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豪州首相との対話〜「第二の明治維新を期待する」

投稿日:2009/09/01更新日:2019/08/21

“Hi I’m Kevin” とケビン・ラッド首相が、おもむろに現れて挨拶をしてきた。思わず “Hi I’m Yoshi” と手を差し伸べて握手をした。首相は、「今から10分ほど泳いでくるけど、ちょっと待ってくれるかな」と言って、そのまま二人のSPを従えて、プールに向かって一直線に歩いていった。紺のトランクス状の水着に、紺のポロシャツを無造作に着こなし、サンダルを突っかけた後姿が、プールに向かって遠ざかっていった。首相は、プールサイドに着くなりすぐにポロシャツを脱ぎ、ゴーグルをしてプールに飛び込んだ。そして、プールを横切るようにクロールで精力的に泳ぎ始めたのである。

豪州国の首相との対話は、そのようにして始まった。場所は、グレート・バリア・リーフに浮かぶ、小さな島であるヘイマン島である。そこで、年に一回豪州の政界、財界、学界のリーダー達が集う「豪州リーダー会議」と呼ばれる会合が開かれる。ダボス会議に触発されて始まったこの会議は、十数年前から、豪州の真冬にあたる8月にこのトロピカルなリゾートの島で毎年開催されてきたのである。僕は、この会議に昨年初めて参加して、今年が二回目になる。

なぜ僕が招待されたかというと、たまたまこの会議の主催者であるマイケル・ルー氏とは、ダボス会議を主催する世界経済フォーラムの会合で何度か会っていたからである。僕がマイケルに会うたびに、彼が豪州の会議を熱心に説明してきていたのである。そして、一昨年の大連のサマーダボスの会合(コラム:■ 大連ダボス会議参加報告 - その1:「坂の上の雲」が広がる風景参照)で、バスで会場まで移動するときに、マイケルの横に座り、また豪州の会議の話を聞くことになったのだ。僕はたまたま、昨年夏は家族を伴って、パースに滞在していたので(コラム: ■ パース滞在記 - その1:堀家の教育方針、参照)、「どうせ豪州にいるのならば、ちょっと覗いてみようか」という気持ちになり、ヘイマン島まで行くことにしたのだ。

「ちょっと行く」とは言っても、大陸の南西に位置するパースから北東に位置するヘイマン島まで行くのは簡単ではない。豪州大陸の南端をまずシドニーまで東に横断して、それからハミルトン島まで、今度は大陸の東端を北に縦断するのである。朝5時にパースを出てヘイマン島に着いたのは夕方である。

ヘイマン島に着いてみてビックリしたのが、その会合の参加者の質の高さである。豪州の著名なリーダー達が、皆参集するとともに、世界各地からスピーカーが招聘されていたのである。そこで、豪州を代表するリーダーや学会の頭脳が、世界の状況を見据えた上で、豪州の未来を語り合うのである。それも、豪州らしい、「イージー・ゴーイング」なカジュアルな雰囲気の中で、である。特にビックリしたのが、豪州の首相が、キーノートでスピーチをしたあとに、一参加者としてパネル・ディスカッションを聞き、他の参加者ととても親しげに話をして、二日間ほどランチやディナーを参加者と共にしていたことである。一国の大統領や首相が、コンファレンスでスピーチを披露することは比較的よくあることではある。だが、スピーチだけしてそのまま帰るのが通例で、一参加者としてコンファレンスに滞在することは殆どない。

好奇心をもったので、周りの人に理由を聞いてみた。どうやら首相は、野党のリーダーだった数年前から、この会合に参加していたので、首相になってからも今までと同じように変らずに参加して学んでいるだけなのだという。なるほど。急に首相になってから参加したのでは、スピーチ後も滞在しようとは思わないであろう。逆に今まで参加していたならば、首相になってからスピーチのみをして帰るのも、違和感があるものである。しかもリゾート地に親しい仲間が集まるのである。暫くゆっくりしていこうかと思うものであろう。

僕は、昨年のこのコンファレンスでは、キーノート・スピーチ、ランチ・セッション、そしてアジアに関するディスカッションと3回登壇した。とても充実していたので、今年もこの会合に参加することにしたのだ。昨年は、この会議に関しては、ブログに書いていけない雰囲気があったが、今年は、僕がライブのインターネット・インタビューを申し込まれるなど、多少は、広報のスタンスが緩んだようである。従い、今回は、差支えない範囲で、コラムに書くことにした。

今夏は、新型インフルエンザの影響もあって成田―パース間のフライトもキャンセルとなってしまい、家族でのパース滞在を断念することにした。従い、今回は日本からヘイマン島に向かうことになった。成田からケアンズに夜行便で飛び、早朝のケアンズ発ハミルトン島行きの便で向かい、そこからヘイマン島に向かった。昨年は、ハミルトン島からは、ボートで一時間弱かけて島に渡ったのだが、今回は、ラッキーなことに水の上を離着陸するシー・プレーン(水陸両用飛行機)である。生まれて初めての体験である。

4人乗りのシー・プレーンに搭乗した。滑走路を走って飛び立ち、空に舞い上がった。小さな窓から、数多くの緑の島が見渡すことができた。天気は快晴。空は青く、海はコバルト色に輝いていた。何気なく眼下の海を覗いていると、2つの不自然な波形を見つけた。最初は、二人のスキン・ダイバーが泳いでいるのかと思ったが、前に座っている人が「二頭の鯨だよ(a couple of whales)」と隣の人に声をかけていたので、鯨だと確認できた。確かに人よりも大きな黒い塊が仲良さそうに泳いでいった。

暫くして、シー・プレーンは、水上に滑るように着陸した。思ったよりもスムーズな着陸であった。僕は、「どうやって島に移るのかな?」とずっと考えていた。小さいゴムボートに乗りかえて上陸するのか、あるいはそのまま砂浜の近くに行って、歩いて上陸するのかなどと思案している最中に、シー・プレーンはそのまままっすぐ島に向かっていった。そして、舗装された道路を、タイヤを使って軽々とよじ登るように陸に上がり、平地に着くなりクルッと一回転して止まった。「なるほど」と思った瞬間である。

そのまま、シー・プレーンから降り立った。そこには、ホテルの支配人らしき人が車で迎えに来ていた。挨拶に行こうかと思ったが、僕の前に座っていた人々が先に挨拶をして親しげに話し始めていた。どうやら、VIPのお客様を迎えるためにシー・プレーンを飛ばせ、たまたまそこにいた僕が「おまけ」として一緒に便乗できたのだと理解した。でも、楽しいラッキーな経験ができた。

今年の会議も、ケビン・ラッド首相のオープニング・スピーチで始まった。今年の、スピーチのテーマは、大きく分けて2つであった。一つがリーマン・ショック後の世界経済危機をどのように乗り切ったのか。そして、もう一つがG20である。

リーマン・ショック後にいち早く打ち出した、豪州政府の保証によって豪州銀行の海外からの資金調達が止まらなかったこと、預金保証によって引き出しが殺到しなかったこと。景気刺激策によって2009年の第一四半期で、世界の先進国で唯一ポジティブな成長を成し遂げたこと。さらには、OECDの中で最も失業率が低く、しかも政府の負債が低いことなどをパワーポイントを駆使しながら他国と比較して行った説明には、とても説得力があった。

G20にもかなりの重きを置いていた。「G20のロンドン会議を境に明らかに潮目が変わった。株価も上昇し、信用が戻り始め、景気も下げ止まった。GDPで85%を占める主要20カ国の政府のリーダーシップによって、世界経済危機が遠のいた」と意気盛んであった。その後、首相を交えたパネル・ディスカッションがあった。詳細は、オフレコということで一切書けない約束となっていた。

夜は、プールサイドでブッフェを楽しんだ。夕食後のナイト・キャップ(夜の会合)が、僕の最初の出番であった。日本に関する題材である。ありがたいことに、プログラムの中のナイト・キャップの案内の中で一番上に掲載されていた。タイトルは、「日本はどこに向かうのか?〜堀義人との対話(Conversation with Yoshito Hori〜Where to now for Japan? 」となっていた。「Yoshito Horiと名前があっても誰がわかるのかな?」とか、「日本に関して話をしても、あまり人が集まらないのでは?」と思っていたのだが、意外や意外、用意した座席がいっぱいになるほどの人が参集してくれた。何と、豪州の内閣のNo.2と言われている、財務大臣も来てくれていた。

どうやら衆議院選挙が近いので、日本への関心が高いようであった。モデレーターのクイーンズランド州の元知事に誘導されるように、政治のこと、経済のこと、社会・文化のことをしゃべり続けた。その都度、質問が会場から来るので、僕は、それにひたすら答え続けた。そうこうするうちに1時間ほどの時間が過ぎ去り、終了となった。

たまたま、そこに参加していたのが、首相の側近であるスコット氏である。日本語を流暢に話す彼と話をしているときに、僕から、「首相は帰ったのですか?できたら首相に簡単に挨拶をしたかったんだけど」と軽く話をしたら、「わかった。できたら会う機会をつくるべくアレンジしてみよう」と、答えてくれた。

翌朝、ティー・ブレークの最中に、スコットが僕のところにきて、「正午に時間がありますか?首相が会いたがっていますよ」と言ってきたのである。僕は、驚きながらも「もちろん、喜んで参ります」と返答した。僕は、何をしゃべるべきか思案して、豪州と日本の友達にそれぞれ電話をして、相談してみることにした。皆、「思っていることを率直に言ったらどう」という反応であった。

待ち合わせ場所に5分前に着いて待っていたときに、首相が水着姿のまま通りすがり、冒頭の一場面となったのだ。Hi I‘m Kevinである。とてもカジュアルで嬉しくなってくる。

首相の泳いでいる姿をボーと見つめているときに、側近のスコットが呼びに来てくれた。「首相が先に部屋で待っていて欲しいと伝言をしていったので」、と促されて、一緒に首相の個室に赴いた。ホテルの一番端に位置する棟の最上階(4階)のスイートルームである。海の景色が見渡せる美しい部屋であった。天気は、この日も快晴で
あった。テラスのテーブルに案内されて、着席した。スコットに、「首相に何を話せばいいんでしょうね」と質問したら、「日本の現況とか、グロービスでやっていることを説明したらいいでしょう」、と言われた。首相が来るまで、スコットと二人で話をした。豪州から見た日本の印象、首相のバックグラウンドなどである。

暫くして、カジュアルないでたちで、首相が戻ってきた。僕は、「泳ぐのが上手ですね」と首相に話しかけ、「僕もマスターズで泳いでいるんですよ」、と説明して、首相との対話が始まった。「僕は、高校時代にシドニーに一年間交換留学生として来た。そのおかげで、視野が世界に広がり、今の僕ができた。だからこそ、豪州に感謝しているのだ。今、僕は、可能な限り日豪関係には、コミットしている、現在、日豪ビジネスカウンシルというのを在日豪州大使館が始めており、若手の起業家やビジネスパーソンが集っている。是非日本に来るときには、その場に来て欲しい」など、矢継ぎ早に伝えた。

「何をしているかを教えてよ」と促されたので、グロービスのことを説明し始めた。「大学院をゼロから創ったこと、ベンチャーキャピタルを通して、第二のソニー・ホンダを創りたい」と言う意欲を首相に伝えた。首相からは、「面白いことをやっているね」とお褒めの言葉を頂いた。

7、8分そのような会話をしたあとに、首相が、「日本のことを教えてくれ。選挙で何が変るのか?」、と。僕は、政治の専門家ではないが、こういうときには、僕が知っていること、率直に感じていることを話すことにしている。どっちにしろ、豪州のインテリジェンスが調べてブリーフィングするのであろう。僕の説明の要旨は、以下であった。

「政権交代が必ず起こるでしょう。ただし、国民が民主党を熱狂的に支持しているわけではなくて、自民党の長期政権に飽き飽きしたから、民主党に投票することになるのであろう。次の首相は鳩山さんだ。スタンフォードの博士課程を卒業している国際派だ。参議院で民主党が過半数を維持していないので、社民党と国民新党の連立政権となる。民主党の中には、社会主義的政策を掲げるグループがある。小沢さんがかなり影響力を持つポジションにつくことになる。政策面では、子供手当て、ガソリン税の値下げ、農家への補助金、中小企業の減税、高速の無料化などがマニフェストに盛り込まれているが、財源はハッキリしない。官僚批判を繰り返し、多くの政治化を官庁に送りこむと言っているが、現実的に可能かどうかはわからない」。

首相は、矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。「外交政策はどうなるのか?米国、中国との関係はどうか?経済を改革する政策はあるのか?」などである。僕からは、「外交政策はよくわからない点が多い。おそらく現状を維持しつつ、アジア重視となるであろう。靖国神社に閣僚は誰も訪問しないと言明しているから、中国は喜ぶはずだ。残念なのは、国民に対して甘い言葉を投げかけているが、日本の将来の国家像をどうしたいかが見えてこないことだ。特に、どの分野を強化したいのか、中国・インドが台頭する中で日本の強みをどこに置くのかなどのビジョンが明確には聞こえてきていないのが不安だ」。

「他にも不安な点がある。これからスキャンダルも多く出てくる可能性があるし、社民党との連立政権で明確な国防や外交の政策を意思決定できるかもわからない。だが、おそらく、小沢さん、鳩山さん、岡田さんは、元自民党ということもあり、現実的な政策を実行するのではないかと思われる。また、民主党の中堅・若手には優秀な人が多い。彼らがどのようなポジションに就くかも注意してみていきたい」。

「良い点は、変化が起こることである。一党体制から、政権交代可能な二大政党制に移行することは、ポジティブにとらえたい。ただし、これから数年間は、混沌とした不透明感が漂う可能性がある。これは、あくまでも、正しい方向に向かう過渡的な状況と僕はポジティブに捉えている。自民党も大敗したら、改革を行うであろう。優秀な若手も自民党内にも多いので、これを機会に党も若返ると思う」。

「その中で日豪関係は、さらに安定感・重要感を増していくと思う。僕は、日豪関係は、とても安心してみている。なぜならば、草の根の交流が進んでいるし、よい信頼関係ができているからである。日本人は、親切で、勤勉で、約束をキチンと守る。豪州人は、心が温かいし、正直である。両国は、これからもとてもよくやっていけるであろう」

と僕なりに思っていることを伝えた。時間にして約40分ぐらいであろうか。途中から元外務大臣が入ってきた。彼も一緒になってディスカッションに加わってきた。そして、最後の質問が終わったので、その場にいた人が全員立ち上がって、「また会いましょう」と握手をしながら挨拶をして、僕はスコットに付き添われてスイートルームをあとにした。

僕の首相の印象は、「思ったよりも格段に賢く、思ったよりも格段にエネルギーレベルが高い人だ」である。見た目は、めがねをかけていて、丸顔で、庶民的な雰囲気をかもし出しているが、知的レベルとエネルギーレベルの高さには、圧倒されるものを感じた。やはり、一国を背負っているという強い自負からか出てくるものであろうか。

鳩山首相にも同等の自覚が生まれることを期待したい。日本のあるべき国家像そして、ビジョンを提示して欲しいと思う。国家の予算は、日本の更なる成長のために使って欲しいと思う。生活を守るために財政をバラまくよりも、日本をさらに、経済的、技術的、文化的、外交的に強くすることに使うことが結果的に、日本国民のためになるのだと僕は、強く信じている。

その日の夕食会の機会に、首相に再度お会いする機会があった。僕は、首相のところに近寄り、会っていただいたことのお礼を申し上げた。彼は、「日本のポテンシャルを強く信じている。日本を活性化させるような、第二の“MEIJI”を期待したい」と一言投げかけてきた。首相は、「明治維新」のことを指しているのである。首相は、大学時代にアジア文化を専攻していたことを思い出した。僕は、その場で、明るくお答えした。「大丈夫ですよ。この会議と同様の会議を日本でも既に始めています。これから日本を背負っていく若手は、日本を明らかによい方向に導いていくでしょう」、と。そうなのである。これからは、僕らの時代が始まるのである。その自覚を強く持たなければならないのである。

翌日の夜、衆議院選挙の結果をホテルのラウンジでインターネットを通して画面に食い入るようにして観た。結果は、民主党の圧勝であった。幸い僕が応援してきた政治家は、自民も民主ともほぼ全員当選することができていた。その場で携帯電話の番号がわかっている友人政治家にお祝いの電話を差し上げた。豪州からのお祝いメッセージである。

「そうなのである。これからは、僕らが日本を引っ張っていく番なのである」。老練の自民党の政治家が退出しつつある。新しい政権が始まる。新しい時代の到来である。でも、スムーズにことが進むかどうかはわからない。でも、僕らは、政治家任せでは、もういけないのだ。僕ら国民の一人一人が強い自覚を持つ必要があるのだ。豪州の首相に言われるまでもなく、僕らが率先して、第二の明治維新を行うべきなのである。

8月31日の早朝、選挙の最終結果を確かめて、ヘイマン島をあとにした。来た道のりを逆戻りである。ハミルトン島に着き、ケアンズに飛び。そして、ケアンズから成田に向かった。

窓の外に目を向けた。さっきまで広がっていた、青い海の中に、エメラルド色のさんご礁が浮かんでいた景色が、今は白い雲が広がるだけの光景に変っていた。日本は、台風だという。快晴の豪州から、台風の日本へと飛行機は、向かっていた。

これから、経済、社会、政治が混沌とする中で、新しい未来を切り開いていく激動の時代が始まるのである。「第二の明治維新」をになうのは、その幕末と同様、新しい世代のリーダーであろう。その自覚を持ちながら、雨の成田空港に、飛行機は着陸した。

2009年8月31日
豪州から帰国する飛行機の中で執筆
堀義人

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