「肝煎り講演 上滑り」「『開国』抽象論に終始」「国債格下げ言及せず」
ジェッダに着いて、ダボス会議に関する日経の見出しを読んでビックリした。
今回の日経の記事を書いた記者は、同行記者だという。つまり、ダボスには首相と一緒に来て、一緒に帰っていった。恐らくダボスの様な会議には参加したことも無いだろうし、世界のリーダーの話を聞いたがあるかどうかも、不明だ。
本来、「上滑り」とか、「抽象論に終始」という主観的表現は、控えるべきではないか。また、「国債格下げ言及せず」とあるが、なぜ言及しなければならないのだろうか。トップが集まる場では、そんなことは関心事ではない。質問されたら、見解を述べればいいのだ。
それよりもダボス会議の場では、「姿勢」や「考え方」を示すことが一番重要だ。一番良いのは、最も抽象度が高い、思想、理念や哲学を伝えることだ。先ずは、リーダーの人間性が評価されるのだ。その「理念」に必要な具体的なアクションは、必要に応じて言及すれば良い。
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この記事を見て、竹中さんが言っていた「批判の3原則」を思い出した。批判の原則第一は、逆の事を言えばいい、だ。つまり、具体論に言及すると、「細部を見て全体を見ていない」と批判すれば良く、思想・哲学を伝えていると、「抽象論に終始」と批判すればいいのだ。つまり、何でも批判はできてしまうのだ。
批判は、自由だ。だけど、自由には責任が伴う。主観や印象を述べるならば、署名で堂々と書くべきだ。ツイッターはその点、誰が書いているかが明確になる。的外れなことを書けば、叩かれる。「海江田大臣を評価しない」、と書けばリスクがあるであろう。僕は、承知で自分に率直に書いているのだ。
今回、僕が一所懸命にツイッターやコラムを書いている理由は、「一昨年のダボスの麻生さんのスピーチが良かったのにも拘わらず、マスコミがそう書いてくれなかった」、というコメントを数多くのダボス参加者から聞いたからだ。だからこそ、僕がダイレクトに皆さんに実況中継しているのだ。 今回も、結局同様の感想を持つことになった。良かったにも拘わらず、「上滑り」で、「抽象論に終始」で、「国債格下げ言及せず」だ。
僕が、ダボス会議の場で初めて観た「ぶら下がり」の異常さについても、皆さんと共有しよう。世界のトップが集うダボス会議のメインフロアの、大会議室とカフェカウンター間の最も目立つところに、若い日本人記者がたむろしていた。そこに、福山内閣官房副長官が現れ、紙を読みながら、日本語で先のプライベート会合の報告をする。それを、その若い記者達が、立ったまま小さい白いメモ用紙に書き写していくのだ。僕も近づいたが、よく聞こえない。若い記者は皆、耳を福山さんに向けて、一所懸命に書き写している。
単純に思う事だが、こんなことをするならば、官邸側でぶらさがり会見の様子をウェブで配信すれば手間も省けるし、スピードも上がる。そして何よりも、国民の「知る権利」が担保できるであろう。
実は、このプライベート会合が重要だったのだ。参加者は、前国連事務総長のコフィー・アナン氏等錚々たる面々で、そのモデレーター役を、緒方貞子さんが務めていた。参加者の、長谷川閑史さん、田坂広志さん等に反応を聞くと、一様に「とても良かった」と言う。この内容を、福山さんが日本人記者に伝えていたのだが、紙面に掲載されているのを僕は見ていない。ごく一部のメディアにしか知らされずに、終わっているのだ。
「このぶら下がりや、記者クラブ制度を変えればいいじゃない」と普通に思うのだが、変えようとすると、メディアからの強烈な抵抗があるのだと、言う。「抵抗」とは、スキャンダルの暴露とか、批判的な記事のオンパレードなども含まれると言う。そこで、まだこの状況が続いているのだ。この閉鎖的な記者クラブ体質を変えない限りは、一部メディアの情報操作によって、世論が左右される状況が続くのであろう。
そして、その古い体質がダボス会議にも持ち込まれて、「日本セッションを日本人記者のみに開放せよ」、と言う理不尽な要求にも繋がっていくのである。
僕が出た日本セッションのモデレーターは、「このセッションは、日本人記者にはオープンで、外国人記者にはクローズドだと言う。これで、日本の『開国』と言えるのか?」と質問をした。僕は、憤慨した。日本人記者クラブの悪影響だと思った。ひどい話だ。既得権益を手放そうとしない、記者クラブには腹が立つ。もうそういうくだらないことをやめるべきだ、と思った。
セッションの質疑応答の時間になると、川口順子さんが、フロアから堂々と手を挙げて質問した。すると、「当初は日本人記者のみにオープンせよ、と要望があったが、ダボス側はその理不尽な要求を蹴った」、ということを確認した(このモデレーターの誤解を招く発言も問題だとは思う)。
いずれにせよ、これからは、ツイッター・ブログ、USTREAM等の直接メディアが、栄えるであろう。一部のマスコミが偏った報道をしても、違う見解を伝える多くの草の根の意見が直接民衆に届くであろう。それが、形を変えて、チュニジアやエジプトを動かした原動力でもあるのだから。
僕が、今回ダボス会議で一所懸命にツイッターで中継し、ブログに書いているように、マスコミ以外の多くの人が記録を残し、発信していくことになろう。不思議なことに、報道する立場で参加した記者は、記事を一つか二つ書けば済んでいるようである。どうやら、規則上ブログも書けないのだと言う。一方、登壇もして、会合にも参加し、積極的に交流している僕のような一般参加者が、質は格段に落ちるかもしれないが、圧倒的に多くの記録を残しているのは、おかしな気がする。
これからの時代は、総括のコラムを一つ書くよりも、セッションの会場でツイッター等で呟き、後日ブログ等にまとめる時代になっていくのかもしれない。
いずれにせよ、冒頭の見出しから推察されるように、マスコミの記事に懐疑心を持つことが重要になろう。可能な限り別の情報ルートを持ち、自分の頭で判断することが必要になる。
その手助けのためにも、各人が草の根の発信をすることが、さらに重要になるのであろう。そして、良い呟きや記事は、リツイートして広めることが肝要だ。つまり今後は、僕ら自身が、マスコミの代替になって、発信して、広めていくのであろう。
と言う事で、ダボス会議2011合計7部作お付き合い頂き、感謝です。今後とも草の根発信を続けていきます。(^^)/
2011年2月2日
三番町の自宅にて
堀義人