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インド出張 - その4:バンガロールの風景

投稿日:2006/12/07更新日:2019/08/21

バンガロールは、インド南部に位置する人口570万人の大都市である。 「インドの庭園都市」とも呼ばれているように、緑や花が多く、街並みはインドの他の都市に比べても綺麗である。デカン高原に位置し、標高900メートルの高さにある。西のアラビア海まで350km、東のベンガル湾まで350kmに位置する内陸都市である。地図を見ると、その地域は標高が高いことを を示すこげ茶色に塗り染められているので、山に囲まれているのではと想像してしまうのだが、「高原」の名の通り平坦な土地が続いている。

高原に位置するからか、一年を通して比較的涼しい。その気候のお陰か、過去にはマイソール国の首都を擁し、現在はカルナータカ州の州都になっている。インド南部ではチェンナイ(マドラス)と並ぶ主要都市に発展している。

バンガロールは、今ではインドのシリコンバレーと呼ばれるように、多くのIT企業が進出している。「どうしてバンガロールなの?」と多くの方に質問すると、「気候がいいからでしょう。起業家や技術者の殆どはバンガロールの出身じゃないから」、と返事が返ってきた。

朝8時半にホテルを出て、インド経営大学院(IIM)バンガロール校に向かった。途中で、新品の大きなビルがいくつか目に入る。運転手に聞くとアクセンチュアのビルだという。バンガロールのアクセンチュアでは、2万人規模の技術者が働いているという。

その日は、比較的渋滞がひどくなかったからか、予定よりも30分早くIIM に着いた。待ち合わせの時間までキャンパス内を歩きまわってみた。石造りのしっかりとした建物で、緑と花に溢れていた。

IIMのバンガロール校の学長にあたるプラケシュ・アプテ教授に予定の時間を早めて会ってもらえた。 自己紹介をした後に、早速色々と質問させてもらった。以下アプテ教授から聴取した内容である。

「IIM は、国立大学で、現在まで6箇所作られてきた。最初が1963年にカルカッタ、次に1964年にアーメダバードにそして、3番目が1973年にバンガロールに創られた。その後、4番目が1980年代に、5番目と6番目が1990年代に完成した。

学生は、原則ほぼ全員がインド人で、全寮制となっている。MBAプログラムは、年間240名である。一年次は全て必修で、二年次が選択となっている(HBSと同じスタイルである)。一年次は、3クラス(80名づつ)に分かれており、教室は馬蹄形が基本で、ケース・メソッド形式が多いが、教授によってはレクチャーもある。インド国内企業のケースも作っている。また、海外との交換プログラムにも力を入れている(日本の大学院との提携にも興味を持っていた)。

IIMの学生の殆どは、IIT(インド工科大学)の卒業生(50%以上)で、IITからIIMを卒業するのが一つのエリート・コースになっている。入学時の平均年齢も20代前半とかなり若い。だが、卒業時の年棒は、インドでは破格の50,000ドルを超えるという。」

学長からの紹介で、NSRCEL (Center for Entrepreneurial Learning)という、 アントレプレヌール・センターにも案内してもらった。ここは、所謂インキュベーターを併設したアントレプレヌール・センターで、インフォシスの創業メ ンバーの一人が、寄付してできたものらしい。全部で10のインキュベーション・ブースがあり、ビジネスプラン・コンテストや、ビジネスプラン・ワークショップなどの実施に力を入れている。

インキュべートしている会社が、ある程度の規模になったらベンチャー・キャ ピタルに声をかけて投資をしてもらうことになっているのだという(ただ、インドのVCは、大きなファンドを抱えているので、インキュべート案件に目が向 いていない、と不満をこぼしていた)。始まってから3年程度で15社インキュべートした。そのうち3社程度が成功しそうである、と。成功したらキャピタルゲインの一部が株式の形で、センターに還元される形になっている。そのために、家賃などの費用は、ごくわずかしか徴収していないという。

その後、学内を案内してもらった。100エーカーを超える広大な敷地の中には緑があふれている。木の緑とカラフルな花の色が対照的である。鳥のさえずりが、心地良いBGMになっている。地震の心配が無いから、建物は石造りが基本である。塗装など必要なく、月に一回洗い流せばいい「メンテナンス・フ リー」な建物であると、説明を受けた。宿泊施設やクラスを見せてもらった。MBA生向けの部屋にはトイレも風呂もついておらず、3畳ぐらいのスペースにベ ッドと机が無造作においてあるだけだった。当然エグゼクティブ向けの部屋は、比較的豪華であった。

僕は、IIMのキャンパスを回りながら、グロービス経営大学院の将来の姿も思い浮かべていた。そして英語の全日制MBAプログラムを早急に始める必要性を感じていた。そうでないと世界では対抗できない。やるべきことは、いっぱいある。非常に刺激を受ける。今後、機会を見つけては、各国のトップビジネススクールのキャンパス訪問をしようと思った。

次の訪問地は、インフォシスの事務所(キャンパス)である(皆、事務所と言わずに、キャンパスと呼んでいるので、以後キャンパスという呼称を使う)。バンガロール市の「エレクトロニクス・シティー」と呼ばれる地域に、インフォシスのキャンパスは位置していた。ファナックの工場の隣に、88エーカーにも上る広大な敷地にキャンパスが建てられていた。

セキュリティを通ってから、入口に一番近いメインビルの中に入り、2階にある役員スペースに通された。窓からは、緑の芝生と最新のビルがいくつか見えていた。その合間の通路をゆったりと歩くカジュアルな格好をしたエンジニアの姿が拝見できた。まさしく「キャンパス」という感じであった。

インフォシス社のCOOのクリス・S・ゴパラクリシナン氏がほどなく現れ、プラ イベートダイニング・スペースに案内された。10人ぐらい座れるテーブルの一番窓側に、二人ですわった。インド料理がお皿に盛られる中、僕はインフォシスの歴史を教えてもらった。

インフォシスは、1981年にナラヤン・ムルティ氏と6名のエンジニアが、勤めていた会社を退職して独立したところから始まった。最初の事務所は、ムンバイの近くにあるプーネという都市のムルティ氏のアパートであったらしい。その当時、銀行口座にあった資金は、300ドル程度だったという。クリスはその当時25歳である。今年インフォシスは、25周年を迎えたので、今年50歳ということになる。

僕は、「インフォシスは、なぜバンガロールに来たのか?」という質問をしてみた。「気候がいいから」という答えを期待していたが、もっと実利的な理由であることが、クリスの説明で理解できた。クリスによると、2つの理由があるからだと言う。1つが最初のお客がこの近辺であったから。そして、もう1つの理由を説明するのに、その当時の創業時の状況を説明してくれた。

「その当時は、お金も無く、銀行もお金を貸してくれないし、ベンチャーキャピタルも無かった。その時、カルナータカ州の州政府が資金を貸してくれたから、バンガロールに来ることに決めたのだ」、という。「いくら貸してくれたのか?」と聞くと、「50,000ドルだ」という答えが返ってきた。僕が創業したときも、80万円の資金と三軒茶屋のアパートからのスタートだったので、とても親近感を覚える話であった。確かに、僕も資金には、苦労した記憶がある。

その後、インフォシスは、1993年にボンベイ市場に上場し、1999年にインド企業として初めてナスダックに上場をした。成長は著しく、1994年の売上高は、たったの10億円程度だったのが、1999年に100億円を超えて、2004年には1000億円を越し、現在は3,000億円規模で、純利益が800億円程度である。時価総額は、3兆円程度にも達している。従業員は、現在6万人規模で、今年一年間で2万人以上を採用する予定である、と。採用に力を入れていて、200以上の大学とコンタクトを持ち、最高級の人材を確保すべく努力をしているらしい。規模とスピードが全然違う。

ビジネスモデルは、単純である。海外のソフトウェアソリューションやビジネス・プロセスを徹底的に受注し、インドの「ソフトウェア・アウトソーシング工場」で生産し、海外のお客様に納品するのである。競合他社は、IBMやアクセンチュアである。日本では、NTTデータや富士通総研などだ。インド企業ということで、品質が疑問視されるので、サービスの完成度には、細心の注意を払っているらしい。

昼食の後で、クリスに丁重に御礼をし、マーケティング担当の方にキャンパスを案内してもらった。キャンパス・ツアーのためには、ゴルフ・カートが用意されていた。確かに敷地内には、ゴルフができる場所があった。森元首相が来訪した際、強く打ちすぎて、隣の敷地にまでゴルフボールが飛んでいったのが、1つの笑い話になっているらしい。森さんらしい、エピソードである。森さん以外には、プーチン大統領、トニー・ブレア首相等も訪れたという。

このキャンパスの広大な敷地の中に、15以上のビルがあり、5つのレストランが併設されている。ジムが2箇所にあり、プールもあるし、ヘアサロンや、ビリヤードもできるようになっていた。数百人寝泊りできる宿泊施設も併設されている。インフォシス・ブランドのグッズ売り場もあった。インフォシス・クラブというのに加入すると、土日に家族を連れてきて、プールに入ったり、ジムで汗をかいたり、カフェテリアで食事をして、芝生でのんびりとできるらしい。

インフォシスの離職率は13%である。インドのIT産業の中では、とても低い数字である。インフォシスは、この従業員のロイヤルティを高めるために、全ての手を尽くすのだという。せっかく育てたエンジニアが、IBMやマイクロソフ トに転職されてはたまらないのだ。ソフトウェア産業は、「人こそが財産」なのである。だからこそ、会社は惜しみなく投資をしているのだ。

給与水準を高くするとともに、教育機会を与え、良い職場環境を提供することが重要な要素になるのだという。インフォシスでは、両親をキャンパスに連れてくることを奨励している。そうすることにより、「こんなに息子や娘が立派に成長して」、と両親が感動し、その結果、更に従業員が誇りを持って仕事に専念するのだという。

この環境を目の当たりにすると、自分の身を省みる必要を感じる。グロービスも更に、受講生や社員に、良い学びと働く環境を提供することをしなければならない、と痛感させられた。

やはり、足を運ばないとわからないことが多い。世界は凄いスピードで動いているのだ。百聞は一見にしかずだ。億劫がらずに足を運び、世界各地を視察することを、今後とも続けなければならないと、強く認識させられた。

インフォシスには、この規模の施設が、インドに5,6箇所あるのである。それ以外に、小さいのを含めると世界で38箇所に研究開発センターがあるのだという。日本はまだまだ小さいが、これからの成長余力は、底知れないと思えてきた。

「インフォシスは、どこまで大きくなるのか?」という質問をクリスに投げかけたことを思い出した。クリスの回答は、「いけるところまでいくだけさ」ということであった。

車に乗り、ホテルに戻る途中に見える風景は未だ前近代的なインドの街並みである。ハイテクセンターと貧民層が共存する多層的なインドの側面を理解することができた。

ホテルに戻り、プールでひと泳ぎした。プールサイドには、ディナー・パーティの用意がされていた。セミナー会場には、アクセンチュアのバナーがかかっていた。このホテルの雰囲気は、シリコンバレーそのものであった。

夕食は、「13th Floor」という、今最も流行っているバーに行くことにした。そこは、超満員であった。テラスには、シリコンバレー風の格好をしたアメリカ人のエンジニア風の方々が集っていた。僕が座っている席に、オーナーが現れて、一緒に飲み、食事もご馳走になった。

夜11時前に、そのオーナーにお礼を言って別れ、運転手にお願いして、「スピン」という最も流行っているクラブに連れて行ってもらった。そのクラブは、音楽はいいし、客層もレベルが高い。僕は、着くなりすぐにフロアで 踊り始めていた。薄暗いフロアに映るインド人女性の肉感的な踊りが魅力的であった。20分ほどガンガンに踊ったが、すぐに音楽が止まってしまった。何と、カナータカ州では、12時に全てのクラブが終わるのだという。

物足りなさを感じたので、カウンターにいた美しいインド人女性に声をかけてみることにした。
その日は、終日ガンバロールで芽生えているインドの躍動感を感じ取ることができた。

2006年12月1日
アウランガバードのホテルにて
堀義人

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