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インド出張 - その2:インド経済サミット開幕!

投稿日:2006/12/04更新日:2019/08/21

翌朝、フィットネスセンターで汗を流した。サウナに入った後、中庭にあるプールサイドに向かった。本来は泳ぎたいところだが、水温は20度を切っているので、さすがに思いとどまった。11月末になってから、ニューデリーは急激に冷え込んできたのだという。

朝の陽射しは気持ちがいいが、空気は埃っぽいし、なぜか焦げている匂いがしている。後で話を聞いたら、その焦げた匂いは、貧民層が炭を燃やして料理をしているから発生するのだという。

スーツに着替えて、サミットの会場に向かう。ホテルから徒歩7,8分の距離なので、道路沿いに歩いてみた。クラクションの音がうるさいし、オートリクシャー(3輪のタクシー)の排気ガスの匂いがした。道路沿いの芝生には、日雇い労働者風の人々が寝転がっていた。

会場のタージ・パレス・ホテルに着いた。会場は、ビジネススーツで溢れかえっており、非常に盛況であることが感じとられた。今回のインド経済サミットの参加者は、800名近くである。そのうち、70%がインド国外からの参加である。参加者全員が 50万円もの参加費用を払っているのである。僕もスピーカーであるが、無料招待ではなく、全額会費を払っている。このサミットは今回で21回を迎えるが、昨年の参加者が500人であったことを考えると爆発的に成長していると言える。

2日目の最初のセッションは、「インドの成長アジェンダ」についてである。 BBCワールドのニック・グルーウィング氏による軽快な司会進行のもと、 「インドの成長の可能性と障害」について意見交換がなされていた。インドの可能性については、巨大な人口、英語を喋る人材、ITを含めた新しい産業の勃興、内需が牽引する経済の発展などが挙げられていた。

一方のインドの障害は、電力・道路・ガス・水道・公共交通網など、インフラの不整備、貧富の格差、高度な成長に経営能力や技術力を持つ人材の供給が追いついていない、そして州政府が独立していることによる過度の税制・法制上のバラツキ、などが挙げられていた。

商工大臣のカマル・ナート氏が遅れてきて登壇した。今までの議論に応えて、インドの成長の障害にあたる部分について、大臣が答える形態がとられていた。大臣は、ダイナミックに身振り手ぶり交えながら、自分の言葉で話をしていた。

インドの政治家は、話をするのがとても上手である。そうでないと、恐らく熾烈な選挙を勝ち抜き、大臣までの地位につけないのであろう。英語が母国語であることの優位性は大きい。日本や中国では、大臣級の方が英語で喋っているのをあまり見たことがない。

僕は、主催者である、WEFの方と9時30分にアポが入っていたので、セッションの途中で退席することとした。そのミーティングを終えてから会場に戻り、今回のメインイベントの一つに参加した。

WEFのクラウス・シュワブ氏の紹介の後、インドの政治の第一人者である、ソニア・ガンジー氏によるスピーチを聴いた。気品が漂いながらも力強い口調であった。スピーチ後に、彼女からソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)大賞の受賞者への贈呈式が行われた。第一回の受賞者は、マイクロ・ファイナンスを事業化した起業家であった。

ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)の定義は、シュワブ氏によると 「株主にリターンを生み出すことを目的とするよりも、お金を手段として捉え、社会の価値を提供することに目的を置いている起業家である」、と説明があった。

その話を聞きながら、「そう考えると、グロービスは、ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)に入るんだなあ」とぼんやりと思っていた。グロービスは、株主価値の最大化よりも、社会価値の最大化を目的にしているので、上場などは考えていない。利益は、飽くまでも更なる社会価値の創造に必要な基盤拡大のために再投資されるからだ。

そんなことを考えながら、次のセッションの会場に移動した。次は、プライベート・エクイティやベンチャー・キャピタルを対象にした非公開のセッションであった。ベンチャー・キャピタルのパートナーである、 Apax社の方がスピーカーとして登壇する予定となっていたので 、行くことにした。WEFのコンファレンス運営の上手なところは、このように同じ業界にいる方々が集う機会を与えていることである。

ここで、スイスから来ているグロービスの投資家にお会いした。次の会場に移動する途中で、色々と意見交換した。僕からは、日本のファンドの状況を説明し、彼からは、インドにおける投資環境に関して伺った。インドは、急速に発展していることは、未公開株投資の面からも理解することができた。

ランチは、デリー市長のシェイラ・デクシット氏のスピーチの会場を選んだ。彼女は、年齢は70歳近くで小柄だが、ダイナミックであった。民間から学ぼうという視点に共感できた。

昼食後、更にもう一セッションに参加した。リライアンス社の会長やドバイのイマール社の社長が参加している小売に関するものである。インドの小売の将来に関しては、人口も増加しているし、個人所得も増えているので、皆一様に楽観的であった。

人口が増えていることから、インドは「若い国」であるという表現を皆一様に していた。その対比として日本は、「老いている国」と称されるのだろうか。何しろ高齢化は進んでいるし、人口は減っているから、仕方無いのであろう。

個人的には、5人子供がいるので、少子化を実感できないが、世間的には人口が減っているのは事実である。こうなったら日本のためにも、「頑張ってもう一人行こうか」と思わず考えさせられてしまう。日本が直面する一番の課題は、構造改革でも、財政赤字でも、年金問題でもない。やはり、一番大きな問題は、少子化問題だと思う。人口が減っている国には、衰退していく国という印象を持たられやすい。この問題を、ことあるごとに声高に伝え続けようと心に思った。

そして、僕の登場するセッションの時間が近づいてきた。僕がパネルに参加したセッションは、全体セッションとは違い、同時にいくつか進行する分科会セッションの一つであった。テーマは、「熟練労働者を構築する〜将来への青写真を描く」である。関心が高いのか、参加者で会場はいっぱいになっていた。

他のパネラーは、インテル、マンパワー、アバイヤなどの多国籍企業のインドの社長が中心であった。彼らがインドの現状を説明し、僕がビジネススクールの学長兼ベンチャーキャピタリストの立場でコメントをする、というスタイルで進行することになった。

インドのITセクターの課題は、高騰する人件費と離職率である。途中でビックリしたのが、人件費が毎年15〜20%向上しており、離職率は100%近 くになるケースがあるのだという点である。この環境でどうやって良い人材を採用し、育成・維持し、ロイヤルティを持って働いてもらうかが、彼らの頭を抱えさせている一番大きな課題であった。

そして、僕の番が回ってきた。グロービスのことはインドでは全くといっていいほど知られていないので、最初にフォーブスの表紙を見せながら、グロービスのビジネススクールとベンチャー・キャピタルのことを説明をした。こうやって、注目を集めた後に、インドが抱える課題に、僕がトヨタやキャノンの事例を出しながら日本的な視点を加えて、バリューやミッションの重要性、社内育成システムの優位性や、コミュニティ的経営の必要性を説明していった。

グロービスのことが、よほどインパクトがあったのか、質疑応答の時間になるとグロービスのビジネススクールが大学院化した過程や日本の 高等教育における政府の役割に関しての質問も出てきた。そして、1時間30分のセッションを無事終えることができた。

僕は、適度な緊張で臨み満足できる結果が出たので、安心感からかのんびりしたくなった。次のセッションの冒頭を聴講したあと、部屋に戻り、メールチ ェックをして、暫くのんびり過ごした。時間になったので、バスに乗り、夜の部の会場に向かった。バスの中で、HBSの理事会メンバーの一人であるゴールドマンサックスのマネジング・ディレクターのアフリカ系アメリカ人女性のテレサさんに再会した。

夜の部は、ムガール帝国の5代皇帝が、アーグラーからデリーに遷都したときに築いた城(ラールキラー)の中庭で行われた。僕は、テレサをエスコートしながら、ラホール門をくぐり、中庭を歩いた。暗闇に水色にライトアップされた城が現れた。そしてその城の前につくられた即席会場の前方に、二人で腰をかけることにした。

この夜の部の主催者は、インドの商工大臣のカマール・ナト氏である。大臣自らが登壇し、参加者を歓迎し、余興について説明してくれた。インド舞踊を現代風にアレンジした踊りにより、インドの古代から現代までを紹介する、という趣向のものであった。

インド風の現代ダンスを堪能したあと、来た道を戻り、門を出て外に設営された夕食会場に着いた。そこでワインを片手に、懐かしい友人に会ったり、その方から新しい友達を紹介してもらったりして、交流を図った。

次第に仲間の輪が広がっていった。ニューアジアンリーダー(NAL)で出会ったシンガポールの政治家の方や、カナダ人の投資家や、アメリカ人でインド企業のCEOの方や、地元インドの家族経営をしている方などである。ベンチャー・キャピタルのパートナー企業でもあるApax社の仲間と再会したりした。

インドの商工大臣とも名刺交換をし、BBCワールドのニック・グルーウィング氏と着席して、インド料理を味わいながら、日本の新政権に関する質問に答えた。何か会話をしているというよりもインタビューを受けている雰囲気だった。

宴もお開きが近づいてきたので、その場で出合ったインド人の友達にホテルまで送ってもらった。確実にアジアの仲間のネットワークが重層的に広がってい くのを実感できた。

2006年11月30日
バンガロールからアウランガバードに移動する機内にて
堀義人

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