ダボス会議最終日の朝。天気は、晴れ。前日は、ヘリが飛ばずに、枝野・古川両大臣が、陸路で移動した。今日は、大丈夫そうだ。朝のセッションに登壇して、午後1時のチューリッヒ発のフライトに乗るには、ヘリでの移動しかないのだ。パッキングして、チェックアウトし、荷物を預け、会議場に向かうことにした。
ダボス会議の最終日は、全て“Debrief”と名がつく、まとめのセッションだ。僕は、「リーダーシップ」のまとめを語る役割となった。世界が劇的に変動する中、今ほどリーダーシップが必要となる時代は無い。今までの古いモデルが、なぜ機能しないのか。今どのような変化が、起こっているのか。新しいリーダーのモデルは、どうあるべきか。これらを、グローバル・アジェンダ・カウンシル(GAC)のメンバーでリサーチしていることを中心に、熱く語ってきた。参加者の人数は少ないが、評判は上々だったと思う。
-----
セッションを終え、参加者に挨拶をして、本会議場を出て、ホテルに戻った。空を見上げると、青空が広がっていた。全てをやりきった感覚で、すがすがしかった。ホテルからヘリポートまで車で移動した。前日までは、雪の予報があり、「飛ばないかもしれないから、陸路の交通手段を用意するように」とヘリ会社から連絡があってとても心配したが、見上げると太陽が顔を出していた。
窓の外を見る。アルプス山脈に囲まれたスイスの美しい街並みが、一面銀世界の中、広がっていた。初めてゆっくりと見ることができている気がする。スキー客が歩いていた。ダボスは、これからは普通のスキーリゾートに戻るのであろう。
(以下は、ツイッターの実況中継だ)
今、ヘリポートに到着。一面銀世界だ。これから山を超えて、チューリッヒへと向かう。
今、現地時間10時30分。13時発の飛行機に間に合わせるには、ヘリしか無いのだ。これから搭乗する。
搭乗した。即離陸だ。今、浮いた。180度回転して、いざチューリッヒへ。
操縦士とヘッドフォンマイクを使って交信する。「綺麗だね」、と先ずは交信。前方から軍事ヘリが二機すれ違った。低い小さな雲の上を進む。
谷間を囲む山々の頂上と同じ高さまで、到達。操縦士が、「寒く無いか?」と気を遣ってくれる。
スキー場が見えた。右手に3000m級の山がある。オーストリアとの国境だと言う。『サウンド・オブ・ミュージック』を想い出す。
霧がかっているので、低空飛行になった。小さな川が見えた。操縦士によるとライン川だと言う。ボンを経由して北海までたどり着くあの大河だ。
平地は、農地か、住宅などの建物が立っていた。山の合間にも家が見える。その上には、スキー場だ。スイス人は、スペースを使うのが上手だ。
今、湖の上を飛行中。湖が平地を全て飲み込み、湖畔を道路が走る。両脇は、絶壁だ。
湖の色は、濃い緑で、山の緑と呼応する。平地に入った。この辺になると、雪が積もっていない。一面農場だ。操縦士によると、チーズや牛乳などをつくっているのだという。
チューリッヒ湖が見えてきた。空港は、その向こうだ。あと15分ほどで到着予定だ。
霧が濃くなってきた。少し遅ければ、ヘリは飛ばなかったかもしれない。
細長いチューリッヒ湖を超えた。あと少しだ。へりの揺れがすごく、緊張感が走る。操縦士との会話も減ってきた。チューリッヒの中央駅の真上を飛び、空港へ。
空港の手前で旋回を始めた。空港に近づく許可が出ないようである。
操縦士が何やらドイツ語で話をして、まっすぐスピードを上げて飛び始めた。空港が見えた!!!
そして着陸だ。今、無事到着!!
黒いリムジンがヘリに横付けし、操縦士に導かれるようにして、ヘリを降り、車の後部座席へ滑り込んだ。飛行場に数多くのプライベートジェット機が停まっていた。ダボス会議の期間中に、数百機近くが離着陸していた、と言う。すごい世界だ。空港のトイレで、ネクタイを外し、ジーンズとカジュアルウェアに着替え、成田行きに搭乗する。機内でゆっくりとシャンパンでも飲もうかと思う。でも、コラム も書かないといけない。結局、しばしのんびりさせてもらうことにした。
機内で爆睡できた。コラムは、半分完成した。飛行機が着陸体勢に入った。外を見る。茨城の上空あたりであろうか。遠くに富士山の威容を仰げる。思わず機内で合掌をする。筑波山が見え、霞ヶ浦や利根川が見えた。僕の故郷、茨城の上空を飛んでいるのだ。
成田に到着。成田空港でダボス会議の「日本代表」の面々と別れを告げ、陸路東京へ。日本は快晴。雲一つ無い青空が広がる。気分は最高だ。これにて、僕のダボス会議5回目の参加報告を終えることになる。
夕食時は、久しぶりに家族7人で囲む食卓だ。黙とうの後の訓示は、「ダボス会議に参加して、世界に発信することの重要性を痛感した」、ということだ。合掌して、「いただきます」した後は、笑いが絶えない賑やかさだ。心が温まる瞬間だ。
食後に、子供達を連れて、久しぶりに近くの小学校プールに泳ぎに行った。リハビリするかのように、ゆっくりと1200m泳ぎきった。そして、翌日からの東京での仕事に備えることにした。東京もダボスに負けず劣らず、冷え込んでいた。
2012年2月1日
一番町の自宅にて執筆
堀義人