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水泳のジャパン・マスターズ4回目の挑戦 - その2:初めての栄冠へ!

投稿日:2007/07/25更新日:2019/08/21

辰巳の国際水泳場に到着し、パンフレットに目を通した。僕が出場する200メートル個人メドレー(2個メ)は、4日間の大会の最終種目である。参加者をチェックした。合計で300名近くが参加していた。僕の年齢区分で、僕の登録タイ ムの2分50秒より早い人は、9名もいた。そして同タイム近くで登録してき たのが他に5名である。この15名での争いであることは明白であった。僕のマスターズ記録は、2分53秒台で、過去3回ともその記録を破ったことはない。つまり、僕は、3秒もサバを読んでの登録である。

ベストを出して同記録の人に勝ち、僕より早い人を最低二人抜かなければならないのである。思ったよりもしんどそうだ。上の方のタイムは、とてつもなく早い。2分40秒を切るタイムで登録している5人は、入賞ほぼ確定である。 2分40秒台の真ん中ぐらいが8位入賞の足切りであろうか。

アップを済ませ、早めに召集場に向かった。ipodでモーツアルトのオペラを聴きながら、気分良くスタート時間を待った。時折、会場にいる子供たちに手を振った。子供たちとは、「パパが入賞したらお台場のトイザラスに連れて行ってあげるから、思いっきり声を出して応援してね」、と約束していた。

いよいよ僕の組が回ってきた。「4コース堀君、グロービス・スイミング・クラブ」と選手の紹介があった。子供たちの声が聞こえてきて、僕は右手を子供たちに向けて大きく振った。笛がなった。「大きく、楽しく、後半勝負」と言い聞かせながら、スタート台に上った。

ヨーイの掛け声の後、バンという音ともに、水の中に飛び込んだ。意外に体は軽くて、調子がよかった。バタフライは、首位で折り返していけたのがわかった。バックもゆっくり大きく泳ぎ、首位で折り返し、平泳ぎからピッチを上げていった。クロールでは、最後の力を振り絞って泳ぎきった。

タッチするなり電光掲示板に目をやった。そのレースでは、同一年齢区分で一位、タイムは、2分47秒05であった。ベスト記録を6秒縮めることができたが、入賞するかどうかは、微妙なタイムである。でも、精一杯頑張ったから悔いは無い。疲労困憊でプールサイドから上るのも一苦労であった。そのまま水を拭かずに、アッププールまで行き、体をほぐすためにゆっくりと泳いだ。そしてシャワーを浴びて、着替えを済ませて、子供たちが待つスタンドに戻った。子供たちの計算では、現在4位か5位であるという。ただ、これからは強豪ばかりである。

マスターズは、一発勝負のいわゆるタイムレースである。年齢区分ごとに、決勝を行わないのだ。しかも遅い順に泳ぐことになっていた。従い、先に済ませた選手が、暫定一位であっても、後から速い人が登場するので、抜かれていってしまうのである。僕が泳いだ時には、暫定一位であったが、僕が戻ってきたときには、既に4位か5位であった。残り5人早い人がいたので、9位か10位ということになる。レースが全て終了した時には、「もうダメだ」と意気消沈していた。

それでも、一応結果を見に行こうと、結果が張り出されている場所に向かった。受験後の合格発表を見る感覚である。「どうせ9位だよ」とあまり期待しないで、自分の名前を探した。男子200M個人メドレーの欄を見つけ、自分の年齢区分を探した。「あったー」、と思わず大きな声を出した。僕の名前が8位のところにあったのだ。

一緒にいた次男と三男は大喜びで、他の子供たちに知らせに走っていった。僕は、有頂天になりメダルをもらいにいった。メダルをもらったときは、「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。予想していなかったので、とても嬉しい。しかもマスターズ参戦4年目にして初めてのメダルである。今年はその分頑張ったから、その報いであろう。

メダルを受取り帰ろうとしたときに、「堀」と呼び止められた。久しぶりに苗字を呼び捨てにされたので、誰かと思って見たら、京大水泳部の先輩であった。なんと、彼も参加していて、僕よりもはるか早いタイムで泳いでいたのである (後でパンフレットを見ると彼は昨年、この年齢区分で日本記録を出していたのだ)。

「京大水泳部時代は、同じようなタイムで泳いでいたのに、何でこんなに早く泳げるのだろうか?」、と考え始めた。その瞬間には、喜びは去っており、 逆に複雑な気持ちが湧き上がっていた。「マスターズのはるか上の方のタイムは、日体大とかの体育系の大学を出て、スイミングクラブに就職して、毎日仕事がてら泳いでいる人ばかりだよ」、と思って諦めていたのに、そうではないことがわかった。僕でも頑張れば、上位に上れるかもしれないのである。

一方では、自主トレの限界を悟った。「今のまま自主トレで練習をしても、日本8位入賞程度であろう。上位を狙いうには、スイミングクラブに入ってしっかりとメニューをこなさないと無理だ」、と痛感した。

その日は約束どおり、子供たちをお台場のトイザラスに連れて行き、夕食もお台場で済ませることにした。家族はお祝い気分だが、僕はちょっと複雑な気持ちであった。ビールを飲みながら、来年以降のことを考えていた。

「パパスイとグロービス・スイミング・クラブ程度の自主トレで良し、としよう。どうせスイミングクラブに入っても練習をする時間がとれないのだから。
その範囲内で来年もメダルを取れるように頑張ろう。そして、目標を長い目で捉えよう。例えば、75歳で日本記録を樹立して、80歳で世界記録を出そうとか。

もしも80歳で世界記録を出せたら、北島選手の日本記録よりも価値があるかもしれない。なぜならば、それだけ健康で長生きできて、しかも水泳を楽しめたのだからだ。
長い水泳人生、ゆっくりと楽しみながら歩むことにしよう。そのためにも健康第一だ」、と。

そう結論付けて、ほろ酔い気分で食事を終えた。運転を代わってもらい、後部座席で子供たちに囲まれて、スターウォーズのDVDを観ながら家路に着いた。
世界記録樹立予定日まであと35年。焦らずにゆっくりと水泳を楽しみ、日々を充実させて生きて行こう、と心に誓いながら。

2007年7月17日
マスターズ参戦の翌日に執筆
堀義人

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