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パース滞在記 - その1:堀家の教育方針

投稿日:2007/08/22更新日:2019/08/21

我が家では、呪文のように何度も何度も繰り返し子供たちに伝え続けられている、3つの言葉がある。それは、「水泳、囲碁と英語」である。この言葉を何度も何度も、子供たちに言い続けているのである。シンプルな言葉を繰り返し繰り返し伝えることにより、子供たちにそのメッセージを届けているのだ。

この3つの言葉が意味することは、 明快である。『堀家の教育では 、水泳、囲碁、英語の3つを優先的に行い、それ以外は希望に応じ適切な環境を与えてあげます』、ということである。つまり、水泳、囲碁、英語が「必修科目」で、それ以外は「選択科目」ということである。

なぜ3つにフォーカスしているのかというと、子沢山に起因するオペレーション上の問題があるからである。5人も子供がいると、サッカーをやりたい人、剣道に通いたい人、ピアノのレッスンを受けたい人がいたとして、みんながバラバラの稽古事を始めると、そのタイムスケジュールの管理だけでも大変なのに、これに送り迎えが加わると、もうカオス状態になってしまうのだ。

従い、堀家では、5人も子供がいるので、カスタマイズした教育を提供することは到底できないのである。本当はピアノのレッスンや、書道などもやらせたいのだが、時間的に難しいのだ。従い、スタンダードな教育を行い、兄弟全員が一緒にレッスンを受けることになっているのである。

では、次に、なぜ水泳と囲碁と英語なのかを説明しよう。

先ず最初に、なぜ、『水泳』かというと、水泳がスポーツの中で最も効率的に体力がつき、全身を鍛えられるからである。当然、僕が水泳好きだから一緒に行きやすい、という理由もある。現在、週に一回は必ず子供たちと一緒にプールに行っているのである。
※参照コラム:「水泳のマスターズ参戦報告」

2つ目の『囲碁』も比較的わかりやすいであろう。大局観を養いながら論理力を向上させ、集中力を身に付けさせることができて、しかも精神的タフネスも兼ね備えられるからである。
※参照コラム:「囲碁と経営」

僕は水泳と囲碁で、子供たちの心技体を鍛えることができると思っているのだ。

そして、3つ目の「英語」は、国際的にコミュニケーションする手段を習得するために不可欠だと思っている。英語が喋れないと、日本以外の国ではコミュニケーションがとれないのである。世界的視野を身に付けるためにも、英語は必要最低限なものであろう。

「堀家に生まれてきたからには、水泳と囲碁と英語を身に付けることは必須である。その三つによって心技体を鍛え、国際的にコミュニケーションをできるようになって欲しい」、というメッセージも込められているのである。

これらの三つを堀家の「三種の神器」のように大切であるといい続けているのだ。学校の勉強は、その次なのである。

その方針に従い、我が家では、水泳と囲碁には、以前より積極的に取り組んできた。

水泳に関しては、僕が、パパスイミングクラブ(略して「パパスイ」)、と称 して、長男、次男、三男、四男を毎週プールに連れて行っている。当初は、スイミングクラブに通っていたのだが、外資系不動産ファンドがプールごと買収してしまい、そのスイミングクラブが閉鎖されてしまったので、仕方が無く僕が連れて行っているのである。

囲碁に関しては、昨年より本格的に取り掛かり始めた。囲碁を始めて一年間で、長男(10歳)が三段、次男(8歳)が初段、三男(6歳)が三級の腕前に成長した。正直言って、長男は、僕よりも強く、次男は僕と同じ棋力である。(^^;;

現在四男(4歳)が、囲碁を打ち始めている。もう既に母親よりは強い。五男(1歳10ヶ月)も、碁石を持ちながら、‘パチ‘といい音を鳴らしながら碁盤に打ち付けるようになってきた。

囲碁と水泳が軌道に乗り始めたので、いよいよ三つ目の「英語」に取り掛かれる環境になりつつあった。今までは、プロダクション・ピリオド(生産期)ということで、数を増やすことに専念してきたが、5人そろったので、今後は教育の質を高める、デベロップメント・ピリオド(能力向上期)に移行する時期に差し掛かってきていた。

ただ、この英語の修得だけは、一筋縄でいかないのである。囲碁や水泳は、囲碁の塾に通ったり、「パパスイ」で一緒に連れて行くことにより何とか向上できるが、英語だけは、家庭教師や英語塾だけでは不十分だと認識していた。

僕は、英語の学習に関する本を片っ端から読んだ。英語の達人の学習方法から、言語学の本、さらには早期学習の是非に関する本まで多種多彩な本に触れてきた。さらに、日本で教育を受けながらも英語力が高い人々に関心を払い、その方々が「どのようにして育ってきたのか?」などと質問することを何度かしてきた。

書物による学び、さらにはロールモデルとなる方々の体験談から導き出せれる画一的な成功パターンというのは、残念ながら見当たらなかった。帰国子女として成功しているパターン、アメリカンスクールなどに行った場合、さらには高校・大学で留学したパターン、或いは日本にずっと住みながらも英語がペラペラになった人もいた。千差万別であるが、共通して言えるのは、常に英語力をブラッシュアップするために、努力をしている点だけであった。

色々と考えてみたが、英語力習得の最善の方法として最終的に参考になるのは、本人の体験なのであろう。つまり、「結局、僕はどうやって学んだのであろうか?」という自らの体験を通して考えるしか無いのである。「自分にとって良い方法で学んできた」と思うならば、その同じ機会を子供にも提供してあげるのが、一番フェアだと思うし、子供たちに対しても最も説得力があるのではないかという結論に達しつつあった。

ちなみに僕は、今まで3つの期に亘って海外滞在経験をしている。第一期目が小さいころである。3歳のときに米国ニューヨークのロングアイランドに一年間。5歳のときから小学校一年生まで、ミシガン州のアンナーバーで二年間である。ただ、僕は当時の事はほとんど記憶になく、英語もすっかり忘れてしまっていた。高校生まではクラスの中でも英語が多少できる程度の生徒であった。

やはり僕の人生を変えたのは、第二期にあたる高校二年生が終わってからの豪州シドニーへの一年間の滞在であろう。交換留学生としてホームステイをしたこの経験が英語力向上にとっても、人生観を変える意味でも、とても大きかった。最初は、ほとんどしゃべれなかったが、途中から英語で夢を見るまでに成長していた。最後は、日本語を忘れるほど、英語漬けになった体験は、とても貴重であった。

そして、第三期目が27歳の時の、米国ハーバード大学経営大学院 (HBS)への二年間の留学である。この体験を通して、完全にグローバルなビジネス・プロフェッショナルとしての基盤をつくることができたと思う(その経験があったからこそグロービスでも英語でMBA科目を学べる学校を始めたのである)。

僕は自分の人生を振り返ってみて、結構この幼少期、高校時代、そして大学院の3回の海外体験は、英語力向上にとって効率的且つ効果的で良かったのではないかと思っている。

しかもその間、一年も飛ばさずに小学校から大学まで日本の教育を受けているのである。従い、日本人としての教育的機会を犠牲にすることなく、英語力を鍛えられたのである。今までの幸運と両親に感謝せざるを得ない。

ちなみに妻も、幼少の頃、豪州のシドニーに滞在しており、大学院で米国に留学していた。その間小学校から大学まで、僕と同様に全て国公立に通い、高校・大学受験もしていた。

先に述べたとおり、自分達の体験が良かったと思うならば、そのような環境を子供に与えたいと思うのが親心であろう。そこで僕は、僕らと同様に3つの期に亘り海外に触れる機会を子供たちに与えてあげたいと思うようになってきた。

先ずは、教育全般のグランドデザイン(大枠の方針)の作成から始まった。僕は、妻とも相談して、二つの方針を出すことにした。

一つ目の方針が、「日本の教育システム優先主義」、という点だ。

色々と調べ考えた結果、僕らは少なくとも高校までの教育は日本の学校で受けさせるのが一番良いであろう、という結論に達していた。その結果、英語習得の目的で、日本のアメリカン・スクールに通学させることや、現地の学校のボーディング・スクールに通わせることは、選択肢から外れてしまうのである。

僕は、体験的に日本の高校までの教育はかなりレベルが高いと思っているからである。読み書きそろばんの基本や思考能力、更には集団として行動する規律などを鍛えるのは、日本の教育が最も良いと思っているのだ(ただ、大学以降の高等教育は、米国などの方が明らかに優れていると思っている。だからこそグロービス経営大学院を立ち上げて、一石を投じたいと思っているのだ)

二つ目の方針が、「日本人としてアイデンティティ(日本人らしさ)を維持させた上で、英語力や国際性を高めさせよう」、というものである。つまり、日本人としての文化、素養、礼儀を兼ね備えた上で、バイリンガル(二ヶ国語)/バイカルチュラル(二文化)な能力を持ち、TPOに応じて自由に言語・態度を切り替えさせられるようにしたい、と思っていた。

アメリカ被(かぶ)れであったり、日本人らしさを失ってしまうこと無いように、大和魂を叩き込みたいと思う。さらに日本語の美しさを保ちながら、英語力も向上させてあげたいと思う。決して、日本語か英語かわからないような、乱れた言葉を使うことなく、また日本人か西洋人かわからないような振る舞いをすることないように育てられたらと思っている。

これは、言うのは簡単だが、実践するのはかなり難しいと認識している。実際、子供は親の思い通りにならないことは百も承知である。ただ、そういう努力をしたいと思っているし、そういう環境を与えてあげたいと思っているのである。

先日開催された「あすか会議」で、あるお能の大家が 「世界が日本人に期待するのは、英語力ではなくて、日本人らしさである」、 とおっしゃっていたが、まさにその通りだと思う。

海外でトップリーダーの方々とお会いする機会があるが、彼らは違う視点を知りたが っているのである。国際的なバックグランドや英語力はみな当たり前に兼ね備えているものなので、真新しさは無い。そうではなくて、「日本人としてどう思っているのか?」を聞いてくる場合が多く、その視点が貴重なのだ。

(一方では、日本人という枠を乗り越え、世界的に貢献する必要性も出てくる。たとえば、ベンチャーキャピタリストとしての視点、起業家としてのスピリット、学長としての見識など、なるべく多くの強みを持っているに越したことは無いのは、言うまでもないことである)

いずれにせよ、様々な思索を経て、僕らは、自分たちが幼少のころ海外で過ごしたように、子供たちにも同様の体験をさせてあげたい、と強く思うようになってきた。

2007年8月18日
豪州のパースにて執筆
堀義人

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