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子供の教育を考える〜長男の中学受験に思う

投稿日:2010/02/09更新日:2019/08/20

2月3日に、長男の中学受験の合格発表があった。結果はどうであれ、長男が一年半の長きにわたり努力をしてきた成果を、分かち合いたかったので、僕も付き添うことにした。受かっていれば、共に喜びたいし、落ちていれば、励ましたいからである。この一年半、特にこの数日間は、小学生の長男にとっては、とてつもないプレッシャーを感じてきたはずである。結果のいかんに関わらず、今までの健闘を称えたかったのである。

2月1、2、3日と連続で試験があった。長男は毎朝6時前に起きて、朝食をとりながら軽く勉強のおさらいをして、母親に付き添われて、家を出る。そして、試験が終わって、母親と共に帰宅する。自宅では疲れきって昼寝をしたり、のんびりしたりして、時間を過ごし、お風呂に入って早めに就寝する。

2月1日、2日とこのルーチンを繰り返し、3日の午後からこのサイクルが、変化する。3日の試験後、14時にウェブ上で、2日に受験した学校の当落が発表になる。外出中の長男と母親は見られないので、僕が代わりに会社のPCで見ることになる。

恐る恐る受験番号をスクロールする。そして、番号を見つけると、軽くガッツポーズをとり、早速母親の携帯を鳴らす。一言「おめでとう」と伝えると、「長男に替わるね」と告げられ、長男に、「おめでとう。受かったよ」と伝えた。長男は、「ヤッター、とても嬉しい」と電話越しに声を弾ませていた。この瞬間に、長男の中学受験は、終了したのである。もしも、1日と2日の受験校双方とも落ちていたら、引き続き4、5日そしてそれ以降と試験が続くのである。長い受験ロードという過酷なスケジュールが待っていたのである。

僕は、待ち合わせの段取りを決めて、車で二人を迎えに行った。都内の学校でピックアップして、本命校の合格発表に向かった。最近は、ウェブ上での発表が多いのだが、その中学は、未だに掲示板での発表に固執していた。

ドキドキしながら、学校に向かい、校門をくぐり、中庭に入る。もう既に、その場では悲喜こもごものドラマが繰り広げられていた。数字に目をやりながら、僕が先頭を切って、長男の受験番号を探す。胸はドキドキと高鳴り続けていた。その数字を掲示板に確認することができ、長男を振り返ると、長男も同時に確認したようで、顔の表情も和らぎ、笑顔に変っていた。母親、長男と家族みんなで喜んだ。青空が広がる中、冷たい空気を感じながら、その中庭で家族で喜びを分かち合うことができたのだ。

掲示板の反対側には、長男の塾の仲間が集っていた。「おめでとう」と健闘を称えあい、肩を組みながら、ガッツポーズをとり、記念写真を撮影していた。一方では、残念ながら健闘むなしく、合格しなかった人も数多くいた。競争率は3倍である。得点によってのみ変る運命を考えると、とても複雑な気持ちになる。一点差の違いだったかもしれない。もしかしたら採点ミスがあったかもしれない。でも、これが現実なのである。

(このコラムを書きながらも、まだ中学受験が終わっていない親御さんのことが気にかかっている。良い結果が出ることを祈念している。このプロセスを経ると、望みがかなわなかった場合の気持ちが痛いほどわかるようになってくる。なお、このコラムでは、受かった、受からないということを説明することよりも、あくまでも今まで考えてきた教育論を皆さんと共有することを目的にするものである。その前段として上記の風景を記載したのである。以後、教育論を共有することにする)。

僕ら夫婦は、子供が生まれてから、ずっと子供の教育をどうするかを議論してきた(コラム:パース滞在記 - その1:堀家の教育方針や、試練を乗り越えて歩め-その1)豊かさの中での人間的成長を参照)。

僕は、ダボス会議などの国際会議に参加し、世界のトップリーダーに触れるたびに、「どうやったら世界で活躍する人材を育成できるのか」ばかりを考えさせられてきた。それと同時に、子供たちに提供できる教育環境としては、何が一番良いのかも真剣に考えてきた。

小学校から海外のボーディング・スクールに入れる家庭もあれば、小学校からインターナショナル・スクールに入れる家庭もある。さらには、小学校から大学までエスカレーター式の私立学校に入れるケースもある。あるいは、小学校、中学校を公立で行き、高校受験、大学受験をするパターンもある。「さて、何が一番、子供たちにとってベストなのだろうか?」が、重要な問いかけとなる。

考える際には、自分達が経てきた軌跡を振り返る必要があった。僕ら夫婦は、双方とも大学まで国公立である。小学校、中学校を地元の公立校に通い、公立高校を受験して、大学は国立に入った。いわゆる「雑草」のように、自分の力で運命を切り開いてきたのだ。しかも、一番安いコースである。そして、大学院は、双方ともに奨学金を得て(僕の場合には会社派遣で)米国アイビー・リーグに留学した。その間、僕は、高校の時に一年間留学し、妻は小学校低中学年に、海外に住んでいた。これで、英語はそこそこできるようになったのである。

僕は、この「雑草のように自らの力で生えあがる」パターンが、実は一番いいと思っている。ところが、僕が育ったような水戸の田舎の環境と違い、東京においてはまったく違う環境が存在していた。つまり、教育熱心な家庭の子供は、中学受験をする傾向が強いという、特殊な環境なのだ。

長男の小学校では、1/3から半分が中学受験をする。自分で考えてもぞっとするのだが、もしも仮に僕が通っていた中学校のトップ20%〜30%の人が、その学校にいないと仮定しよう。そうすると、僕のいた中学校は、どういう光景となるのであろうか。最近、公立校が「荒れている」とか「学級崩壊」していると言われるが、それはある程度は、納得できる気がする。教育熱心な家庭の子供が公立校には通わないのであれば、僕の中学校ですら、まったく違う校風となっていた可能性があるのだ。しかも、最近では、僕らの時代のように、学校の先生はビンタなどの体罰はしないのだそうだ。それで、どうやって躾をするのか不思議である。ついつい学校の先生の苦労を察してしまう。

水戸のような田舎で子供を育てることができるならば、この(1)公立小中、公立高校受験パターンを選ぶが、このような状況では、残念ながら東京ではこのパターンは採用できない、と認めざるを得ないのだ。自分が経てきたパターンを選べないとなると、さまざまな選択肢を上げて、その長所・短所を分析して、意思決定するしかない。いわゆる、「グロービスMBA流」の意思決定手法が必要となる。考える際には、思考の自由度を奪わないためにも、教育資金が無尽蔵にあると仮定することにした(本来ならば、インターナショナル・スクールやボーディング・スクールとかは、べらぼうに高いので、我が家のように子供が多い家庭だと選択肢に入らない。だが、そうすると思考停止に陥るので、思考の自由度を担保するために、制限を設けないで考えることにした)。

パターン分けをすると、以下の5つに分類される。

(1)小中学公立高校大学受験(僕が経た雑草バターン)
(2)インターナショナル・スクール
(3)海外のボーディング・スクール
(4)私立小学校から大学までのエスカレーター式
(5)公立小学校から中学受験をする(公立、私立、国立を含む)
他、海外移住して海外の学校に行かせるなどの選択肢もある。

このどれかを選ぶことになる。その重要な意思決定する前に、どういう人材を育てたいのかを明確にしなければならない。僕らが、議論して到達した結論は、「世界で活躍できる人材。且つ日本や世界社会に貢献できる人」であった。そのためには、どのような資質が必要なのかを考えてみた。

(a)生命力、逞しさ、闘う姿勢などの人間としての強さ・バイタリティ
(b)人間的魅力、リーダーシップ能力、やさしさなどの良き人格
(c)考える力、洞察力、集中力などの、思考力
(d)日本語、英語でのコミュニケーション能力
そして、
(e)日本人としてのアイデンティティをしっかり持った人
である。

僕は、同世代で「世界的に活躍できる人材」と出会うたびに、彼ら(彼女ら)がどのような教育を受けてきたかを問いかけることにしている。その結果、比較的多かったのが、地方出身者では、上記で言う(1)のパターンである。地方の名門公立校出身の人は、いい人材が多い。グロービスの採用でも比較的多い。都会では(5)が多く、オーナー系の経営者には、(4)のパターンが多かった。その当時は選択肢が多くなかったのか、(2)か(3)のパターンは、あまり多いようには思えなかった。

一方、学校のパターンだけでは、実は、上記(a)人間的強さや(b)良き人格は、身に着かないと思う。大概見ていると、中学・高校と体育系の部活動に入り、大きな目標設定をして、自らを律しながら、日々心身ともに鍛錬させてきた人が多いように思う。つまり、成功している人は、体育会系が多いようである。ハーバードの同窓の(楽天の)三木谷浩史氏、(ローソンの)新浪剛史氏とも、体育会系である。星野リゾートの星野佳路氏はアイスホッケーであり、僕も水泳なので、基本的には、この体育会系の分類に当てはまるのだと思う。

また、比較的に多いのが、海外との接点を必ず持っていることである。帰国子女、高校留学、大学留学、大学院留学、小学校時代の海外駐在経験である。基本的には、異文化・異言語に触れる機会をつくることが重要なのである。

一方、家庭内での教育の重要性を無視してはいけない。同じ家の中で過ごし、愛情を与えつつ、厳しく叱り付ける必要がある。常に、愛情をもって「厳しい試練」を与えてあげる必要があるのだ。厳しい試練だけでは心が折れる可能性があり、愛情のみだと過保護になってしまう可能性がある。常に、父性と母性がバランスよく子供たちをガイドしていく必要があるのであろう。

そして、最後には、日本人としてのアイデンティティである。僕は、海外に出れば出るほど、日本人としてのアイデンティティを持っていることが優位になると思っている。日本人が持っている、武士道的精神、さらには社会貢献願望などは、世界にも普遍的に受け入れられると思っている。今回のダボス会議でも、新しい資本主義のあり方、ビジネスにおける社会貢献など討議されており、やっと世界が日本の考え方を学び始めたのかと思えることが多かった。日本人としての歴史観を持ち、高い精神性を維持し、姿勢を正した姿には、美しいものを感じるのである。子供には、その良さを是非身につけて欲しいと思っている。囲碁も「囲碁道」である。礼に始まり、礼で終わるのである。強ければいいというものではないのだ。

つまり、スポーツを通しての心身の鍛錬、海外との接点、家庭での教育、適度な試練、そして日本における教育の5つが重要になるとの結論に達した。

となると、僕らの選択肢からは、(4)私立小学校から大学までのエスカレーター式と(5)公立小学校から中学受験をする、しか残らないのである。

(4)私立小学校から大学までのエスカレーター式も考えたのだが、我が家にとっては、適度な受験という「厳しい試練」というものを与える機会が必要では、という観点と、公立の小学校で普通の日本社会を知ることが重要な学びだと思って、選択肢からはずした。

そこで、我が家では、基本的には(5)公立小学校から中学受験をするパターンを選ぶことにした。地元の小学校だと自宅からの通学も楽である。我が家の場合に全員男の子だから、試練を与えたほうがいいのだ。「女の子の教育はどうしますか?」と聞かれることがあるが、「真剣に考えたことが無いので、わかりません」、としか答えようがない(笑)。

一方、(5)公立小学から中学受験が完璧だとも思わない。問題もいっぱいある。インターナショナル・スクールやボーディング・スクールでも日本人のアイデンティティを養う方法はあるし、エスカレーター式私立でも試練を与えることはできるとも思っている。東京以外では、公立中学も多い。

どれが、一番ということではないのだ。重要なことは、何が最も適しているかを、両親が真剣に考えてあげることだと思う。

実際、公立の小学校に行くと、さまざまな家庭の子供がいて実に興味深い。地元の商店街の人から、官庁の社宅の人から、マンション族などである。このバラエティがいいのだ。一方、「いじめ」問題もある。「いじめ」そのものは、昔からあったので大したことはない。だが、その「いじめ」に対する大人たちの姿勢には、疑問を持つことが多い。モンスター・ペアレンツとなり、過剰反応して教育委員会に駆け込んだりしている姿、さらには、それらを「この件は、学校の問題ですので、後はお任せください」と毅然とした姿勢をとれない、学校の姿勢。ただ、それが社会の縮図なのだ。これも学びのプロセスとして、重要なのだと思う。

社会に出てから活躍するためには、可能な限り、教育の現場には、実社会と同様の、厳しい競争環境を作る必要があると思う。僕が、一番勉強したのは、大学受験と、ハーバードの最初の一年である。「競争は良い」のである。競争が無ければ進化・成長が無いのだ。

更に、他にも問題を感じるエピソードがある。ある中学校に願書を出しに行ったときに、ビックリさせられたのが、その「願書」の中身である。グロービス経営大学院の願書は、エッセイや推薦書が入るので、分厚くなるのだが、その中学校の願書は、何と小さな厚紙の紙切れ一枚なのである。記載事項は、名前、住所、小学校名、校長先生の名前、程度である。つまり、小学校での学級委員会での活動、囲碁などの課外活動などは、一切問われないのである。内申書も無いし、面接も無い。その紙切れと受験料の振込み証明を渡し、その紙切れに、受験番号をスタンプで押され、「受験票」として、半分を渡されるのである。

「得点が取れる人だけが欲しいのか」と疑問に思う瞬間である。実社会において、点数だけで決まることは、基本的には何一つ無い。面接や過去の経歴・実績、さらには他者の評判・評価が大きなポイントを占めるのである。点数の評価は、あまり意味が無いのである。

ただ、こればっかりは、中学高校一貫校の最後の出口である大学の入試が、得点のみで決まることによって左右されるので、仕方がないのであろう。この大学入試のやり方を、米国大学のように変えないと、基本的には解決しない問題であろう。

さらに、「中学受験のために費やす勉強の労力は無駄ではないか」、という指摘もある。さすがに、小学校3年や4年からの受験勉強は、必要は無いとは思う。だが、算数、国語、理科、社会それぞれの科目の勉強は、とても役にたつと思う。中学受験を経た、世耕弘成参議院議員が言うには、「無駄になったものを何ひとつ無い」のだそうだ。自らが体験していないので、そこまでは、僕は言い切る自信は無いが、頭の知の構造を形作るのには有益なのであろう。ただし、投資時間対効果が高いかどうかは、確かに疑問に思うこともある。

いずれにせよ、どの選択肢も完璧は、無いのである。一長一短があるのだ。その一長一短を考慮に入れながら、どの道を歩ませるかは、意思決定をしなければならないのだ。その各々のパターンで補えないものを、家庭内でカバーすることになるのだ。我が家の場合には、「囲碁、水泳、英語」を「必修科目」として、標準装備してもらうことにしている。

さらに、最近では、次の言葉を語り始めている。「小学校は、囲碁。中学校は、スポーツ。高校は、留学。そして、大学か大学院のどちらかは海外。後は自分の人生を自分で決めなさい」、と。この言葉をマントラのように繰り返すのである。他に必要な基本的な躾は、家で行えばいいのである。

長男は、「中学受験をする」と決めてから、小学校の5年生の秋からの塾通いを始めた。我が家では、5年生の夏までは、囲碁優先である。長男は、6年生になっても夏の囲碁大会には、出場したのである。5年生の時には、団体戦で全国4位だったが、6年生の夏は、念願の全国優勝できた(コラム:試練を乗り越えて歩め〜その6)有終の美、そして次の目標へを参照)。囲碁の世界も厳しいので、両立は簡単ではない。

中学受験をすると決めたら、長男と一緒に、志望校を定めなければならない。文化祭を見に行ったり、学校説明会にも行ったりした。「本人が行きたい」、と思う学校を見つけることが一番重要なのである。

更に、勉強する環境が重要である。我が家は、5人子供がいるのにもかかわらず、家は相対的に狭いのである。弟が多くいる環境を、長男にとって不利に働かせてはいけないと強く思っていた。一方、同様に長男の受験のために、弟たちを犠牲にしてはいけないとも、思っていた。

基本的には、母親が長男の受験、僕が他の弟たちの面倒を見る、と役割分担をしていた。弟たちの、囲碁、水泳、テニスの送り迎えを可能な限り僕が分担した。冬の間は、長男と母親を東京において、子供4人を連れてスキーに行ったことも2、3度あった。長男は、受験勉強に集中でき、弟たちもスキーを楽しめるのだ。

僕は、受験勉強中は、可能な限り、自宅で食事をとるようにした。さもないと、長男と次男がよく喧嘩するのである。もう体も大きいので、母親では抑えられない。喧嘩が始まると、ドアに穴が開いたり、ガラスが割れたり、大変なのだ。父親が自宅にいれば、不思議と納まるのである。受験までは、海外出張も極力減らし、夜の会食をお断りすることが多くなった。

とにもかくにも、長男の受験が終わった。やれやれである。今後どう育つかわからないが、ま、とりあえずは1人目の中学受験は終わった。これからあと4人の中学受験が待っているし、そのあとの大学受験もある。このような試練を経ながらも、確実に成長していって欲しいと思っている。

ツイッターで昨日つぶやいたのが、次の言葉である。

朝起きるなり、長男が、「パパ、○○受かったよ」、と二日前の結果を、改めて報告してきた。僕も、「おめでとう。一年半頑張ってきた成果だよ。なせばなる、だよ」、と応じた。よほど嬉しかったのだろう。
http://twitter.com/YoshitoHori

この試練を経て、さらに成長して欲しいと思う。

2010年2月6日
インドに向かう機内で執筆
堀義人

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