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ボストン、ワシントンDC、ニューヨーク北米三都市訪問記

投稿日:2012/09/23更新日:2024/11/27

9月の後半に、ボストン、ワシントンDC、そしてNYの三都を巡る出張が決まった。目的は、投資家訪問と、僕が共同議長(Co-Chair)を務めるアワード・ディナーに参加するためだ。このアワードの今年の受賞者は、アウン・サン・スーチー女史、緒方貞子さん、そしてヘンリー・キッシンジャー氏等だ。天津でのサマーダボスの翌週の北米出張。体調管理が重要となる。

9月18日、成田からボストンへの直行便に搭乗した。ボストンへの直行便ができて実に嬉しい。機内で観たフランス映画『ハートブレーカー』が、意外に面白かった。男女の駆け引きの機微がウィットに富んだ設定の中で描かれている。やはり、フランスは恋愛大国だと再認識する。機内で、コラムを二つ執筆した。「サマーダボス」と「グロービス初のリユニオン」についてだ。機内だと執筆作業がはかどる。

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最近海外での活動のレベルが格段にアップしている。サマーダボスでは、モデレーターを務めるとともに、グロービスナイトも実施した。また先にカナダに出張した際には、僭越にも僕がアワードを受賞したのだ。その模様が、海外メディアでも、報道されている。

ボストンに着き、すぐにプールで一泳ぎだ。ここでは、投資家を2社訪問することが目的だ。ボストンでの仕事の合間に、フリーダムトレールを歩いてみた。ハーバード経営大学院に通学中は、観光をする余裕が無かった。初めてボストン観光をしたのだが、これが予想をはるかに超えて面白かった。赤い煉瓦の線を辿り、米国独立戦争に至る歴史を、スタンプラリーの様に歴史建造物を回り、学ぶ。独立の偉人達の精神にも触れ、ボストン・米国を再発見した感覚だ。

日本にとっての明治維新の英雄たちは、米国では独立戦争の英雄に当たるのであろう。その独立に向けたプロセスでボストンが果たした役割は非常に重い。ボストン茶会事件に始まり、最初のレキシントン・コンコルドでの戦争、バンカーヒルの戦い、そして独立宣言に至るまでの経緯だ。

その中で活躍した英雄たちもボストン出身者が多い。ワシントン(西郷隆盛的役割?)やトーマス・ジェファーソン(桂小五郎的役割?)は、バージニア州出身だが、独立の中心人物であるサミュエル・アダムズ(坂本龍馬的役割?)やベンジャミン・フランクリン(藤田東湖的役割?)は、ボストンで育った。ボストンは、明治維新の魁的な香りがするので、水戸にも近い気がする。一方、ハーバードやMIT等大学が多く・歴史も古いので僕が大学時代に過ごした京都っぽい感じもする。そうなるとチャールズ川は、水戸の那珂川か京都の鴨川にあたるのか。

9月20日の朝、ボストンのローガン空港からワシントンDCに向かった。DCにて、今回の出張の同行者の高宮氏とランチをともにして、投資家1社とのミーティングを行った。面談後にロナルド・レーガン空港に向かう道は、まさにワシントンDC観光そのものだった。

車中から観る久しぶりの DCの風景は、威厳あるものだった。堂々と構える白いキャピタルヒル、FBI、IRS(内国歳入庁)、連銀、スミソニアン博物館、リンカーン・メモリアル、そして、ホワイトハウスだ。政治や権力の中枢がここに集中していた。ポトマック川を渡るとペンタゴンだ。計画都市の真価発揮だ。運転手と会話しながら、独立戦争から今までに至る米国の歴史に思いを馳せた。

独立宣言の後に、当初はフィラデルフィアにあった首都がワシントンに移った。「粗野な」新興独立国が、世界のリーダーに成長するまでの軌跡。その根底には、力強い独立の精神がある。日本には、明治維新の精神がある。その志士の精神を現代に呼びもどすことが肝要だ。飛行機は、ワシントンDCを離れ、NYに向かった。

1日でボストンからDCに南下し、そしてまたNYに北上をする。機内から見えるマンハッタンは、WTCのツインタワーが無いからか、どことなく寂しげだ。だが、その跡地に高層タワーが建築されているのを確認できた。

車が、セントラルパークの横59番街に差し掛かった。米国東海岸の都市は、それぞれに個性があって面白い。今、右隣を馬車が追い越していった。前方から中東系の人が、人力の三輪タクシーを漕ぎながら左隣を通り過ぎて行った。夕刻のNYは、渋滞の中、警笛が鳴り響いていた。

9月21日朝、ミッドタウンで重要な会議を終え、セントラルパークまで歩いて行った。セントラルパークのベンチに座り、木漏れ日を楽しむ。見上げると、木々の緑と高層ビルが、青い空に映えていた。プラザホテルでの昼食会の前の、束の間の癒しだ。

米国に名だたるシンクタンクAtlantic Councilの昼食会に参加した。スコルコフ元将軍からソ連崩壊、東西ドイツの統一、テロとの戦い、そして中国の台頭に至る話を拝聴した。日本からは緒方貞子さんがゲストとして参加していた。

昼食会後は、NYの「センチュリー21」でお買いものだ。ジャケット2着、ズボン4本、ワイシャツ3枚、ポロシャツ1枚、靴下6足。下着上2つ、下1つ。スカーフ1枚、手袋1対を買って、何と5万円もしなかった。1時間半で大量に買いだめした。時間効率、費用効率的にも、抜群だ。(^^)

夕方は、プラザホテルで夕食会だ。アウン・サン・スーチー女史、ヘンリー・キッシンジャー元長官等のアワード授与式が開催される、何と僕は、このアワードの共同議長だ。タキシードに身を包み、ウィングカラーシャツに黒の蝶ネクタイを縛り、カマーバンドをつけ、オペラ・パンプスを履き、いざ出陣だーー!

アワード・ディナーには、300名以上の著名人が参加した。アワードを受賞したのは、キッシンジャー元長官、緒方貞子さん、アウン・サン・スーチー女史等で、受賞者の紹介者には、WEF主宰のクラウス・シュワブ氏やクリスティーヌ・ラガルドIMF専務理事がいた。

僕は、そのアワード・ディナーの共同議長(Co-Chair)の立場で、スーチー女史等を迎え入れ、ゲストをおもてなす立場だった。スーチー女史のスピーチを生で聞くのは2度目だが、毎回背筋を伸ばさずには聞けない。20年超の自宅軟禁によって培われた強い信念が、ひしひしと伝わってくる。

「20数年の間、知的に楽な道を歩みそうになったこともあった。だが、その度ごとに、数多くの人が支えてくれた。ラジオから聞こえてくる声、家の外からの声、本や新聞での報道等だ。私は、犠牲を払っていない。私は、夫に『ビルマが私を必要とすれば、その役割を果たす』と伝え、その通りの道を選んだ。自ら選んだ道だ。私よりも無名の戦士の方がもっと偉い。彼らの犠牲のお陰でビルマの民主化が進んでいる。彼らは、この栄誉を受けることも無い。私は、彼らのお陰で今ここにいる」。

スーチー女史のスピーチを聞きながら、ついつい今の日本の状況と照らし合わせてしまう。僕も、「日本が僕を必要とすれば、どんな役割をも果たす用意はある」と言い切りたい。こういう方々と触れると、心の底から精神の高揚を感じる。

参加者は、僕が挨拶しただけでも、ユニリーバ社のCEO、PR会社のエデルマン社のCEO、人権擁護団体のHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)のトップ、サウジアラビアの皇太子、米国の政治家、エネルギー庁副長官等錚々たる顔ぶれの方だった。日本からは全日空の大橋会長、三菱商事の北米トップの方が来ていた。

9月22日、NYの土曜日の朝。ホテルの窓の外から陽が射しこんできた。ホテルのペントハウスにあるプールにガウンで向かう。そのプールの窓からは、セントラルパークが一望のもと見渡せる。階段で屋上に登り、NYの空気を吸い込む。米国独立戦争の先人たちが築き上げてきた歴史の一端が、NYの摩天楼から感じ取れた。

NYのJFK空港から、午後の便に乗り、日曜日の夕方には東京だ。今、機内でこのコラムを執筆している。帰国後、配信することにする。

2012年9月23日

成田に戻る機内で執筆

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