10年前の1995年10月16日に、日本のYEO(Young Entrepreneurs Organization)が発足した。そして、去る先週の10月14日の金曜日に、YEOの1 0周年記念パーティが盛大に開催されたのである。
タクシーで待ち合わせ場所の日の出桟橋に向かい、到着したのは集合時間を少し越えた夕方6時40分頃であった。あたりはかなり暗くなっていた。待合室には、他のお客様もいて混雑していたが、セミフォーマルの起業家の一群は、容易に見つけることができた。
YEO10周年記念パーティは、「船上パーティ」という趣である。本年6月に実施した10周年記念イベントは、「運動会」という位置づけで、軽井沢でTシャツ・短パンにスニーカーという出で立ちであったが、(当然水着にも着替えたりしたが)、今回は東京で、ドレスコードはセミフォーマルという正式なパーティである。軽井沢でのイベントとは、かなり雰囲気が違う。
※参照コラム「YEOの10周年記念イベント」
100名近くの起業家が、ブラックタイのタキシード、イブニング・ドレスや濃い色のスーツなどに身をまとい、集っている。壮観である。韓国からも20名近くの起業家が駆けつけてくれていた。YEOでは、日本と韓国は非常に親しい関係にある。僕も先日韓国に訪問してきたばかりである。韓国メンバーの一人一人に謝意を述べながら挨拶をした。
乗船時間を迎えたので、黒服の一団は桟橋を歩きタラップを乗り越えて船に乗り込んだ。階段を降り、一つ下のフロアにあるパーティ用の大広間に入った。そこには、起業家が談笑していて、ピアノの演奏も入っていて、パーティ の雰囲気を盛り上げていた。
今回は、着席パーティである。僕は、YEOの創業者という立場からか、演台に一 番近いテーブルに案内された。暫くして、司会進行役である、ブラスの河合社長とアガスタの代表である松崎みささんが口火を切り、10周年記念パーティが始まった。先ずは、今年度のYEO会長のデジット代表、舩川次朗氏の挨拶である。だんだん気分が高揚してきた。
早速祝辞をということで、日本YEOの創設者である僕が紹介され、壇上に向かっ た。その祝辞の際には、過去の歴代の会長が前にズラッと並ぶという演出が用意されていた。グッドウィル・グループの折口雅博さん、フルキャストの平野岳史さん、パークコーポレーションの井上英明さん、オプトの鉢峰登さん、デジタルハリウッドの藤本真佐さんやゲンダイエージェンーの山本正卓さんなどの錚錚たる面々である。
僕は、壇上に来られた彼らと握手をして、そのまま彼らをバックに従えて、挨拶を始めた。
「10周年おめでとうございます。10年前の10月16日にアメリカンクラブに集った起業家が、アジアで最初のYEOを作りました。その二日後に香港のYEOも立ち上がりました。
僕は、日本YEOを立ち上げた後に、アジア人として初めて世界YEOの理事会メンバーとなりました。そして、YEOの初代アジア代表として、韓国、台湾、東南アジア、豪州、そしてインドのYEOを作ってきました。
つまり、日本が口火を切ってアジアのYEOを引っ張ってきたのです。
これから10年間もおそらく、引き続き日本の起業家がアジアさらには世界を引っ張っていくことになると思います。2007年の春には、日本で世界各国の起業家を集めたイベントを開催することも企画しています。
僕ら起業家も、日本という市場ばかりでなく、世界へと飛び立つことになると思います。
僕が、10年前にYEOを作ったときは、若干33歳でした。その当時は、YEOでは誰も上場していなかったです。希望に燃えた起業家がしのぎを削りながら、 ものすごい勢いで成長しました。そして、光通信の重田康光さんの上場を皮切りに、グッドウィルの折口さんやフルキャストの平野さんなど20名近くの上場起業家を輩出してきました。
僕も多くの刺激を受けました。10年前のグロービスは、売上高も3億円、社員も15人程度でした。子供もゼロでした(笑)。10年経った今、売上高は十数倍、社員数も十数倍、子供も5人も生まれるに至りました(笑)。
その僕が一番大切にしてきたアイデンティティの一つが「起業家」です。僕 は、「起業家の風景」というブログも書いています。
YEOの起業家仲間とは、社長としてだけでなく、友達として、そして家族ぐるみでの付き合いもしてきました。10年間一緒になり、良いときも悪いときも励 ましあいながら、ここまで成長できました。
これからも10年、20年、30年と皆さんと一緒に、起業家として、そして人間として成長できたら幸いだと思います。今日も思いっきり楽しみましょう」。
スピーチが終わり、歴代の会長も席に戻った。折口さんの乾杯の音頭で、宴が始まった。食事の合間には、YEOメンバーによる音楽あり、歴代会長のスピーチあり、祝電の披露があり、ゲームなどがあり、あっという間にパーティが終わりを告げるときとなった最後の挨拶は、フルキャストの平野さんである。「成長」というキーワードでの素晴らしい内容のスピーチであった。そして、下船である。船上パーティ とは言え、誰も一歩も甲板に出て潮風にあたることがなかったほど、会場内は盛り上がっていたのであった。
「船上パーティである必要はなかったじゃないか」という意見があちらこちらから聞こえてきた。
黒服の一団は、なぜか「はとバス」に乗って、六本木の「ディスコ」に向かった。二次会の場所は、なぜだか80‘sの音楽がかかるディスコである。そして、はとバスが六本木の交差点を過ぎて停車し、黒服の一団は、六本木の夜の街になだれ込んでいった。そして、そのまま夜更けまで皆で飲みながら10周年をお祝いしたのである。
YEOのメンバーといると、気を許せるのか、度を越して飲んでしまうことが多い。当然、今のメンバーには、僕よりも10歳以上若い人もいる。それでも、年齢に関係なく交流できるのは嬉しいことだ。とはいっても、ちょっ とハメを外しすぎて、翌日深く反省することになった。
翌日にも、僕は出番があったのだ。10周年パーティの翌日からは、一泊二日の日韓交流イベントが行われたのである。ゴルフに行かなかった人は、グロー ビスに来て、日本のベンチャーの事例を学ぶという企画である。二日酔いの体を奮い立たせ、グロービスのオフィスに向かった。韓国メンバーが10人近く、グロービスを訪問してくれた。
土曜日は、グロービス・マネジメント・スクール(GMS)のクラス開講日なので、教室、ライブラリ、そしてオフィスを案内して、会議室にお通しした。着席後、朦朧とした意識の中で、僕は英語でスピーチを始めた。
思い起こせばこの10年間、アジア各地をYEOのアジア代表として歴訪した。昼間のセッションで学びあい、夜の宴会ではドンちゃん騒ぎをしてきたのであ る。これが、アジア流の交流だ。
僕も二日酔いだが、韓国メンバーも二日酔いであった。でも、僕は真剣に説明し、彼らも真摯な姿勢で学んでいた。スピーチの後にさまざまな質問が投げかけられた。一つ一つに丁寧にお答えして、二時間ほどでセッションを終えた。韓国YEOのメンバーをバス(はとバス)までお送りした。彼らはこれから、木更津で懇親会である。
僕は、その足で自宅に戻った。10年たっても、以前と同じ気持ちで、YEOを楽 しめることに率直に喜びを感じている。さてさて、20周年、30周年と経っても、今と同じ気持ちで楽しめるであろうか。おそらく10年後、20年後も 同じように、お祝いをしていることであろう。
YEO10周年おめでとう。そしてこれからもヨロシク。
2005年10月22日
ボストンのホテルにて思い出しながら執筆
堀義人