ボストン訪問記Ⅲ-人生の成功とは? 

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ハーバード経営大学院同窓会のメインイベントは、木曜日の夜の「セクション・パーティ」である。

HBSでは、「セクション」と呼ばれる、80から90人編成のクラスがある。 HBSでは一年次は全て必修科目になっていて、そのセクションの同じ90人の仲間が、一年間同じ教室の同じ席で、同じ科目を学び続けるのである。だからこそ、セクションの仲間とは、非常に親しくなるのだ。

同窓会での一番の楽しみが、このセクション単位で行われるパーティなのである。今年のセクション・パーティは、「セクション・メイト」の家で開催され た。5周年の時は、レストラン貸切で行われ、10周年の時は、ベンチャーキャピタルのパートナーとなって大成功した家で行われた。そして、今回の15周年は、ベイン・コンサルティングのパートナーとなった仲間の家で行われている。双方の家ともデカイのだ。

その豪邸に妻とともに到着したときには、グラスを片手に既に皆盛り上がっていた。立ち話をしている人々は、同じセクションで一年間過ごした懐かしい仲間ばかりである。それぞれ、奥様・旦那様を同伴していた。皆、15年前の在学中から同伴者と付き合っていたので、それぞれ顔見知りである。僕も妻とはHBS時代から付き合っていたので、彼女は皆のことを知っているし、皆も彼女のことを良く知っていた。

豪邸に入り、人一人一人にしっかりと挨拶をした。男性とは握手をして抱き合い、女性とは両方のほっぺたに一回づつキッスをして挨拶をした。15年の月日が経過したが、皆基本的な性格や雰囲気は変わっていない。ただ、外見は多少は変わっていた。男性は禿げて、お腹が出てきて、皺が増えている人がいて、女性も皺の数が増えている人もいた。

10周年と比較して、クラスメイトの表情が幾分丸くなった気がしていた。今回の特徴は、あまり仕事の話をしなくなってきたことであろうか。皆、それぞれの道を見つけて、それなりに満足しているから、他人が何をしているのかも気にならなくなっているようであった。5周年や10周年の時に垣間見た、競争心が旺盛なMBA生の姿から、明らかに脱皮した感じがしていた。

その一つの象徴が、フォーブスの表紙の切抜きを見せた時の反応である。僕は、近況を説明するために、フォーブスの記事を持っていったのだが、その表紙を見て、以前であれば、多少の嫉妬心を見せるところであろうが、皆が本当に心の底から喜んでくれているのがわかった。仲間に祝福されると、照れくさくなりながらも、嬉しかった。
※参照コラム:フォーブス誌アジア版の表紙を飾る!

仲間の一人、大学院時代から比べて、格段にシェイプアップしている人がいた。彼は、ライコスの創業期からの経営陣で、時価総額数千億円でライコスを売却した後で、引退してしまったのである。そして、何とトライアスロン選手に転向して、今や年齢区分別の世界大会では、2回に1度は優勝する、トップアスリートになっていたのだ。

「目標は何?」と彼に聞くと、「なるべく多くの大会で勝ちたい」と真顔で答えが返ってきた。毎日2-6時間は練習して、食事量もキチンと計算しているらしい。60%炭水化物、30%たんぱく質、10%脂肪分が良いらしい。奥様とも久しぶりに会ったが、メチャクチャ元気そうであった。聞くところによる と、今年のボストンマラソンに参加したのだと言う。二人は、良い練習環境を求めてフロリダに移住することも真剣に考えたが、最後の一歩が踏み出せなかったのだという。「子育てにはやはりボストンが一番だ」、という結論に達し、ボストンに住み続けているのだ。

女子のセクション・メイトの出席率も高かった。女子のセクション・メイトの多くは、仕事を辞めているか、パートタイムで仕事をしている人が多かった。 「仕事よりも家庭を優先したい」、ということらしい。子供が4人いる人はいたけど、5人も子供がいたのは僕らだけであった。アメリカ人にとっても5人兄弟は結構衝撃のようであった。"Five Boys!"と子供の数を言うたびに、ビックリされていた。

このセクション・メイトの輪の中にいると、15年前の光景がフラッシュバックのように思い出される。彼らとは、大学院時代に何度となくホームパーティを繰り返してきたのである。ケースに追い回される日々の合間に、仲間の家でビールやワインを飲みながら、今と同じように立ったまま喋り、騒ぎ、そして踊ったりしたものだ。

15年後に同じセクションメイトと再会し、ビールやワインを片手に談笑している。会場や雰囲気は多少違うが、同じ仲間なのである。お酒が入り、緊張感が解けると、もう気を許しあえる昔のままの仲間に戻れるのが、不思議な感覚である。

暫く気持ちのいい雰囲気に浸りながら談笑していたが、子供達が心配だったので、僕らは早めに退散することにした。翌日のガラ・パーティで再会することを約束して、雨が振る中黄色いタクシーに乗り込み、ホテルに戻った。

翌日の午後には、学年ごとのパネル・ディスカッションが開かれた。3つのテーマの中から選択して、参加する形式になっていた。3つの中で最も多くの参加者を集めたのが、「ボードにおける取締役の責任」、「次代のテクノロ ジーの流れ」というテーマではなくて、「仕事と人生のバランス」と題したものであった。

その討議では、「人生の成功とは何か?」、「自分にとって何が重要なのか?」、「幸せとは何か?」、「何を社会に残したいのか?」ということを問いかけて、同じ学年のMBA卒業生が自分達の考え方を共有する形式になっていた。

米国では、40歳前半でほぼキャリアが見えてくるのであろうか、それぞれの人生を肯定した上で、「これからは、もっとバランスのある人生を歩んでいきたい」、という論調が多かった。

たまたまその日の朝、ホテルのエレベーターで一緒になった50周年記念同窓会に参加している日本人卒業生の方と、朝食をしたときの会話を思い出した。彼の学年では、600人中250人が既に亡くなっているのだという。「同窓生を見ると、40代後半で引退してから財団かNPOで余生を送りたいと思っている人が多かった」、らしい。

彼は、半生を米国に過ごし、米系企業に働き、現在は、シリコンバレーに住んでいる。彼は、近いうちに日本に帰ろうかと思っているのだという。理由を聞くと、「米国は、老人を切り捨てる社会だから、いるのが辛いのだ」ということだ。「米国で、経済的基盤を持たずに引退すると、厳しい現実が待っていると」、と。確かに、シリコンバレーでは、60歳以上の方はあまりみかけない。その前にハッピーリタイアしたいのであろう。

20周年記念の同窓会に参加した卒業生の方に「どうだった?」と印象を聞くと、「もう既に引退している人が多かった」、という答えが返ってきた。セクションメイトは、もう余生を考える時期に移行していたのだろうか。僕 は、40代でハッピーリタイアしたいとは思わない。なぜならば、今している仕事に夢を感じ、この上なく楽しみ、社会に貢献していることに誇りを持っているからだ。

その晩のガラ・パーティで、セクションメイトに再会した。皆の表情はそれぞれ朗らかで、「この同窓会を楽しもう」、という自然体な気持ちで臨んでいるのが感じとれた。

翌朝、僕の家族8人を乗せた飛行機が、ボストンのローガン空港から、飛び立った。5周年、10周年では、「もっと頑張ろう」という刺激を受けたものだが、今回の15周年では、「もっと人生の違う側面を楽しもう」という気持ちを抱くことになった。「2011年に20周年記念同窓会でセクション・メイトと再会するときには、仲間達はどんな表情をしているのであろうか」、とふと考えてみた。

青いカリフォルニアの空が、僕らを迎えてくれた。
ベイエリアで投資家に会った後に、帰国の途に着くことにした。

2006年6月7日
パロアルトのホテルにて
堀義人

名言

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