ツイッター7つの仮説 

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最近ツイッターを始めて、気づいた点があったので、簡単に「7つの仮説」としてまとめてみることにした。こういうのは、始めた当初の新鮮な感性を持っているときに書かないと、すぐ日常の「当たり前」になってしまうので、このタイミングで文書化することとした。ま、皆さんにとっては、ありきたりの内容かもしれないので、ちょっとした長い「つぶやき」程度で読み飛ばしてください。

仮説1:ITの進化に伴い、議論の質が下がる。

僕は、ニフティのパソコン通信の時代から、サイバースペースのネットワーキングには、深く関与してきた。ニフティの掲示板のFBINCでは、よく発言していた。今でもよく覚えているのが、1996年当時にベンチャー・キャピタルを立ち上げた際に、「サイバースペース・インタビュー」と称して、FBINC上で1週間期限を切って、質問を受け付けた時のことだ。全ての質問に対して徹夜をしながら、僕は一生懸命に答えた。その際に、サイバースペース上で出会ったのが、ワークス・アプリケーションズの牧野さんである。牧野さん曰く、PC越しにその書き込みを見ながら、「この人であれば、安心できる」と思ったようである。
その後、インターネットの環境に移行し、ブログ、ツイッターなどと進化してはきた。だが、考えてみたら、ニフティの掲示板時代がもっとも議論の質が高かったように思う。ツイッターのように140字の制限であれば、もはや議論はできないであろう。ま、そもそも議論の質の高さをツイッターに期待する人は、あまりいないのであろう。

仮説2:一方では、訴求力・リアルタイム性が抜群に上がる。ツイッター(SNS)、ブログ、動画などの組み合わせにより、よりパワフルな発信力を個人が持つようになる。

ツイッターは、リアルタイム性があり、かつフォローの数が可及的に膨れ上がる潜在力がある。一方、仮説1のとおり、議論の質は低下する。ただし、告知能力やバイラルのコミュニケーション能力は、飛躍的に高まる。さらに、ブログ、SNS、動画と組み合わせることによって、140文字のみという弱点を補完できる。100万人がフォローすれば、100万人が購読している新聞紙よりもパワーを持つこととなる。しかも新聞の購読者よりも、関係性を持つ「同質のTRIBE(種族)が集い、無数のAVATARに語りかけることになる」(ダボス会議での発言)。それが、無数に広がっていくのである。

仮説3:知のインプットの時間が減るので、人々は扇動されやすくなる。

ツイッターに仮に一日30分程度アクセスする。そうなると、人生の中の30分を削る必要がある。さて、何を削るのであろうか。現代人は、コミュニケーションに費やす時間が膨大に増えている。携帯メール、インターネット、電話などへの時間が増えた分だけ、当然インプットの時間が減る。不特定多数から来る膨大な情報を仕入れる術を持つが、その分、本を読んだり、考えたりする時間が減るのではないか。そうなるとコミュニケーションを通して感知した認識によって動かされやすくなる。人々は、事実よりも感知した認識によって、動かされる。事実をもとに、何が正しいのかを自分の頭で考え、見極める人が育たないと、ツイッターを通しての扇動(アジテーション)によって、社会が動くことが多くなると思う。これが、イランや中国などの全体主義国家がインターネットを通じた自由なコミュニケーションの加速に脅威を感じる理由でもあろう。

仮説4:パーソナルな情報がマスメディアを凌駕する。

一方、人々が、感知した認識で動かされるならば、今後更にコミュニケーションの重要性が増してくる。ツイッターなどの草の根発信が増えると、情報発信・伝達の「民主化」が起こり、無数の意見が多く発せられることになる。その結果、事実と感知された認識とのギャップが減る筈。ただし、先に述べた「自分の頭で考える力」が増すことが条件となる。

ダボス会議において、次の質問があった。「この中で記者の人は何人いますか?」。次の質問が、「この中で、ブログ、SNS、ツイッターをしている人は何人いますか?」である。基本的には、マスメディアからの発信よりもパーソナルな発信が増えるのである。今後は、「日経新聞によると」よりも、「○○さんによると」の方が信憑性を持つ時代が来るであろう。一例ではあるが、日経新聞のダボス会議でのカバレッジは、マクロの政治・経済に偏ってしまっていたが、もしかしたら読者が知りたいのは、生のダボス会議の体験記だったのかもしれない。パーソナルな情報発信によって、マスメディアと違う情報を得られるようになることは、ありがたいことである。

仮説5:コミュニケーション依存症(ジャンキー)が増え、物理的交流の機会が減る。

携帯、パソコンなどの機器でインターネットなどのコミュニケーションが増えるにつれて、「コミュニケーション依存症(ジャンキー)」という言葉が、使われるようになるのではないか。アルコール依存症とか麻薬依存症と同様に、「コミュニケーション依存症」というものが増えてくるのである(最近では、セックス依存症というのも出てきた。タイガー・ウッズの一件でこの依存症を始めて知った)。

1時間程度ネットへのアクセス環境から遮断されると、その禁断症状が出てくるのである。一日インターネットから隔離されると、不安で仕方がなくなるのだ(ちなみに、僕はもう既にその域に入りつつあるかもしれない)。

一方、インターネットを介した交流が増える分だけ、当然物理的な交流が減る。さらに引きこもりが増えるのであろう。最近では、「アバター」や「サロゲート」など、自分のアバター(自分の分身となるキャラクター)やサロゲート(身代わりロボット)を自宅やカプセルから動かす映画の題材が増えている。そこへの道のりに入り始めているようだ。

今後は、「休肝日」のように、「休ネット日」というのを作ることが重要になるのであろう。静かな時間を作らないと、依存症となってしまうであろう。

仮説6:ツイッターのフォロワーは、共感、情報、知恵などの全人格的な面白み(エンターテインメント性)を求める。

結局は、フォローするかしないかは、最後は面白いか面白くないかである。何らかのメリットが無いとフォローをしない。ただし、これも実社会でも同じである。実社会で会いたい人は、新しい情報や知恵を与えてくれるのか、楽しく・気持ちよくさせてくれるのか、あるいは夢・勇気・愛情などをそそいでくれるのか、など何らかのメリットが必要である。

ツイッターでは、実社会以上に、フォローをするハードルが下がる。だが、基本的には、実社会の人間的魅力度を、サイバースペース上で反映させるものになるのではないかと思う。つまり、サイバースペースでの140字の発信の裏には、全人格的な性格が現れるのであろう。ただし、フォローの数と質とは比例しない。つまり、必ずしも数がパワーになるとは、限らないのである。それよりも、誰がフォローをしているのかが重要である。また、短期的にフォロワーが爆発的に伸びたからといって、長期的にも人気があるとは、限らない。NHK大河ドラマを実況中継しているような発言は短期的には面白いかもしれないが、長期的には飽きられるであろう。

仮説7:最終的には、ツイッターも駆逐される。

結局、パソコン通信からブログ、SNS、ツイッターと進化(退化)したように次の波が来るであろう。ツイッターも、そのうち、次の波が来たら、飽きられてしまうであろう。僕も、SNSをやっていたが、やはり飽きてしまった。その飽きるプロセスを経て、進化(退化)をしていくのであろう。ま、基本的には、諸行無常なのである。

ということで、あまり片意地はらずに、気楽につぶやいていくとするか。(^^)

2010年2月13日
山小屋にて執筆
堀義人Twitter@YoshitoHori

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