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アジア円卓会議その2--国際舞台でのコミュニケーション

投稿日:2005/05/12更新日:2019/08/21

いよいよ僕が参加するパネルディスカッションが始まった。香港ディズニーランドの代表や米国マンパワーのトップ、インドのインフォシス社の中国法人のトップがパネラーとして壇上に並んでいた。

数年前より海外の会議にパネラーやスピーカーとして積極的に登壇することにしている。最初の頃は本当にひどい出来栄えで、いつも終わるたびに自己嫌悪に陥っていた。しかし、めげずに何度も参加していると、段々と慣れてくるものである。スピーチ等は、自らが失敗しながら体験し、場数を踏むしか上達の方法は無いのであろう。

今回、僕が参加するセッションのテーマは、「人材不足」である。つまり、「アジアの急激な成長に人材が追いついていない。その現状にどう対処すべきか」、という内容であった。 人材育成・人的資源管理は僕の得意とする分野なので、可能な限り積極的に意見を出すように心掛けた。しかも、なるべく皆とは違った視点での意見を出すようにしようと思った。

ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)でのディスカッションでもそうだったが、どんどん意見を出してもらった上で、全く違った視点で意見を投げ入れることが好きなのだ。常識的な発言ばかりだとつまらないので、違った視点を投げかけることができると、議論に幅と深みが出てくるのである。今回のセッションも、質疑応答を含めて約1時間30分程度、このやり方で十分に楽しむことができた。外務省の近藤誠一広報文化交流部長が聴衆として参加していた。夕食まで時間があったので、その間40分程度、近藤氏と談笑した。彼は、ワシントンの米国大使館やパリのOECD (経済協力開発機構)を歴任し、本も何冊か執筆しており、とても文化的素養の高い方である。僕は二冊ほど本を拝読したが、内容の深さや文章力に強い感銘を受けている。国際会議の達人でもある近藤氏によると、 今回の僕のセッションは 何とか及第点をもらえる内容だったらしい。(^^)

夕方にホテルからバスで移動して、‘イスタナ‘と 呼ばれる首相府に赴いた。白い壁に囲まれた要塞のような塀を横目に見ながら門の中に入ると、そこはよく整地された敷地に緑が広がる 公園のようなところであった。その敷地は、ゴルフコースのように綺麗に手入れがされており、しかも広い。 領土の小さなシンガポールの都心のど真ん中によくもこれだけ広大な土地を確保できたものだと関心した。そこが、シンガポールの首相府であった。あとでシンガポールの投資会社であるテマサック社の社長も兼ねるファーストレディ(首相の奥様)に伺ったのだが、この首相府は元々は英国の総督が公邸として使っていたらしい。イスタナとは王宮という意味らしいが、首相はそこには住んでいないので、官邸と呼ばずに首相府とこのコラムでは呼ぶことにした。

首相府の中に入ると、3つの部屋に分かれ、 立食形式で参加者がカクテルやワインを楽しめるようになっていた。 ネットワーキングに最も良い機会である。 フランスの経営大学院である INSEADのシンガポール校の学長とかなり長く話し込んだ。グロービスが一つのモデルとして意識している学校なので、会話を通していくつかの示唆を得られた。韓国の延世(ヨンセイ)大学の元学長とも立ち話をした。

暫くして、シンガポールの首相夫妻が登場された。リー・クワンユー上級相の ご子息でもある、リー・シェンロン首相である。「創業経営者の次に生え抜きの社長を据え、3代目には自らの息子に世襲させた」、と非難された二世の首相である。WEFの主催者である クラウス・シュワブ氏の紹介の後、リー・シェンロン 首相 が登壇された。メモを読み上げながらの耽々としたスピーチであった。一昨年のリー・クワンユー上級相のときのような刺激やインスピレーションは感じられなかった。
※ご参考:東アジア経済サミットに参加して

スピーチ後、リー首相と握手をし、ご招待頂いたお礼を述べた。近くに、モンゴルの首相もいらっしゃったので、ご挨拶をした。モンゴルの首相は、まだ30代である。横綱・朝青龍関の話しをしたら、喜んでおられた。 僕は、「いつかはモンゴルに行ってみたい」、と思っていた事を率直に伝えた。最近、自分でもビックリするほど積極的になってきたな・・と感じている。グロービスの受講生に、「創造と変革の志士として積極的に生きよ」、とメッセージを送っていることもあり、自らが率先垂範すべきだとそう思っているからなのかもしれない。

翌朝10時からは、「アジアの次のビッグ・アイディア」というタイトルのセッションが行われた。パネルの内容は、あまり真新しいことも無かった。そこで、僕は思い切って、平場から手を上げて発言することにした。

「日本でベンチャーキャピタルを運営し海外ファンドとも提携をしているので、世界のテクノロジーの動向が良く見える立場にいます。今まで世界は、「シリコンバレー中心型モデル」であったのが、「多極型成長モデル」に変化していると思われます。米国は、PC、ソフトウェア、通信機器が強く、その分野で強みを発揮してきました。一方、韓国は通信ゲーム、台湾は製造業、イスラエルは要素技術を使ったハイテクベンチャー、北欧は携帯電話が強いです。そして、日本は、第三世代の携帯電話や光ファイバーを使ったブロードバンドなどのインフラが整ってきており、それにのっかるアニメやゲームなどが強く、他には自動車産業の強みを活かした燃料電池、更にはロボット、ナノテクなども面白くなってきています。興味深いのは、それらの分野で日本の次に強いのが韓国や台湾という東アジア諸国と言う点です。つまり、米国と東アジアとの明確な分業体制ができつつあり、PC以外のプラットフォームにおける東アジアの優位性が明らかになってきています」というような 内容である。

僕の持論ではあるが、 さすがに300名近くの参加者の前で平場からマイクを持って発言するのは、舞台から喋るのと違い勇気がいる。しかもトップバッターでの発言だ。話している最中に頭が真っ白になってきたし、途中から足も震え始めた。でも、何とか最後まで喋りつづけられた。壇上にいた米国サイベース社の社長が、「反論はしないが」、と前置きして、米国のバイオテクノロジーと情報技術の融合の現況を説明してくれた。経済同友会の北城格太郎代表幹事は、日本のコンポ-ネントの強みを説明していた。その後、会場からは、日本エマソンの山中信義社長も場から発言されていた。

もともと「失敗してもいいや、積極的に行こう」と決めていたから、僕はサバサバした気持ちでいた。実は、2月のダボス会議の後に、川口順子前外務大臣にランチに招待されたことがあった。川口前外務大臣からは、「どうすれば日本の発信力が高まるのか一緒に考えましょう」とお声をかけてもらっていたのである。その後、若手の経済人を集めた朝食会を川口前外務大臣が主催して、「どうすれば、若手の経済人がダボス会議のような世論を形成する場で発言する機会を確保できるか」を意見交換されたのである。

僕は、その場で、「積極的にパネラーになったり、会場からでもいいから自分が正しいと思うことを発言することが日本の良いイメージをつくっていくのではないでしょうか」と発言していた。そう発言した手前、自らが行動で示さなければ、という気持ちにもなっていたのだと思う。言行一致ということなのであろう。

その次のセッションでは、竹中平蔵大臣が登壇された。国際舞台に竹中大臣が閣僚として出ることになってから、日本への見方が明らかに変わってきた気がしている。郵政改革の真っ只中であるが、大臣は夜行便で駆けつけてきてくれた。頭が下がる思いだ。韓国とシンガポールの経済産業大臣と同じパネルで、竹中大臣が、最初に日本の改革の成果を喋り始めた。いつも 感心するが、流暢な英語と切れ味の鋭いわかりやすいスピーチである。これも訓練の賜物なのであろうか。

WEFの事務局に聞いたのだが、竹中大臣は慶応大学の教授だったころからダボス会議には参加していたらしい。だからこそ、この会議の重要性を認識していたのだと思う。
この会議で世界の政治家に触れる機会があったことが、竹中さんを政治の世界に入る後押しをしたのであろうかと思いながら、そのセッションを聞いていた。

WEFの主催する会議には、いつも触発される。特に、偉大なリーダーと呼ばれる方々に会えることの刺激は大きい。彼らの論旨、言葉の選択、声のトーン、身振り手振りなどのコミュニケーションスタイルはとても参考になる。

伝える力を高めて国際舞台にて発言することにより、日本のプレゼンスが良い方向に高まる一助となれれば幸いだと思う。
漠然とそう思いながら、静かにシンガポールでの円卓会議は閉幕していった。

2005年5月2日
ホテルにて
堀義人

 

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