2007年5月に他界された、ジェームス・C・アベグレン氏の足跡を、近しく接せられた方々から寄せられた追悼文で振り返ります。最初にご登場いただくのは、元ボストンコンサルティンググループ(以下、BCG)パートナーで、現在は一橋大学大学院で教鞭を執られている清水紀彦氏。清水氏はBCG東京の創業まもない頃に入社され、アベグレン氏と共に、日本におけるコンサルティング業界勃興に力を尽くされました。
ジム・アベグレンに最初にボストンであった時のことは、今でもよく覚えています。1967年の冬の寒い日でした。
ジムにはすぐ魅了されました。多少品の悪い英語をわざと使い、早口でまくし立て、日本で言うところのべランメーで、江戸っ子的な気風の良さを感じさせる人でした。言葉は乱暴でしたが、話の内容は理路整然として、説得力があり、頭の回転の早さには感心させられました。
コンサルタント業では、昼食時に酒を飲まないのが常識ですが、彼はドライマティニー(ストレートアップ ウイズ ツイスト オブ レモンというのが彼の定番)を2杯飲み、そして事務所に戻ると、機関銃のような猛スピードでタイプライターを打って書類を書き上げていく、という離れ業を得意としていました。そんな昼食にお付き合いした午後は、こちらは使いものにならないという不甲斐なさでした。夜もホテルのバーで例のマテイニーを2杯飲み、その後は彼の行きつけの日本料理屋で日本酒というパターンで、そのような場での議論を通じて多くのことを彼から学びました。
そんな議論の中から生まれた言葉に「日本株式会社」があります。日本株式会社も過去のものとなり、それに取って代わる日本らしさがなかなか生まれてこないことは、日本を愛するジムにとって寂しかったのではないかと思います。
また、日本でのコンサルティング活動の中での分析から、日本の製造業が将来、世界市場で競争優位性を確立するであろうことを、60年代に誰よりも早く日本国内、国外で言い始めました人でもありました。
この数年間は、たまにパーティーなどで会う程度でしたが、いつもお元気そうで、相変わらず昔ながらの格好よさを演じていました。2年前に出版された『新・日本の経営』での明解で歯切れの良い論法は昔のジムを懐かしく思い出させてくれました。