日経平均が7000円を割り込み、ドル円が90円をつけたことを確認するかのようにして、今週から市場が平常心を取り戻したように機能し始めた。
病人が退院したてのような慣れない足取りは残るが、急病で入院した時よりは、明らかに回復している、といった様相であった。
これで、サブプライム・バブル崩壊の第二幕が閉じたのであろう。第一幕は、サブプライム・ローンの破たんに始まる投資銀行や銀行の倒産・合併、そして世界各国政府による公的資金投入の流れまでである。
そして第二幕が、さらなる市場の大変動である。アイスランド、ウクライナ、パキスタン、ハンガリーなどの各国が破綻するとともに、株価と為替が大変動してきた時期である。
第一幕の主役が米国財務長官のハンク・ポールソン氏に代表される各国政府と、投資銀行や銀行などであった。あのスキンヘッドのいかつい体型の財務長官が何度、経済紙面に登場したかは、皆さんも記憶に新しいことかと思う。それに対して、第二幕の主役は、IMF(国際通貨基金)、株式市場と円であった。IMF専務理事の女性問題が脚光を浴びるとともに、中川財務大臣が海外紙の表紙を飾ることが多くなってきた。
フィナンシャル・タイムズなどを読んでいると、さまざまな世界の様相が見えてくる。例えば今、ロシア一の大富豪が瀬戸際に立たされている。彼は、企業に投資をし、その株価が上がると、更にその株を担保にして投資をしてきた。日本のバブル時代のように、株式が下がり始めると株式の担保価値が下がり、追加担保の差し入れをするか、早期返済を要求される。
このように右肩上がりで成長し続けると思っていた人々、企業、国が、世界中のあちらこちらで足元をすくわれようとしている。
ロシア以外にも、ドバイでの過剰投資、中国の不動産バブルの崩壊、インドやブラジルの株式の下落、そして原油下落による中東諸国の利益・資産減など。新興国に向かっていたお金の流れが明らかに逆回転し始め、安定を求めて自国に回帰しているようである。そして、ドル・円高となり、最後は円の独歩高となって第二幕を終えた。
これからは、サブプライム・バブル崩壊の第三幕に入ることになる。第三幕の主役は、消費者と企業であろう。消費者の財布の紐が固くなり、商品の選別を行い、世界次元で企業が倒産をしていくことが想像される。
最初の試金石は“ビッグ3”であろう。売上高が2、3割も減ると、企業が生き残るのは至難の業である。消費者の紐が固くなることによって、商品としての魅力がないところ、かつ成長を前提に過剰投資をした会社から、倒産をすることになろう。これは、日本のバブルでも起こったことである。今回は、日本のバブルで起こった倒産・合併劇が世界次元で起こることになる。負け組が退出して、勝ち組に集約されていくことになろう。
日本の企業は、その中では、相対的に良いポジションにあると思う。グロービスも企業研修で多くの会社とお付き合いしているが、その多くが、人材育成に積極的に投資をしてきたこともあり、組織力や変化適応力は相対的に高くなってきている。コア事業に「選択と集中」をしており、事業ポートフォリオも良い。さらに、無駄を排除した結果として、生産性も収益性も高くなっている。そしてバブル後に蓄えてきた手元流動性の高さ。これらを元に、最終的には、日本企業が世界で優位に立つ日が来るのであろう。
しかし、世界の先進国の中では、日本の株式市場が最も下落率が高い。僕にはこれが全く理解できなかった。あるエコノミストは、日本企業の外需依存度の高さを説明して、外需の低下と円高が日本企業に与える悪影響を示した。しかし、そうは言っても、最も影響を受ける欧米を市場としている海外企業の方がかぶる影響は大きいに決まっているので、日本市場が相対的に大きく下がる理由を外需依存では説明できていないと僕は、思っていた。
その理由が、米国に出張した際に、わかったのである。先のコラムで書いたが、今回のバブル崩壊は、日本にとっては「かつて来た道」だが、米国などにとっては「今から初めて歩む道」である。日本の場合、投資家・消費者を含めて、皆これから何が起こるかをかなりの確度で認識している。つまり、大不況になるのだ、と。一方、海外の投資家にとっては、「今から初めて歩む道」なので、今後どうなるかを頭では理解しても実感としては認識できていない。
つまり、日本及びアジアでは、かつての恐怖心から過剰に反応しているが、一方、欧米は経験が無いから過少に反応しているようである、というのが僕の仮説である(とは言え、僕の仮説もよく外れるので、ご安心を。以前、オバマとヒラリーでは、ヒラリーが勝つと言ったぐらいであるから)。
僕は、市場というのは、心理的な要素でかなりの部分動くものであると思っている。もしも上記仮説が正しいとなると、ある時期から日本とアジアの市場よりも欧米(特に米国市場)のみが相対的に大きく下がる局面が出てくるのではないかと思う。
前述の通り、市場は心理的な側面で動く。だからこそバブルが発生するのである。僕は、今回のサブプライム・バブル崩壊の流れで一番打撃を受けるのは、BRICs諸国などの新興国だと思っている。その根拠は、単純なものである。
BRICsなどのようなバズ・ワード(造語)ができて新聞などのマスコミでチヤホヤされ出すと、そこに注目(アテンション)が集まり、さほどの根拠が無いにも関わらずお金が集まり始めるからだ。一時期は、中国やインドのことばかりがどの国際会議でもメインに語られた。注目が集まると、お金を吸い上げて、バブルができあがっていくのである。しかし、あるきっかけを元にバブルが崩壊する。そうなるとお金の流れが逆回転するのである。事実、上海の株式市場が最も下落率が高い(70%以上下落している)ことからもそのように説明できる。
一方、サブプライム・バブル崩壊後の世界経済におけるニュース(注目)の中心は、日米欧である。新聞をみても、中国やインドの報道は少ない。つまり、BRICsバブルは、マスコミが実態よりも大きく捉え、作り上げたものにより発生したものであることがよくわかる。有事の際には、やはり日米欧の主要国が中心となるのである。
その日米欧の中では、ユーロが大幅に下落し、ドルも円に対して下落し始め、円が主役となりつつある。でも、いまだに世界のマスコミは、日本の存在感の上昇を感じながらも、ジャパン・バッシングやジャパン・パッシングをしてきたことを反省・修正しようとすらしない。これだけ、世界経済の中で円の存在感が高まりつつあるのに、である(ま、彼らの論調は、あたりまえのごとく、また昔から知っていたかのように、そのうち日本企業の良さやファンダメンタルの良さを語り始めるのであろう)。
以前から日本人の有識者の中に、日本の存在感が低下しているのを嘆く論調が多かった。僕も、一時期まで、日本の存在感の低下を嘆いていた。しかし、ある一時期から、態度を変えることにした。
「どうぞ、どうぞ、どんどん日本を無視してください。日本に関わりたくない方はどうぞ無視し続けてください」、と堂々と言うようになってきたのである。
日本人の英語のレベルは、所詮、米国人や英国人のネイティブ・スピーカーに敵うわけがない。中国人やインド人のように、しつこいほど積極的に議論に参加する厚かましさも、日本人には期待できない。政治の場でもロシア、フランスのように、あえて反対することによってあるいは政治的パフォーマンスによって、自分たちの強さや存在を誇示することはできないであろう。そうなると、国際会議の場では、日本は慎ましやかにならざるを得ない。
日本は、その慎ましい存在のままで良いのかもしれないと思い始めたのである。もしも世界が、米国、ロシア、中国、インド、フランスなどのように自らを強く主張する国々ばかりであれば、基本的に何もまとまらないであろう。事実、最近の国際会議は、中国、インド、米国、ロシア、フランスなどの主張によって、なかなかまとまらなくなってきている(WTOの交渉しかり、温暖化問題しかりである)。
日本人は、日本人らしく、慎ましやかに、静かにいて、やるべきことをしっかりとやる良き世界市民としてある程度、尊敬される存在であればいいのではないだろうか。
それでも、日本を無視・軽視する人がいれば、「どうぞ、どうぞ無視し続けてください」でいいのではないか。所詮、無視や軽視されても、日本はこれからの第三幕では、主役になるのであるから。
ただし、たとえ主役になっても静かでいるのが一番良いのだと思う。過度に期待されても、困るのである。「ジャパン・バッシングやパッシングをしたくせに何を今さら言い出すのだ」と言いたくもなろう。でも、そこをぐっと堪える。「僕らは、それほどの存在ではないのであまり期待しないでください」と慎ましく、低姿勢でいるのがベストであろう。
G20がワシントンで開催されると言うが、願わくば日本の代表団には、静かに「どうぞ、どうぞ。あまり多くを期待しないでください」の姿勢で無理に存在感を発揮しないで欲しい。過度に期待され、日本が多くを背負った結果、せっかくのチャンスを好機に変えられなくなるかもしれないからだ。
日本は、静かなリーダーシップを発揮する存在のままで良いのだと思う。そして、静かなまま良き世界市民として、このサブプライム・バブル崩壊を賢く生き抜くことで、静かなリーダーとして尊敬を集めれば良いのである。
僕は今、グロービスのプレジデント・オフィス(社長本部)のリトリート(泊まり込み型の経営合宿)で、京都に来ている。
コラムを書いている僕の眼の前を、宇治川が流れていく。山のふもとには紅葉しかけた木々の黄緑色の葉が目に入る。川にかかる赤い橋と、欄干から発する白い水しぶきが好対照となっている。青い空、白い雲、そして、緑の山が太陽を浴びて美しく反射している。京都の秋が近づいている。
歴史を振り返れば、京に都ができてから既に1200年以上が経過しているのである。そしてその間、そしてそれ以前より、川は静かに滞ることなく流れ続けてきたのだ。
世界がどうなろうが、市場がどう動こうが、また世界における存在感が高かろうが低かろうが、日本企業には、日本の良さを失わずに歩んでほしい。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」。
方丈記ではないが、この近くには源氏物語の舞台となった場所があるらしい。明日は、気楽に散歩などしてみようかと思う。
2008年10月29日
京都の宇治川のほとりにて
堀義人