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YESプロジェクト発足第一日目の風景〜自民党とブロガーとの懇談会にも参加

投稿日:2005/08/26更新日:2019/08/26

YESプロジェクトが発足した日には、僕は東京にいなかった。4人の子供と妻を迎えに軽井沢の山小屋に前日から入っていたからだ。

毎年夏休みになると、僕ら家族は、山小屋に長期滞在する。その間、僕は東京と軽井沢の二重生活になる。夏の終わりに、家族を連れて下山する。その家族の下山の日が本日であった。いつもこの時期になると「夏が終わるのか〜」と感慨深くなる。

プレスリリースを実施した前日(8月24日)の夜は、山小屋で一晩中パソコンに釘付けであった。YESプロジェクトのブログサイトが徐々に立ち上がり始めていた。完成度が高まっていくのが手に取るようにわかった。発起人の名前をしっかりと確認する。文章をチェックする。GREEとのリンクを確認する。GREEのコミュニティーに跳んでみる。実際に、GREEに題目を書き込んでみる。

堀江社長の出馬をどう思いますか?
・上場企業の社長が政治家を兼任することは是か非か。
・落下傘として縁もゆかりも無い地に行くのはどう思うか。

支持するかしないか、皆さんのご意見があれば、お願いします。m(--)m

これで反応を見てみようと思う。さらに、YESProject.comに戻る。
そこで管理用ページにアクセスして、一本記事を寄稿する。

幻と消えた「政治家比較ドットコム」である。

その間一緒にプロジェクトを組んでいる特定営利活動法人ドットジェイピーの理事である佐藤さんと何度か携帯で連絡を取り合う。そして、確実にサイトが完成していった。後は、走りながら改善することとした。僕のブログへのアクセスも確実に増えていた。夜中の3時ごろにベッドに入る。

本朝8時に起床し、あわただしく下山の準備をする。出発前に、朝10時までに届いたメールに全て返信する。その日は、子供達をプールに連れて行く約束をしていたので、10時半ごろ戸締りをして、町営の屋内プールに向かう。自分の練習をしながら、長男(8)と次男(6)にも泳がせる。三男(4)と四男(2)には、つきっきりで水泳の指導を行う。その合間を縫って、僕がマスターズに向けて練習をする。結構あわただしい。

昼食は時間がなかったので、マクドナルドのドライブスルーを利用し、走りながら食べることにした。そのまま上信越自動車道経由で関越自動車道をに入り東京に向かう。外は、台風のためドシャ降りだ。しかも渋滞。16:00に東京の自宅に到着し、10分でスーツに着替えて、16:30から開催されるジャパン・ソサイエティの日米イノベータープログラムの会合に参加するためアークヒルズへ向かう。

日米のイノベータープログラムをキックオフする機会に、ジャパンソサイエティの理事長が訪日されたのである。僕は、ビジネス部門のイノベーターに田坂広志さんとともに選ばれた。何と、ジャパンソサイエティの費用負担で10月に米国で一週間滞在し、米国のイノベーターと交流できるというラッキーなプログラムなのである。

会議の合間にチラッとメールをチェックする。「YESプロジェクトのサイトのアクセスが3時間で1万件を超えた」との報告が入っていた。凄い勢いである。CNETやGOOが取り上げてくれたからだという。

その後「自民党の幹部とメルマガ/ブロガーとの懇談会」に出席するため自民党本部へ。ネットエイジの西川潔社長やはてなの近藤社長も 招待されていたので 、3人横に座り、自民党幹部の入場を待つ。会議室を見渡してみると、総勢30名程度のブロガー&メルマガの管理者がワクワクしながら待っているのが見て取れた。

しばらくして武部幹事長と世耕幹事長補佐が入られた。彼らとともにテレビカメラを持った報道陣がいっせいに入ってきた。冒頭の武部幹事長の挨拶の時だけ報道陣が入り、その後はシャットアウトとなった。安部晋三さんは、台風のために来られなくなったとのことだ。残念。

報道陣が去った後、世耕幹事長補佐から自民党の政策に関して説明があり、質疑応答に入った。僕は、真っ先に手をあげて、発言した。「政治家比較ドットコム」を公職選挙法の関係で断念した経緯を説明して、その法律の改正を要望した(幻と消えた「政治家比較ドットコム」)。

武部幹事長は、質問にはあまりまっすぐ答える方ではない。彼も自分でそう認めている。「質問には答えていないかもしれませんが」と重ねて言うのだが、ご認識のとおり、全く答えてくれていなかった。世耕さんが、フォローしてくれた。「自民党の中では、そういう問題意識を持っている人が多いので、改正に向けて善処します」、と。

質疑応答は1時間ほど行われて、その後自民党の総裁室に通された。壁には、自民党の歴代の総裁の写真が飾られていた。真っ先に、僕は小泉首相が座られる総裁の椅子に座った。自民党の役員会が行われる様子がテレビで良く映される場所だ。僕も見覚えがあった。ブロガーはみな、我先にと総裁の椅子に座って写真をとっていた。そこに偶然、竹中平蔵大臣が登場。久しぶりの再会である。ちょっと痩せられて元気そうだった。自民党の幹部は皆クールビズのいでたちだ。

その後、総裁の執務室にも通されて、自民党本部を後にした。僕は、西川さんと近藤さんらと一緒に食事に向かうことにした。

イタリアンを食べながら、日経新聞のYESプロジェクトの記事に関して意見交換した。日経新聞の夕刊には、写真入りでYESプロジェクトのことがデカデカと出ていたが、堀の名前がでておらず、サイバーエージェントの藤田さんとUSENの宇野さんの名前のみが出ていたのだ。今までの経緯を知っているブログの読者は、「あれっ」て不思議に思ったのではないかと思う。

YESの名前をつけて、構想を描き、ドットジェイピーとGREEにも声をかけて、150人以上に上る発起人を集めて、私財もはたいてやっているのに、堀義人の名前が出ていなかったのだ。ちょっとさびしい気持ちだ。日経新聞には、その事実をそのまま伝えて欲しいだけなのだが、なぜか事実がそのまま伝わらない。僕は、自分を前面に出すことにちょっと遠慮しすぎかなと思って反省した。

西川さんにも言われたのが、「もっと積極的に出たほうがいいよ。わかりやすく、YESプロジェクト発起人代表となれば」、とアドバイスされた。僕は、自分がみんなに声をかけて、そのみんなを出し抜いて自分が発起人代表となるのは、かなり抵抗があった。だが、事実がそのとおりに伝わらない可能性があるならば、キチンと逃げずに「発起人代表とすべきだ」、と思い始めていた。

夜10時前には自宅に着いた。子供達が起きていたので、暫く一緒に遊んだ。寝静まった後に、僕はまたパソコンに向かうこととなった。YESプロジェクトのサイトもYES@GREEも確認した。両方とも盛況であった。(^^)

気がついたら、もう夜中の12時をまわっていた。
久しぶりに東京で子供達と一緒に寝ることとする。

2005年8月25日
三番町の自宅にて
堀義人

 

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