味とそれぞれの甘みが口いっぱいに広がる。添えられたグリーンピースのマッシュも嬉しい。十勝産あずきをたっぷり使った手のひらサイズの小さな鯛焼きが、旅のウキウキ感を盛り上げる。余計な手を加えずリンゴを切っただけのデザートも、彩りが美しい。そして、コーヒーを飲もうと食器を取り上げると、下に敷かれたカラフルなシートには、ポエムが添えられていた。
飽きないと最高に好きは同じ意味です――。なんだか、粟立った心が静まっていく……。
いつものいわゆる“機内食”ではない。ちょっぴり美系のフライトアテンダントに尋ねると、会社の女子社員の間で人気の「Soup Stock Tokyo」がつくったという。
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2005年から経営再建に取り組むJAL。運航トラブルや経営をめぐる混乱もあり、ブランドイメージは大きく傷ついた。人員削減や資産売却、増資で収益改善のめどはたったが、「攻めのANA、再建のJAL」とのイメージはぬぐえない。
ハワイ便は航空会社にとって集客規模の大きい“看板商品”。その機内食が大きく変わることで、守りから攻めへ転じたことを、内外にアピールできる。可もなく不可もない、エコノミー席の機内食に、新風を吹き込む。冒頭に上げた機内食は、単なるメニュー改定ではない。JALにとっても、請け負ったSoup Stock Tokyoにとっても、大きな挑戦だった。
ハワイ便は成田を午後9時に出発する。機内食は午後11時ぐらいに提供されるが、そのあと就寝する乗客も多い。身体に優しく、胃にもたれないような食事を提供できないか。JAL側でそんな「小さな改革」を考えていたとき、同社の成田空港専用ラウンジで食事を提供していた、Soup Stock Tokyoに白羽の矢が立ったのだ。
そのプロジェクトの中心メンバーとして抜擢されたのが、森住理海さん(34)だった。昨年7月に入社してからわずか数カ月で、スープの百貨店ギフト販売で大きな成果をあげ、前職の惣菜会社では、製造現場から営業、新ブランドの立ち上げも経験した、食のプロフェッショナル。そのキャリアの源泉は、両親の温かい愛情にあった――。
「食への情熱」エンジンに、キャリアを構築
身体を壊しがちだった母は、いつも食事に気をつかってくれた。なじみの八百屋、肉屋、魚屋で買い求めた新鮮な食材を使った手料理。なんと美味しかったことか。小学校の入学祝いには、料亭に連れて行ってくれた。父は炭酸飲料の中に抜けた乳歯を入れ、「歯がとけるから飲んじゃだめだ」とおどかした。今となっては笑い話だが、炭酸は一切口にしない。
決して余裕のある暮らしではなかった。けれども、両親は心を砕いて、自分の舌と感性を鍛えてくれた。コンビ二エンス・ストアやファストフード店などで、添加物が入った食品を口にするたび、「おかしい」と舌が悲鳴をあげるようになった。大量生産、添加物漬けの商品が、当たり前の世の中。違和感を覚えた。
「食べることの豊かさや温かさを、仕事を通じて伝えていきたい」。そう決意を固め、大学卒業後、「惣菜を通して豊かなライフスタイルを実現する」との理念を掲げ、当時はまだ規模の小さい惣菜会社に就職を決めたのだった。
だが、熱い想いだけでは社会は渡っていけないことを、すぐに思い知らされる。
惣菜会社では、上司とぶつかり合うことが何度もあった。元々理系出身ということもあってか、論理が先に立つ。正しい事は正しいと言い、相手の間違いは躊躇せず指摘する。上司を怒鳴りつけたこともある。
入社して間もないころ。配属された製造工場で、設備の入れ替えがあった。夜、ほこりのたった床を一人掃除していると、上司が声をかけてきた。「何してるんだ」「汚いから掃除しているんですよ」「そんなことに残業の金払えるか。帰れ」「じゃあ汚いまま放置するんですか」。納得がいかず、翌朝3時に出勤して掃除をした。
食に対する情熱の裏返し。だがそんな真っ直ぐな姿勢には、時に、「仕事はできるが冷たい」と、反感を買う事もあった。課長になったが、そこでも「コミュニケーション」が壁になった。12人の部下は、自分より年輩の課員の存在もあって、なかなか思うように動いてくれない。あからさまに“無視”するような部下もいた。
順調にキャリアを重ねてきたように見えるかもしれないが、「食への情熱」をエンジンに、もがきながら前へ進んできた。その道すがら、Soup Stock Tokyoとの出会いが待っていた。
Soup Stock Tokyoは、三菱商事の社内ベンチャー第一号。遠山正道社長が、ケンタッキー・フライド・チキン出向時代に“食べるスープ”を思いつき、今では伝説と呼ばれる「スープのある一日」という物語仕立てのプレゼンで、首脳陣を説得したことで知られる。
1999年に第一号店がオープン、素材を生かしたスープが若い女性を中心に評判を呼び、今では首都圏や名古屋を中心に約50店舗を構えるまでに成長した。趣味で個展まで開く遠山社長の感性と、商社マンが持つビジネスの展開力が融合した、不思議な会社だ。
人気の秘密は「無添加」と「細部へのこだわり」にある。同社のスープは化学調味料、合成保存料などを使わず、素材の持ち味を生かす。店舗づくりにも、細心の注意を払う。椅子からテーブル、壁の絵、照明、カップや包材のデザイン、スタッフのユニフォームまで徹底してこだわっている。森住さんも、そんな社風に惹かれた。
5年に1度のプレゼンテーション
今年の2月末。JALから話が持ちかけられると、早速メニューの検討が始まった。無駄なコストはかけられないため、従来のトレイや食器はそのまま使用する。どう、新しい息吹を吹き込むか。食品開発の担当者と、20近いメニューを絞り込んでいった。
JAL側へ提案するプレゼンは3月28日。その前夜。遠山社長にプレゼンの資料を見せた。遠山社長はメニュー見本の写真を撮り、視覚に訴える内容に資料を叩き直すと、穴をあけて綴じ、裏表紙に黒い型紙をつけた。
ビジネスライクだった資料が、あっという間に、一つの作品に変身した。「こんなプレゼンをやるのは正直、5年に1回だよ」。遠山社長の言葉に、高揚感がみなぎった。あの伝説の「スープの一日」以来ということか。JAL側はどんな反応をするだろうか――。
「ON THE SHIP Soup Stock Tokyo×Japan Ariline」。プレゼンの表紙には、そう書かれていた。単なる機内食の提案では、ない。料理やトレイに敷くシート、飛行機の機体を模したロゴマークまでデザインしたコンセプトの提案、新しいブランドの立ち上げだった。
JAL商品・サービス企画部のマネージャー、田中誠二さん(44)はプレゼンに聞き入っていた。「トレイや食器は同じものを使っているのに、コンセプトを変えるだけでここまで印象が変わるとは正直期待していませんでした。無機質だった機内食が生まれ変わった。食材もトレイのシートも、斬新で、色使いが美しい。さすがだなと思いました」。
プロジェクトにゴーサインが出た。就航までに与えられた期間は、わずか2カ月。コンセプトは立派でも、オペレーションに落とし込むのが、ビジネスの難所。壁は、あとからあとから立ちはだかってきた。
変革プロジェクトの壁を乗り越える
何やら“かっこいい”企画書を携えてやってきた森住さんたちに、野菜やフルーツ、デザートなどのサイドディッシュを作るJALのケータリング会社は、警戒をしていたに違いない。今までは企画から調理まで全てを任されていた子会社に、突然Soup Stock Tokyoという“外様”がやってきたのだ。当然、風当たりはハンパじゃない。
社内の商品開発担当者、JALの担当者、JAL子会社の担当者、調理する工場、デザイナー、全ての担当者がそれぞれの事情や要望を主張し合う。森住さんは、“ハブ”役となって、意見を調整しながら、全体の質には徹底的にこだわった。
「バナナなんて機内で出す前に黒くなるよ。そんなことも知らないのか」「トマトをグリルする手間なんてかけてられないよ」「キッシュなんて幾らかかると思っているんだ」。
そう反発する子会社の元には、何度も足を運んでは、自分たちの熱意を伝えた。「料理に携わる人たちだから、根底にある気持ちは一緒のはず」。そう信じ、自分たちが考えたメニューを押し付けようとはしなかった。
「安心」や「楽しさ」、「発見」など、機内食に込めたいコンセプトを繰り返し伝え、「何かちょうどいい素材はないか」「どういうことができるだろうか」と、相手の料理人魂に火をつけるコミュニケーションに徹した。
反目しあう空気を、「一緒にいいものを作ろう」というムードに段々と変えていき、トレイに載せるメニューを編み出していった。北海道の小豆を使ったかわいらしい「鯛焼き」という発想も、そこから生まれてきたのだ。
今回のプロジェクトの眼目は、トレイ全体の演出にもあった。料理だけでなく、下に敷くシートやロゴマークにも、Soup Stock Tokyoの世界観を妥協せずに盛り込んでいく。裏側には、それが、JALのブランドイメージ向上にもつながるはずだとの信念があった。
JALの田中マネージャーはこう振り返る。「森住さんは安易な妥協は絶対にしない。料理やトレイシートのクオリティーに関して、うちよりも高いハードルを設定していた」。
森住さんは言う。「こだわりを持ってやるところと妥協するところを、食べ物一つひとつでなく、抽象度のレベルを上げて分けていたわけです。ああでもないこうでもないと試行錯誤していても、『楽しい』『身体に優しい』などの基本的なコンセプトにおいてお互いのイメージがぶれていなければ、結果として我々の目指しているトレイを実現できるんです」
自分の弱点見つめ、克服した
ここに1枚の写真がある。河口湖のほとりで、会社の同僚とバーベキューしたときのもの。1歳の息子を抱えた森住さんは、笑顔を見せている。Soup Stock Tokyoに転職してから、人間関係を何より大切にしてきた。会社ではメールや書類作成は一切しない。ほとんどの時間を、上司や部下とのコミュニケーションにさく。それを象徴する、1枚だ。
何がいけないのか――。前職で部下をマネジメントできず、ちょっとずつ積み上げてきた自信がバラバラに崩れていきそうな時、ビジネススクールに救いを求めたのが転機になった。入学について「そんなことに金を使うな」と、反対した父親には、こう言った。
「自分は、変わらないといけない。チームで何かを作り上げるという力を育てたい。そこが一番の弱点なんだ。ビジネススクールで疑似体験すれば、そういうスキルが伸びるはず」
主張の裏に隠れた相手の思いや気持ちに配慮しながら、自分の意見も受け入れてもらう。人生やキャリアの修羅場をくぐり抜けてきたクラスメートとの数えきれない議論を通して、自分の世界やコミュニケーションの仕方も、どこまでも広がっていくような気がした。
「MBAで、考える力や経営全般を見る視野も身に付いて、色々な事が分析できるようになりました。でも一番大切なのは、人間をみること。相手の気持ちや立場を理解した上で、自分の仕事に巻き込んでいく力を身につけたことです。この力がなかったら、反発していたJALの子会社に協力してもらうことも出来なかったでしょう」
JAL子会社JALUXの砂金智之さん(35)は「外の会社と何か新しいことを始めようとすると、お互いに譲れないところがあり、何べんもキャッチボールをしているうちに中止に追い込まれることも多い。今回も様々なところから反対の声が上がっていたが、それを突破していく力がすごかった」と評し、Soup Stock Tokyo商品開発担当の桑折敦子さん(35)は「妥協したものは出せないという緊張感の中、よくこれだけの短期間で形にできた。プロジェクトの全体像を全て把握していた森住さんの役割は大きい」と振り返る。
6月1日。「ON THE SHIP」は、就航した。
食を通じてシアワセに
今は、真っ直ぐだったころが、ちょっと懐かしい。とがっていた自分は、転がり、ぶつかり、多くの人に削ってもらいながら、成長してくることができた。
様々な壁にぶつかったときでも、自分の弱みを直視でき、心の支えになったのは、「食を通じて人をシアワセにしたい」という、強い想いがあったからだ。
1歳と4歳の息子たちの食事でも、添加物、着色料などが入ったものは、極力控える。自らキッチンにも立つ。いつか、家族揃ってハワイ旅行にも行くつもりだ。「この機内食はパパが作ったんだよ」と伝えても、理解はできないだろうか。けれど、大きくなったとき、ふと思い出してほしい。父親が、食を通じて笑顔を作る、素敵な仕事をしていたのだと。
息子たちだけでない。Soup Stock Tokyoの食事を通して、昔どこの家庭の食卓にもあった、安全や安心、そして温もりを、一人でも多くの人に届けたい。大量生産でも、それが実現できるはずと信じている。「ON THE SHIP」プロジェクトは、その想いの結晶でもある。
8月からは年輩の乗客に配慮して、食事のコンセプトを説明するビデオ上映も始めた。メニューも季節ごとに一新する。今後は、アジア便にも「ON THE SHIP」が展開される予定だ。心安らぐひと時を、お楽しみください――。
Soup Stock Tokyoと森住さんの挑戦は、まだまだ続く。