いよいよ最初の全体会(プレナリー・セッション)が始まった。
テーマは、「金融危機に対処する」で、登壇者は、ローラ・タイソン女史、スティーブン・ローチ氏(モルガン・スタンレー アジア代表)、中国の政府系ファンドであるCICの総帥、シティ・グループのアジア代表、二兆円規模の資金を運用するヘッジファンドの代表などであった。
ローチ氏の説明がわかりやすかった。「金融危機は、三つのバブルがはじけたのだ。一つ目が不動産バブル、二つ目が信用バブル、そして三つ目が消費バブルである」。
前日のランチミーティングで、BNPパリバの河野龍太郎氏もその消費バブルのことを指摘されていた。米国のGDPに占める消費の割合が70%を超えて72%になった。これは、全世界のGDPの2割を占める。人口が1/30以下なのに、GDPではその消費のみで世界の1/5分を支えているのである。その消費がGDPに占める適正水準は、65%程度であろうと言われているから、その分の収縮が起き始めている。それが、「消費バブルの崩壊」、というものらしい。
さらにローチ氏は続けた。「アジアの経済は輸出志向で、消費がGDPに占める割合が45%程度である。文化的な違いなのか将来に対する不安があるのかは不明だが、貯蓄率が高くて消費に向かっていない」。
「これから世界の比重がアジアに移行していると言われているが、これだけ過少消費で内需が拡大していない経済構造で、本当にアジアの時代と言えるのであろうか」、と最後には声を荒げて、主張されていた。
ここで、僕は考え込んだ。経済学的に言うと、消費はいいことである。消費が進むことによって、設備投資が進み、雇用が確保されて、原材料を調達して生産がおこなわれる。その生産などのために資金の調達が行われ、利潤を生みだされ、結果的に富が創出される。
一方では、その活動そのものが、今度は地球環境を悪化させている原因である場合もある。原油や地下資源を枯渇させ、二酸化炭素をバラまき、不燃物などを生み出す。
つまり、経済と地球環境とかがある程度は、二律背反(トレードオフ)の関係になっているのであろう。
何も「豊かになってはいけない。地球環境が全てである」と僕は言わないが、日本古来の価値観からすると、倹約はいいことであり、浪費をしないのがベストである。一方、自然との共生が大事なので、地球環境には気を使いたいと思ってきた。
そうなると、「地球環境を維持できる範囲の、適度な豊かさがあればいいのでは」と言う結論となる。最近良く言われているのが、持続可能性(Sustainability)である。行きすぎは良くないのである。
経済的には、この金融危機は大打撃ではあるが、持続可能な社会を構築する上では、絶好の機会とも言えるのではないかと思う。日本の「もったいない」の思想が生み出している低エネルギー消費型の社会は、世界にとってはひとつの見本となるべきではないかと思う。大量生産・大量消費から、適度な生産・適度な消費へと移行して、地球レベルでの持続的な発展ができたらと思う。
ところが、そういう議論にはなぜだかならないのだ。「この経済危機を乗り切るために、財政を出動させて消費を喚起しよう」という論調になる。給付金もその政策の一貫なのであろう。個人が今の環境で考えた最善の策の結果が、倹約なのだ。何も消費を勧めなくてもいいように思う。一方、企業は、どのような環境になろうとも対処できる、柔軟性とスピードが必要になるのだと思う。
その間、ヘッジファンドのトップは、根拠なき楽観論を述べていた。やはり、自らの株式ポートフォリオが気になるのか、「株価は12月中には底を打つので、皆で一緒になって買い支えよう。みんなが買えば株価は上がるのだ」との主張であった。
コンファレンスの場所が香港だからか、中国の存在感が自ずと高まっていく。中国の政府系ファンドのトップは、中国語でスピーチをする。そのたびに、会場の参加者がヘッドフォンをして、通訳の声を聞くことになる。
僕は、ふといろんな事を考え始めた。この経済危機においては、日本政府は、「お人よし」だから無条件でIMFに外貨を拠出したが、他国の政府は外貨を持っていることを発言権を高める格好の機会ととらえているふしがある。さらに、他国の政府や企業は、地下資源を買い漁るチャンスであると動き始めている。日本はどうすべきなのだろうか。
色々と考えている間に、パネル・ディスカッションが終了する時間となった。ローラ・タイソン女史が、以下の通り締めくくった。
「金融危機を人類は必ず乗り切ることができる。しかし、地球環境の変化を人類が乗り切れるかどうかは、わからない」。非常にメッセージ性のある言葉で、気分がすっきりとした。会場からようやく拍手がわきあがってきた。
次のセッションの途中で、僕は、パネリストとして登壇する分科会の会場に移動するために、メイン会場をあとにした。僕が登壇するセッションは、「代替高等教育(Alternative Higher Education)」である。つまり、大学に代わる新たな教育が必要になる、というのである。まさにグロービスのためにあるようなテーマであった。
CGIの分科会は、面白い構成になっていた。一時間半を3部構成に分けているのである。
最初の30分でパネル・ディスカッションを行い、題材をカバーする。次の30分がグループに分かれてテーブルごとにディスカッションを行う。そして、最後の30分でパネラーが再度登壇して、グループの意見を吸い上げてまとめる、という構成であった。
とてもわかりやすい構成である。その討議の中身については、僕自身の持論を展開させてもらったので、ここでは割愛して、別の機会に共有したいと思う。ただ、とてもエクサイティングな充実した面白い内容で会ったということだけをここでは紹介させてもらう。
その分科会のあとは、早くもクリントン前大統領による締めのスピーチである。例によって30分遅れてクリントン氏の登場である。彼が主催者なのだが、なぜだか全員スタンディング・オベーションで迎えることになった。
僕がクリントン氏に直に触れるのは、これが3回目である。今回見るクリントン氏は、どことなく疲れているような感じであった。以前会った時のような、楽しそうに話をする様子は無かった。クリントン氏は、壇上でいつものようにコミットメントを4つ紹介して、スピーチが始まった。
スピーチの内容は、感動的であった。「インドネシアのアチェに行った際に出会った女性のことを忘れられない。10人の子供のうち、9人を津波で失ったのだと言う。しかし、9人を失ったことを悲しむよりも、1人が救われたことをポジティブにとらえて、これからは生きていくのだ。経済危機を言い訳にして行動を緩めてはならない。僕らのサービスを必要としている人々がいるのだから、是非今後とも教育、公衆衛生、地球環境に前向きに取り組もう」、という趣旨であった。
スピーチの後には、スタンディング・オベーションでわれらがホストを見送ることとなった。
コンファレンスに参加した期間は短かったが、これが「好奇心の塊」が見た、CGIの風景である。
次の好奇心は、どこに向かうのであろうか。「好奇心の塊」が赴くままに見た風景を、またコラムとして皆様にお届けしたいと思う。
機内では、すでに着陸準備のアナウンスが終わり、フライト・アテンダントがせわしなく動いている。シートベルト・サインが点灯し、飛行機も高度を下げてきた。フライト・アテンダントに催促され、僕は静かにパソコンを閉じることにした。
2008年12月4日
中部国際空港に向かう機内にて執筆
堀義人