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台湾人のアイデンティティとは?

投稿日:2005/11/22更新日:2019/08/27

台湾での二日目は、昼間は会議、夜は答礼晩餐会という一日であった。朝8時にホテルのロビーに集合し、李登輝学校と李登輝前総統が主宰する
シンクタンクである「群策会」がある会場に向かった。30階建ての高いビルの29階に会場があった。

プログラムに目を通す。タイトルは、「第一回アジア太平洋未来交流フォーラム」とあり、全3日間のプログラムである。

1日目の昨晩が、李登輝主催の晩餐会であった。2日目の本日は、午前中が李登輝のスピーチと質疑応答があり、ランチを挟んで三つのセッションが開催される予定 だ。3日目の明日午前中が、スピーカー全員参加のパネルディスカッションがあり、終了後帰国する予定である。
前回のコラムに引続き、親しみを持ってもらうために、李登輝先生をあえて李登輝と呼ばせてもらっています)

会議場で事前打ち合わせをし、暫く談笑した後、会議が始まった。司会者による趣旨説明の後で、李登輝が登場した。昨晩、鶏のスープを笑顔で振舞っていたのとは違う、政治家の顔でのまま着席され、座ったままスピーチを始められた。

一時間ほどのスピーチであった。趣旨は、日本国政府に向けてのものであり、内容的には、昨晩と多少重複があったが、基本的には、「日本政府は台湾を主権国家として承認すべきである」、という内容であった。

国家という視点で訴えかけられると、僕は無力である。国家の承認問題を投げかけられても、民間にいる僕の立場では、どうしようも無い。質疑応答の時間になったので、早速質問をさせてもらった。

「李登輝先生の日本国政府へ向けたメッセージは理解できましたが、僕らは民間の立場ですので、何もできないです。政府へのメッセージで無くて、日本人の若者へのメッセージをお願いします」、と。

李登輝は、少しにこやかになりながら、静かに語り始めた。

「日本は戦後60年の間、国家というものや日本人らしさというものを失ってきた。 それは、敗戦後の米国の占領時が影響している。ただ、表面的には日本人らしさが失せているかもしれないが、根底には流れていると信じている。その古きよき日本人ら しさを甦らせ、個人の利益のみを追求するのではなくて、公・国を思う気持ちを大切にして欲しい。夏目漱石が死ぬ前に到達した境地である、「則天去私」の心境が大事であると思う」、と。

李登輝は、4つか5つ質問に答えて、退席された。昨晩のように握手をしたり、サイ ンをもらう時間は無かった。

立ち去った後に僕は、ふと考えた。「今度いつ再会できるのだろうか」、と。李登輝は、現在82歳である。来年5月には、「松尾芭蕉の奥の細道を巡る旅に向かいたい」と言っておられた。「本当に来年、日本に来られるのだろうか?」、「来日の際はお会いできるのであろうか?」と考えていた。

休憩時間に立ち話をしていたときに聞いたのだが、李登輝は心臓のバイパス手術を受けていて、現在奇跡的に生きているということだ。それでも、彼がエネルギーを持ち続けていられるのは、台湾に対する愛情であろう。

質疑応答の中で、「今のままであれば、死ぬに死ねない」と言っておられた。台湾人のアイデンティティを確立して、台湾国を独立国家として世界に承認してもらうまでは、死ぬに死ねないのであろう。台湾に関して語るときには、もの凄いエネルギーが発せられていた。それだけ、強い信念に動かされているのであろう。

台湾人の将来は、台湾人自身が決めるのが民主主義というものであろう。台湾問題の 難しさをあらためて痛感した。

ランチの後には台湾側と日本側との大討論大会になった。以下が3つのセッションのテーマである。

第一セッション:近代を超える
第二セッション:グローバリゼーションの再考
第三セッション:文化的価値と富の源泉

参加者は、台湾側から2名、日本側から2名に、台湾側のコーディネーター1名を加えて合計5名であった。僕は、参議院議員の田村耕太郎氏とともに、第二セッションに参加した。

台湾でのセッションは、非常に形式ばったものである。最初に各15分づつ発言をす る。4人が発表すると合計1時間である。その後質疑応答だが、質問者は手を上げるのではなくて、質問表に書き込み、紙を進行係に渡し、質疑応答が行われるのである。その際には、1人2分までで答える必要があった。時間を過ぎるとチャイムが鳴るのである。

第一セッションをやってみたが、この形式は、正直言ってつまらないのである。15分のスピーチをひたすら4人から聞くことの辛さは、想像を絶するものであった。 日本側は、政治家、起業家、官僚、学者など非常に幅が広いので、変化がある。一方、台湾側のパネラーは、全て学者である。しかも、通訳を通して聞くのでかなりしんどい。

そこで、第二セッションでは、急遽コーディネーターを交代して、僕が大役を引き受けることにした。日本でやっているパネルディスカッションのようにガンガンに意見交換できるようにしようと思った。

僕は、「グローバリゼーションの再考」という漠然としたテーマであったので、トピックスを以下の3つに絞り込むことにした。

・ グローバルvsローカル
・ 経済的利益vs精神的価値
・ 個人主義vsコミュニティ主義

つまり、グローバル化や資本主義・個人主義が進展する現代においては、グローバルスタンダードである市場主義の中で、経済的利益を追求する個人が中心となっていくのであろう。昨今の市場を使ったM&Aの事例もある。本当に、それがいいのだろうか。

自らのアイデンティティを認識して、精神的価値を追求し、コミュニティの利益を考える価値観があってもいいのではないだろうか、という投げかけをして、議論を してみることにした。

予想通り、活発な意見が出た。台湾側の課題は、次のとおりであった。

「台湾から中国への投資が増えた。最初は、中国が経済的に豊かになると民主主義が進展しやすくなるのではないかという気持ちがあったが、現時点ではどんどん中国に取り込まれる結果となってきている。現在の中国への投資額は、台湾が一番多くなった。

その結果、台湾の空洞化が進み、台湾経済人が中国人化しているのである。台湾の経済人は、独立よりも中国との経済的統合を望んですらいる。その中で、台湾人というアイデンティティというのが、生まれるのであろうか」。

一方、日本においても、次の課題を抱えていた。

「金さえあれば何でもできる、という風潮が増えてきている。その中で、経済人とい うのは、会社の利益や個人の利益のみを追求するのでよいのであろうか。経済人は、自らのアイデンティティを持ち、公共の利益を考える必要は無いのであろうか」。

1時間30分の間、大いに議論した。僕自身は、十分に楽しむことができた。

第3セッションが終わり次第、ホテルに戻った。今度は、日本側が答礼の夕食会を行う番である。昨日と比べて、打ち解けたのか、最後はテーブルを回りながら、乾杯しあう姿が見受けられた。日本人と台湾人の交流である。お互い気持ちを通じ合うことができた。その夜は、有志が集い、台北市内までタクシーを飛ばし、台湾のナイトライフを楽しんだ。

翌日曜日の朝、フライトを早めて帰国することにした。やはり、子供5人を残して海外に長く滞在するわけにはいかない。淡水から台北国際空港に行き、成田から戻り、 日曜日の夕食に間に合うことができた。

両親が昼過ぎから遊びに来ていたので、家族7人に両親を加えて9人で食卓を囲むことになった。と言っても、赤ちゃんは座れないので、8人での食事会である。

大人4人と子供4人が交互に座る凸凹状態で、すき焼きを思い思いに突っつきあっていた。
旅の疲れも吹っ飛ぶ瞬間であった。

2005年11月13日
自宅にて
堀義人

 

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