軽井沢の山小屋を出て、新幹線の「あさま」で東京駅に向かい、成田エクスプレスに乗り換えて成田空港へ。そしてワシントンDC経由でボストンのローガン国際空港に飛び、タクシーでホテルに向かった。全行程21時間をかけて、ボストンのホテルに着いた。
部屋に着くなりすぐにシャワーを浴び、髭を剃り、スーツに着替えて、母校であるハーバード・ビジネス・スクール(HBS)に向かった。チャールズ川沿いの木々は、すでに紅葉し始めていた。ジョギングをしている人々や川遊びをしているカモなどを眺めている間に、母校のキャンパスに到着した。
キャンパスには、「HBS100」と書かれたバナーがいたるところにかけられていた。そうなのだ。今年は、HBSの創立100周年にあたるのである。その記念として、「HBS100周年記念サミット」が開催され、2000人の参加者が集ってきていた。僕はそのスピーカーの一人として参加しているのだ。
しかし、資本主義の象徴のようなHBSの100周年記念サミットが、史上最大の下げ幅を記録した週の週末に開催されようとは、誰が予想したであろうか。皮肉なものである。米国ダウ、日経、英国FT、ドイツDAX、香港ハンセンなどの主要な指標が軒並み連日下落して、1週間で20〜30%価値を失ったのである。試算によると約2000兆円の損失であると言う。日本のGDPの約4倍をたったの一週間で失ってしまったのだ。
その週末にかけて、各国の財務長官、大統領・首相が、それぞれに公的資金の金融機関への注入を意思決定していた。その日曜日の夜にHBSサミットのレセプションが開かれ、翌日の朝からメインのスピーカーが登場したのである。皆、固唾を飲みながら市場の行方を注視していたことであろう。
サミットのプログラムは、3つのテーマで構成されていた。国際化、リーダーシップ、そして資本主義の未来である。
午前中がキーノート(全体会)で、午後が分科会形式になっていた。キーノートは、ベイカー図書館の前の芝生に2000人を収容できる仮設の会議場をこのために造り、開催されていた。何という贅沢さである。
最初のキーノート・パネルは、卒業生(アルムナイ)アワードの受賞者5人によるものであった。100周年を記念して新たに5人を選出したのである。
ジョン・ドア(ベンチャーキャピタリスト)、メグ・ウィットマン(eBay CEO)、ジェフ・イメルト(GE CEO)、アナンダ・マヒンドラ(印マヒンドラ CEO)そして、ジェームズ・ウォルフェンソン(元・世界銀行総裁)である。
僕は、個人的にはもっと受賞すべき人がいたのではと思っている。例えば、ジェフ・イメルト氏よりは、ルー・ガースナー氏(IBMの元CEO)が、マヒンドラ氏よりはマレーシア国のアーナンダ・クリシナム氏(かの有名なペトロナス・ツインタワーなどを所有していた人)の方が偉業を達成したという意味では価値があるように思えていた。
日本で独断と偏見で5人を現時点の達成度で選ぶとしたら、新日鉄の三村明夫会長(大企業経営者)、ローソンの新浪剛史氏(プロの経営者)、楽天の三木谷浩史氏(起業家)、女性としてはDeNAの南場智子氏、コンサルタントとしては堀紘一氏だろうか。
その後、ビル・ゲイツ氏と歴史の教授のスピーチがあって、午後の国際化に関する分科会に流れ込むという構成である。
分科会の一日目のテーマは、国際化である。20程度のトピックスに分かれてHBSの各教室で開催された。僕は、カンファレンスでは、なるべく自分が相対的に知らない分野に参加しようと心掛けている。その方が、学習効果が高いし、新しい視野を得ることができるからである。
僕が選んだのが、「イノベーションとR&Dの国際化」であった。テーマは、研究開発(R&D)をどのように国際的に分業体制を敷き、最小投資で最大リターンを生み出せるか、であった。当然、R&Dと言っても幅が広い。基礎研究から応用研究、製品開発、さらには、
生産技術まで多岐に渡るものを、短期的リターンを求める株主のプレッシャーの中でどのように活用して、競争優位を築くかがテーマであった。
詳細は割愛するが、パネラー以上に会場の参加者からの意見にハッとするものが多かった。やはり、このようなパネルの醍醐味は、会場からの意見や知的挑戦があることにより生み出されるのであろう。
二日目の朝は、ハーバード大学のファウスト学長のスピーチで始まった。ラリー・サマーズ前学長が女性蔑視の発言などで解任に追い込まれた後に、急きょ登壇した女性の学長である。僕の予想通り、スピーチの内容は実につまらないものであった。あとでスピーチをした前任者のラリー・サマーズと対比するのは、余りにも可哀そうだが、ラリーの知性に圧倒されて興奮してしまった立場としては、どうしても比較をしてしまうものである。
その後に、リーダーシップをテーマに、JPモルガン・チェースのCEO、ゼネラル・モーターズ(GM)のCEO、ベイン・アンド・カンパニーの女性CEO、そしてアジア代表のフィリピン国のアヤラ氏である。この時節がらか、なんとなく歯切れが悪いディスカッションに終始していた感じである。GMは、政府からの低利融資を受けており、JPモルガン・チェースも近々公的資金を受け入れることになろう。
やはり、僕にとっての二重丸・三重丸は、ラリー・サマーズ前学長兼元財務長官であった。彼は、幼小のころから神童と呼ばれていたらしい。学会、政界での活躍も目をみはり、何かと話題性の高い人である。早い時点から米国経済が今の状況になることを予想し、警鐘を鳴らし続けていた悲観論者(僕にとっては現実主義者)である。
「半年前にスピーチを依頼されたが、まさかスピーチを実施する日に、米国の主要銀行に公的資金が投入される日になろうとは、予想だにしていなかった」から始まった彼の経済の見方は、実に面白かった。
彼が言うには、現在は、5つの悪循環が発生しており自己調整機能が働かない状態になった。5つとは、(1)株価下落->投資意欲減退->株価下落、(2)資産価値評価減->時価会計により他の資産価値の評価減へ、
(3)信用収縮->貸出抑制->流動性減少、(4)消費低迷->生産低迷->設備投資の低迷、(5)パニックがパニックを生みさらなるパニックに繋がる、悪循環である。
これを止めるには、各国政府の強い確固たる行動が必要となる。金融機関への資本注入、預金などの保証、そして資産の買い取りなどである。
歴史は繰り返す。20年程度の間に、既に7回も危機を迎えてきた。1987年のブラックマンデー、S&L危機、メキシコ、アジアの経済危機、LTCM崩壊、ITバブルの崩壊そしてエンロン・ワールドコムなどである。常にバブルは発生し続けてきた。しかし、今回のはかなり根が深い。
米国のような民主的・自由主義・市場主義の国が、全体主義・独占的な主に石油産出国に資金的にとって代わられようとしている。それでいいのだろうか。
今、世界は、苦悩のジレンマに陥っている。ダイナミックな健全な経済を望むと、国際化が進み、教育やスキルを持っている人と持っていない人との格差が拡大する。教育は将来的な解決になるが、すでに30歳以降となっている人々への解決にはならない。
そして、米国が世界のリーダーとしての地位が今揺らいでいると警鐘していくのである。僕は、このコラムでは書ききれないほどの知的なシャワーを浴びた気がしている。実に面白かった。
彼は、そのあとにマイケル・ポーター教授がモデレーターをした「資本主義の未来」と題したテーマでもパネラーとして残っていた。他のパネラーも良かったが、やはりサマーズ元長官・学長と比べると圧倒的な違いがあった。彼の対立をおそれずに、自分が正しいと思う意見を論理的に述べていく様は、実に痛快であった。
一方では、彼が学長を追われてしまったのもある程度は理解できる気がした。彼は、他人を徹底的に論破してしまうのだと言う。彼からすれば論理的な意見交換をしているつもりだが、相手側は屈辱感を感じていくのであろう。サマーズ氏もパネルの中で、「最近は賢くなって自分が思っていることを言わなくなってきた」、とほのめかしていた。と言いつつも、「でも今日は言わせてもらう」と続き論破していくところに、観衆は魅了されていくのであろう。
ランチのあとは、ふたつの分科会であった。一つ目がマイケル・ポーター教授が主宰している「健康保険制度のあり方」に関してである。なるべく知らない分野に覗いてみたいと思っていたので、学びはあった。だが、保険制度は、政府が意思決定することであるので、あまり僕自身が感情移入するほどの情熱は持てなかった。政府の意思決定に学者や民間がどのように影響していくのであろうかを注視したいと思っている。
サマーズ氏もマイケル・ポーター氏も言うのは、ビジネスリーダーは、「もっと政治に関与して、影響を及ぼすべきである」、ということである。「影響力がある人が社会起業家活動に専念するのもいいのだが、それだけでは物足りない。教育制度、財政システム、社会保険制度などの社会全体に大きな影響を及ぼすことに目を向けないのであれば、偽善的にすら見えてくる」という。
今まさに、ビジネスリーダーが、公共政策に深く関与すべき時代なのかもしれない。政府と民間に距離があくと、現場で起こっている問題が意思決定者にフィードバックされなくなってしまうのである。政治に関与することは、民間セクターのリーダーの責務であろう。
そして、最後の分科会に、僕が登場をするのである。HBSの100周年記念サミットのパネラーに選ばれたのはとても光栄なことである。日本からは、僕以外には、楽天の三木谷さんだけである。
僕が参加したテーマは、とても幅広い。「ベンチャー・キャピタル、プライベート・エクイティ、そしてヘッジファンド」である。何でもあり、という印象がある。要は、代替投資領域全てを包含しているのである。
一方では、今最も揺れ動いている分野の一つである。ヘッジファンドは、市場の下落から投資家の償還を求める圧力が強い。プライベート・エクイティは、現在ファイナンスが全くつかない状況である。しかも投資先企業も借り入れが多いために、経済の低迷に直面すると全損のリスクを伴うのである。VCは、市場が冷え込み、IPOの可能性が減り、経済の停滞が直撃している。「さあ、世の中はこれからどうなるのであろか」、がテーマであった。
ビル・サロモン教授のモデレーターの中で、僕が一番最初に呼ばれた。僕は、グロービスの自己紹介の後、日本の状況からこれから米国がどうなるかを説明した。僕の見解は、「まだバブル崩壊の1合目か2合目でしかない」、である。これから資産デフレ、消費低迷が起こり、ビッグ3を含む数多くの企業が倒産し、銀行の企業融資の不良債権が増加していくであろう。そして、数年間の世界同時不況となるであろう。会場が多少冷え込んだのは感知できた。でもそうなると思うのである。
次は、ベイン・キャピタルがPE業界の現状を話した。そしてヘッジファンドの代表者である。みな心なしか、委縮している感じがした。それは無理もない。彼らからすれば、未知の世界に足を踏み込んでいるようなものなのであろう。僕ら日本人からすれば、既に来た道である。これからどうなるかは、大方予想できる。
それでも、気がかりなのは、以下の3点である。僕もパネラーとしてその懸念点を表明しておいた。
1)前回のバブルと違い、今回は世界次元である。前回は日本には余剰資金が少なかったが、欧米には存在したので、その資金の流入によって回復することができた。今回は、誰が出し手になるのであろうか。サマーズ長官の言うように主に石油産出国であろうか。
2)日本のバブルの時と米国とでは2つ大きな違いがある。日本はそうは言っても貿易黒字国であったが、米国は貿易赤字国である。日本の個人資産は1500兆円もあるが、米国の個人は借り入れが多く負債を抱えている。しかも資産は株式に偏っているので、市場下落のインパクトが大きい。ただ、米国は基軸通貨を持っている。さて、どうなるのか。
3)一方、米国政府が抱え込もうとしている負債は、AIG、米国住宅公庫、金融機関さらには、GMなどのビッグ3をも救済するとなると多額になる。ドルを刷ればいいのだろうが、基軸通貨としてのドルはどうなり、米国の新政府はどのような政策を取るのであろうか。
気がかりなことは、多い。ただ言えることは日本は相対的に良いポジションにいる、ということである。これからは、世界経済における日本の存在感はさらに増していくことになろう。
今回のディスカッションでは、どちらかというマクロに終始した感じだったが、日本から見えている視点は、観客にとってはかなり新鮮だったようである。最後に、サロモン教授が言ったことが印象的であった。
「低い値段(Low Price)だからと言って安い(cheap)とは限らない」、である。物事の本質を掴み取るのはとても複雑だから、難しい。素人の個人としてはあまり投資などをしない方が良い、というのである。
分科会のあとに、教授やパネラーに謝意を表して、最後のレセプション会場に向かった。参加者からは、「良かったよ」と声をかえてもらえた。こういうフィードバックは、ありがたいものである。
僕にとっては、さまざまな分野のことを考えるのは、実に楽しいものである。ベンチャー・キャピタルを経営し、起業家として経営大学院を経営していると様々な視点に触れることになる。新しい技術・産業、世界的な資金の流れや市場の動向、ゼロからの創造と組織・経営、さらには、教育や行政などである。
これらの知見を常に世界次元に合わせることは、僕にとっては知的刺激が得られ、学ぶことが多い。当然、スピーチをすることにより、グロービスの知名度の向上に役立つし、ネットワークを強固にする機会にもなるのである。
幸い、僕から売り込まなくても、スピーカーとして招待されることが多くなった。この二年間だけでも、フォーブズやビジネスウィークのCEOコンファレンス、ダボス会議のサマーダボス、東アジア経済サミットやインドサミット。ベンチャー・キャピタルのコンファレンス、そして次はクリントン・グローバル・イニシアチブでのスピーチである。
与えられるテーマも多岐に亘っている。様々なことを学ぶ良い機会を与えられていると思っている。
最近の出張は、原則カンファレンスのスピーチに合わせた短いものになってきた。今回も二泊三日の強行軍である。今フライトの上でこのコラムを書いているが、キャビンアテンダントを含む全クルーが行きと一緒であった。彼らがワシントンDCでステイしでいる間に、僕はボストンを往復して、スピーチをして、多くの人とのネットワークを築いてきたのである。
パネルの後の夜には、HBSの日本人学生との会食が入っていた。場所は、川向こうのホテルのレストランであった。HBSのレセプション会場で軽くシャンパンを飲んで、参加者に別れを告げて、ほろ酔い気分で、キャンパスを歩き出した。
もう既に、全体会に使った仮設の会場の、取り壊し作業が始まっていた。川の橋の上から見える景色は、絶品であった。川の上をボートが波を立てずにスイスイと滑って行っている。川の両岸には、紅葉しかかっている木々の緑と黄色である。橋の反対側に目をやると、橙(だいだい)色の夕焼けである。そして、オレンジ色の太陽が今まさに沈もうとしていた。
20年ほど前から渡りなれていた橋だが、ここまで美しさを感じることは無かった。自分が成長したからだろうか、あるいはゆとりができたからだろうか。
そう思いながら、また沈みゆく太陽を振り返った。太陽はすでに木々の中に吸い込まれており、木の黒い輪郭の合間からオレンジ色の輝きを見せていた。僕は、目をつぶり深呼吸をして、ホテルのレストランに向かった。
2008年10月16日
成田に向かう機内にて執筆
堀義人