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大連ダボス会議参加報告 その3:新興国のリーダーとの交流

投稿日:2007/10/09更新日:2020/01/21

大連のダボス会議の3日目は、朝7時30分からの会議で始まった。ダボス会議を運営している、世界経済フォーラム(WEF)の主催で、「世界の成長企業」(GGC)の日本メンバーの会合が開かれたのである。その会議には、竹中平蔵氏、黒川清氏、石倉洋子氏などの学者の方々にも参加いただいた。

このGGCは、今年発足したばかりということもあり、世界でもまだ100社程度しか入会していないのだが、日本の企業が13社と現時点では一番の多数派を構成しているのだという。このような良い結果は、WEFにおける日本人スタッフの拡充と頑張りにより、可能になったのだと思う。このような国際機関においては、スタッフのやる気次第で、結果が大きく違ってくるものである。

この朝会議では、GGCメンバーの自己紹介に続いて、「ダボス会議の楽しみ方」について、ダボスの常連(Davos Goer)からご披露があった。いくつかの助言を列挙してみよう。

「ダボス会議では、メンバーは皆対等である。従い、著名人であっても、遠慮なく積極的に話しかけたらよい」。
「ダボス会議のセッションは、発言したもの勝ちである。発言をしなかったら存在しないも一緒だし、誰からも相手にされない。『沈黙は美なり』、という美徳は通用しない。思った事はどんどん発言せよ。そして積極的に友達をつくるべし」。
「ダボス会議の楽しみ方の一つは、バイラテラル会合である。バイラテラルとは一対一の二者会談。親しくなりたい方と事前にアポを入れて、インフォーマルに面談するのが良い。そうすることによって、親しい友達のネットワークが世界に広がっていくのである。世界からトップ・リーダーが集う場なので、二者会談を積極的に活用すべし」。

という感じで、皆で意見交換をしたので、朝からやる気が沸いてきた。

ホテルから直接エクスポ・センターに移動した。マネックス 証券の松本さんとサブプライム問題や市場への影響などに関して意見交換した。移動中も無駄な時間ではない。いや、むしろこういった隙間の時間の方が、短時間で貴重な意見や情報を得ることが多い。

会場のエクスポ・センターに着いた。メイン会場では、ヨルダン王国のラーニア王妃がスピーチをしていた。外見も美しいが、スピーチも流暢だ。各国のリーダーは、このような場でプレゼンスをあげることに熱心である。

10時からは、僕がスピーカーとして登場するセッションがあるので、分科会会場に向かった。このセッションは、10時から12時30分まで、2時間半にわたり、「大学と企業が求める能力の格差」について議論することになっていた。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のタルン・カナ教授がモデレーターで、8名のパネラーがエントリーしていた。ブラジルのビジネス・スクールの学長や、インドのIT学校の社長など顔ぶれはグローバルであった。

パネラーが多いので、「あまり話をする機会が多くないだろう」という軽い気持ちで臨んだが、会場に入ってビックリした。会場には、8つほどの丸いテーブルが配置されていたが、前方にパネラーが座る壇がなかったのだ。

どうやら、パネル・ディスカッションではなくて、各テーブルごとのワークショップ形式のディスカッションを行い、それを全体で共有する、という参加型のセッションのようであった。そして僕は、1つのテーブルを任され、ディスカッションを引っ張っていくことになっていたのだ。

「これは、結構しんどい」。トップ・リーダーの方々のディスカッションを、僕が引っ張っていかなければならないのであれば 、かなり気合を入れなければならない。気を引き締め、僕のテーブルに陣取り、積極的に参加者を誘導した。

しばらくして、会場は満杯になった。全体で60名程が集い、各テーブルに8名ずつ円形に腰掛けた。僕のテーブルに座ってくれた方と挨拶をして名刺交換をした。インド、ヨルダン、シンガポール、香港、中国、フランス、ベルギーと僕(日本)というかなりグローバルな方々がメンバーである。

最初の全体セッションでは、ディスカッション・リーダーがそれぞれ何を議論したいかを発表した。僕は、「長期雇用、社内教育重視、理念の共有化、内部昇格、コミュニティ的経営という日本的経営の良さが、どこまで他国から見て有効なのかを議論したい」、と発表した。各テーブルからの発表のあとに、グループディスカッションに臨むことにした。

僕は、採用、教育、配置、退職などのバリューチェーンを描いて、各国の経営者の抱える課題を列挙し、その課題に対してどのように対処したかを意見交換した。どの国も抱えている課題は、似通っていた。ただ、中国やインドでは、急激な人手不足のためか、給与が毎年20%以上も上昇しており、離職率がとても高くなっていることが課題であった。一方ヨルダンでは、そもそも良い人材が大学から育成されていないから、国外から良いマネジャーを採用する必要があるなど、国によって課題の比重が違っていて興味深い。フランスの企業では、日本的経営に近い長期雇用を前提とした、社内教育、内部昇格、理念重視のコミュニティ的経営を貫いてた。多国籍企業も多いのだが、日本における離職率が格段と低いことが話題となっていた。そもそも日本的経営が成功するには、日本のようなコミュニティ思考が強く忠誠心が高い土壌が必要なのだろうか。

僕らのテーブルのグループ・ディスカッションは、非常に盛り上がり、多くを学び合えた。最後に、僕がグループを代表して全体に討議した内容を発表して終えた。まさに、グロービスで行っているような討議形式のセッションだったので、慣れたものである。僕らのグループの発表は、我ながら良くできたと思えていた。セッションが終わりを迎えたので、テーブルの仲間と別れを告げ、皆思い思いの方向に散っていった。

何しろ会場は、だだっ広いのである。3階建ての幕張メッセの中を、ホテルの会場風に大幅に改装しているのだ。2階には、1000名程度入れるメイン会場が配置されていたが、3階の分科会会場には、最大100名程度の収容スペースが20近くあるのだ。分科会になると10以上が同時並行で進行するのである。一度分かれたら、次にどこで会うかはわからないのだ。

僕は、次のスケジュールを確認した。既に昼の時間である。会場内に大きな食堂のようなスペースが設けられていたので、そこに向かった。その「食堂」は、ビュッフェスタイルで参加者が交流できるように工夫されていた。僕は、顔なじみのシンガポールのINSEADの前学長と再会したので、彼の横に座り、意見交換しながら談笑した。

昼過ぎには、主催者であるWEFの事務局の方と社会起業家に関しての意見交換をした。14時からは、「バイラテラル」、つまり、二者会談である。ロシアのビジネス・スクールの学長と理事長が来ていたので、彼らと意見交換の機会を持つことにした。学長とは、今年の5月にモスクワで面談していたが、実質的な創業者的な存在である理事長とは今回初めてである。グルジア出身のロシア人で、非常に愛情豊かな方であった。年齢は、僕よりも下、というのが意外であった。まだエグゼクティブ・プログラムしか始まっていないが、既にシンガポール前首相の リー・クワンユー氏などが顧問になっており、前評判が高い新興系のビジネススクールだ。

1時間ほど、ロシアのビジネススクールの現況やグロービスの考え方について、意見交換した。僕からは、「ロシア、インド、ブラジル、欧州、米国、日本の緩やかな連携ができるといいですね」、と提案した。理事長も起業家なので話が早い。非常に充実した気持ちで、バイラテラルを終えることができた。最後に再会を約束して、ロシアのおみやげを片手に、面談会場を後にした。

15時からは、ダボス会議の創始者のカールズシュワブ氏と「世界の成長企業(GGC)」の日本の会員との面談である。僕らが考えていることをオープンに伝えることができる良い機会であった。特に僕からは、日本でもこのような機会をもっと創って欲しい」、と要望した。

17時からは、今度は、エジプトの財閥企業であるARTOC社のトップとの「バイラテラル」(二社面談)である。この方は、シャフィクさんと言い、今まで過去に二回お会いしていた。一回目がマレーシア国のランカイ島で行われたニューアジアンリーダー(NAL)のリトリートである。このときは、ヨルダンの国王も参加され、アラブ・ビジネス・カウンシル(ABC)から何人かが参加し、アラブとアジアの融合を一つとして、意見交換した。シャフィクは、このアラブ側の代表だったのだ。

二回目が、ヨルダンの死海で開催された中近東ダボス会議であった。
※参照コラムヨルダン訪問記(その1)

そして、今回が、3回目である。シャフィクは、オープニングのディナーに参列していたので、ご挨拶に伺うと、会うなりアラブ式におおげさに歓迎してくれた。とても嬉しく思ったが、翌日秘書経由でバイラテラルの申し込みがあった時にはもっとビックリした。これだけ偉い方が、覚えてくれていて、しかも面談のアポを入れてくれたのである。

そして、その二日後の夕方に、バイラテラルの面談が実現したのである。エジプトの友人との1時間半にわたる意見交換は、かつてない刺激を僕に与えてくれた。

シャフィクは、WEFが実施している「世界競争力ランキング」で、中東のアラブ諸国が、軒並み低い評価を受けている事実にショックを受け、アラブ諸国の競争力を上げるべく政府に進言する組織である、アラブ・ビジネス・カウンシル(ABC)を組成した。

そして、自らがABCのリーダーとなり、WEFのアドバイスを得ながら、アラブ諸国の政府にどうすれば国の競争力が上げられるかをアドバイスすべく行脚のたびに出たのだ。アラブの現状を憂え、純粋に成長を願う気持ちが彼を突き動かしたのであろう。

ABCのメンバーとで20カ国近く訪問した。何カ国の政府からは門前払いをくらい、何カ国の政府は真剣に受け止めてくれ、少しずつ適切な施策を実行してくれたのだと言う。一方、他のアラブの経済人からは、「おせっかい焼き」と白い目で見られることもあったが、自らが正しいと思うことを実行しているので意に介さなかったのだという。

その後、G8の会議にも参加する機会があり、何回か大臣クラスとも協議したという。最初の会合では、大臣クラスが用意された紙を読み上げているだけだったので、何の成果もあげられないまま終了した。そこで、シャフィクは、「紙などを用意せずに、目と目を見ながら率直な意見交換をしよう」、と彼らに提案をした。そして、再度面談に臨んだが、結局心のこもった対応や率直な議論はできなかったのだ、という。「何という時間の無駄だったのか」と幻滅をして、その後政治には直接的には関与しないようになってきたらしい。ただ、今でもアラブ諸国のためにできることは、何でもしたいという強い意志を感じられた。

僕は、その話を聞きながら、「僕は社会に役立つ行動を、ビジネスの枠を超えて実行しているだろうか?」と自問自答せざるを得なかった。

予定の時間を大幅に超えて、僕らは語り合った。これが、ダボス会議のバイラテラルの魅力である。会場での挨拶や名刺交換では味わえない、深い話ができるのである。さすがに双方とも次の予定の時間が近づいてきたので、バイラテラルを終えることにした。シャフィクからは、古代エジプトの書物のおみやげものをいただき、アラブ式に抱きあって別れを告げた。次に会うのは、いつであろうか。シャフィクからは、来年の5月にエジプトで開催予定の中東ダボス会議に参加しないかと誘いを受けた。僕からは、「できたらそこで再会しよう」、と伝えて、その場を後にした。

ホテルに戻り、夕方からは、日本主催のレセプションが開催された。日本からの参加者は、総勢80名弱である。シュワブご夫妻も立ち寄られ、盛況であった。その後、ロシアン・ディナーとインド・ディナーに顔を出し、その夜遅くに部屋に戻った。朝から一日中走り通しであった。

前日の中国に続き、この日はロシア、中東のエジプト、そしてインドである。夏のダボス会議における、新興国の新しいリーダーとの交流は、とても刺激的であった。

2007年10月3日
自宅にて
堀義人

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