「日の丸を背負う」ということ〜王ジャパンの世界一の日に思う 

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本日、王ジャパンがWBCで、見事に世界一となった。日の丸を背負った勇者達の戦いぶりに、多くの日本人が感動し、自信と勇気をもらったことだろう。

日本が生んだスーパーヒーローであるイチローが、日の丸を背負ったことによ り、あそこまで無邪気に感情を表現するとは予想していなかった。 韓国戦で負けた後に見せたあの屈辱的な絶望感。米国が敗れ準決勝進出が決ま ったときに見せたあの晴れ晴れしい笑顔。準決勝での韓国リベンジ戦で見せたサムライスピリット。そして、キューバ戦後の歓喜の世界一。多くの日本人が イチロー達とともに、その絶望感と絶頂感を味わったことにより、日本としての一体感が生まれた感じがしていた。その結果が、準決勝の視聴率50%超という驚異的な関心を呼んだのであろう。

19日の韓国戦、そして本日のキューバ戦が終わった後に、僕はついつい祝杯をあげてしまったほどである。すんなり優勝していたらこれほどの感動は無かったであろう。米国戦での誤審、韓国戦の二連敗など、筋書きの無いドラマがあり、一戦一戦が国の威信をかけた真剣勝負だからこそ、多くの人々を酔わせてくれたのだと思う。

実に楽しかったです。ありがとうございます。m(__)m
(これで終わったらコラムにならないので、もう少し書くことにします)。

数ヶ月ほど前、囲碁棋士の梅沢由香里さんに、「今まで一番思い出に残る対局はどれですか?」と質問したときのことを良く覚えている。彼女の答えは、「日本チームとして世界戦で一勝したときのことです。もう一度、日の丸を背負って戦いたいです。」であった。彼女は二年前に、日中韓の三国対抗の女流棋士団体戦の先鋒として登場し、見事勝利して日本チームに貢献したのである。梅沢棋士は、そのときのことが何よりも一番思い出深いと言っていたのだ。

それから僕は、「日の丸を背負って戦う、とはどういうことか?」、そして、「僕には、そういう機会があるのだろうか?」と思案し始めた。

正直言って、「日の丸を背負う」という感覚を味わう経験をしたことは、あまり無い。一方、日本人の期待を一身に集めて、日の丸を背負って戦ってみたいという気持ちは、心のどこかにはある。ただ、残念ながら僕にはスポーツや囲碁で、そのような機会を得ることは、もう無いと思う。だからこそ、その日の丸を背負っている人々に惜しみなく声援を送りたいとも思う。

戦後の日本は、愛国心というのを教えてきていないし、日本への誇りを持つようにも教えてきていない。隣国の韓国・中国と比べても、遠慮しがちに応援しているその姿が、一つの現われであると思う。ただ、照れながらも日の丸を持ち、日本を応援しているその姿に、ついつい愛くるしさを感じてしまうのは、僕だけだろうか。

ちなみに僕は、「愛国心教育」は、必要無いと思っている。愛国心がありすぎると他の国々に対して排他的になってしまうからだ。「愛国心」の代わりに、「コミュニティに奉仕する精神」というのを教育すれば良いと思う。なぜならば、その‘コミュニティ‘というのは、日本である場合もあるし、韓国・中国を含むアジアである場合もあるし、人類全体を指す場合もあるからだ。当然、コミュニティの最小単位は、家族であって、また共同体としての会社という存在もある。

その自らが所属するコミュニティに最大限奉仕するという精神は、ノーブレス‐オブリージュ(noblesse oblige:身分に応じた社会的責任と義務)の精神に通じて、多くの人々に共感を与えるであろう。その結果、生まれてくる一体感からは、軍国主義的排他思想は生まれ得ないであろう。その共感は、ただ単に自分の所属するコミュニティが良いものであるという自負心を構成員に与え、勇気と自信をプレゼントすることになるのであろう。

では、「日の丸を背負う」ということは、スポーツ選手や囲碁棋士にしか与えられない特権的なことなのであろうか。

僕は、そうではないと思う。日々の仕事の中で、一生懸命に生きている人々もコミュニティに奉仕することによって、日の丸を背負って生きているのだという実感を感じても良いと思う。イチローばかりではない。昨年末までNHKで放映されていた「プロジェクトX」という番組では、無名な人々を取り上げてきた。つまり、スポーツなどで日本代表にならなくても、無名の人々も、それぞれにコミュニティの重要な一員として日の丸を背負っているのである。

僕は本日、日本代表が世界一になったという嬉しさを実感するとともに、彼らの勇姿と戦いぶりに勇気と自信を与えられた気がする。明日からは、また日々の業務の中で、小さな日の丸を背負っているんだという気持ちで、僕なりに頑張ってみようと思う。

その気持ちを胸に、ちょっと遅めの床につく事にする。

2006年3月21日
自宅にて
堀義人

名言

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