親が子供に授ける教育とは 

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冬の休日の朝、山小屋からランド・クルーザーに乗り込み、スキー場に向かう。キャリアには、4本の大人用のスキー板。子供用のソリと8本のスキー板は、トランクに積まれている。これから家族で、スキー場に出かけるのだ。

山小屋から北に15分程で、軽井沢スノーパークに着く。さらに北に40分程度走ると、万座スキー場、嬬恋スノーパーク、草津スキー場に届く。南には、軽井沢プリンススキー場、西には浅間2000やパラダなどのスキー場が拓けている。山小屋は、冬になるとスキーの格好の中継場に様変わりするのである。すぐ近くには、西武グループが運営している、スケートリンクやスノーボードバークがあるので、ウィンター・スポーツは充実している。

今年は暖冬の影響で雪が少ないが、山間部では十分に楽しめるほどの積雪はあった。家族全員が、スキーウェアに身を包み、三男・四男のために「日本の童謡」をBGMにしながら、スキー場に向かう。着いたらすぐに滑れるように、運転手以外は皆スキー靴を履いている。

家族スキーを始めてから今年で3年目となる。2年前に、長男、次男、三男に買ってあげたスキーが、今や次男(7歳)、三男(5歳)、四男(3歳)に 「お下がり」になっていた。我が家は、長男から五男まで、2歳刻みとなっているので、2年後には自動的に「お下がり」になるのである。そして長男には、新品を買ってあげることになる。

「お下がり」と言うと、皆嫌がるので、こう呼びかけることにしている。

「○○ちゃん、出世したね〜。もうお兄ちゃんのが履けるようになったんだね。凄いね〜」、と。こう言うと、二年前にすぐ上のお兄ちゃんが履いていたお古の傷だらけのスキー靴や板であっても、皆嬉しそうに、履いてくれる。

そして今年は、3歳になる四男がスキーデビューする年であった。我が家では、3歳になるとスキーデビューする。それまでは、ソリで雪やスピードに慣れるのである。つまり、五男は、ソリ組みである。その結果、今年の我が家は以下グループに分かれることになった。

①長男、次男グループ:どこでも滑れる。
②三男:緩斜面はOK。
③四男:初心者。
④五男(1歳):ソリ。

ところが、大人は二人しかない。①の長男、次男グループは、二人で勝手に滑ってもらい、母親には主に④のソリ組みとなる。僕は、②三男と③四男の面倒を見ることになる。ちょっとの力量の違いだが、一緒には滑れないので、これが結構大変なのである。そこで、三男、四男を交代でスキースクールに入れたりして工夫をすることになる。

いずれにせよ、僕がスキーを思いっきり楽しむことは殆ど無い。「ま、そういうものだ」、と思い諦めながら、子供達にスキーを伝授する。粘り強く、長男、次男から教え始めて、今は、三男、四男に対してレッスンを行っている。ゆくゆくは、五男にも同じことを行う。我が家ではこのようなことを、繰り返し、繰り返し、いわゆる「ネバーエンディング・ストーリー」のように10年間にわたって行われるのである。

スキー場で、浅間山の豪快な景観を眺めながら、ふと考えたことがあった。

「どこまで親が子供に教育を授けてあげるべきなのだろうか?」

現在、「教育再生会議」で、教育に関して議論されている。僕は、比較的ものごとをシンプルに捉える方なので、以下のとおり、僕なりに結論づいている。 学校教育に期待するのは、主に以下2つのみである。

一つが、「読み・書き・そろばん」を基本とする言語的知性と論理数学的知性。
もう一つが、集団行動における社会性や人間関係能力の獲得である。

それ以外は、生きる力や創造性を含めて、家庭で行うものだと思っている。となると、学校以外の時間が全て家庭における教育の時間となる。僕は、海外や国内出張、夜の会合やスピーチ、そして経営合宿(リトリート)などがあり、不在にする事が多いので、母親の協力が必要になる。

父と母とで、教育に対する考え方が違うといけないので、子供が生まれる前に、二人で議論をして「堀家の教育理念」というのを作成した。この考えに従い、我が家の子供達は教育されていくのである。と言っても、スパルタ的な厳しいものでは無く、楽しみながら自然と身についていくものでなければならない、と思っている。

その教育理念の序文は、以下の通りだ。

「堀家の子供の教育の主眼は、どんな環境であっても生き抜いていける、逞しい「生命力」を養うことを第一とする。その上で高い志をもとに、主体的に自らの人生を切り拓く自立力を養い、心技体(精神力、頭脳、体力)を鍛え続ける不屈の向上心を植え付けることを目的とする。それらを基本理念として掲げ、以下のとおり、教育理念の骨子をを明文化するものとする」。

正直言って久しぶりに読み返したのだが(笑)、生命力と自立心、そして心・技・体を鍛え続け、向上心を植えつけるのが重要と考えているようである。

当然、子供が多いのも、子供同士のぶつかりを通しての生命力を高める教育的側面があるからだと思っている。五男を見ていると本当にそう思う。生まれたときから4人もの兄から刺激を受けるのである。三男は、兄二人と弟二人がいる。家庭にいるだけで受ける刺激も自ずと違ってくる。

いずれにせよ、家庭での教育が大切ということになると、子供と接する時間、それは全て子供の教育のチャンスである、と考えることになる。その場で子供達にかける言葉から始まって、接する態度、そして、時間の使い方を含め、それこそ全てが子供の教育なのである。経験的に思うのは、親が子供と接する時間を多く持てるのは、おそらく小学校高学年までであろう。そこまでが子供の教育のチャンスと考えると、日々が真剣勝負となる。

休みの日となると、テニス、水泳、スキー、サッカーなどを通して、体を鍛えるのである。先日、三男の保育園で、保育参加をして、子供達とサッカーをした時に「親が子供と遊んでいるかいないかは、子供の運動能力を見て歴然とするものである」、と痛感した。運動能力も、小さいころからの繰り返し、繰り返しで身につくものである。親が子供達と全く遊んでいないと、運動能力も向上しないのである。サッカーをすると、その違いが明らかになる。

我が家では、頭を鍛えるために、囲碁を活用している。更に、国際性を高めたいと思い、年に1、2回は海外に連れて行きたいと思う。また、音楽や芸術にも造詣を持って欲しいと思う。でも、そうは言っても、そう仕向けるのは 簡単ではない。子供のやる気もあるし、時間やコストの制約もある。更には、親の根気にも限度があるのである。

そこで、「どこまで必要なのだろうか?」という問いかけになるのである。おそらくこの問いかけ自体にも答えは無いのかもしれない。「できるだけ多く」、というのが正解なのかもしれない。「できるだけ多く」と言っても、時間が限られているので、いくつかの選択をしなければならない。その選択が難しいのだ。

我が家では、小学校は全て公立に通わせ、アメリカン・スクールの類には入れていない。英語力を鍛えるよりも、「日本人としてのアイデンティティ」を育成することが重要だと思っているからだ。創造力を鍛える以前に、基本の「読み」「書き」「そろばん」の方が重要だと思っているからだ。私立に入れていないのも、教育の質よりも、バライエティに富んだ人々と交流することが重要だと思っているからだ。

慌しくスキーを楽しんだ後、山小屋に戻り家族で囲碁大会を行う。僕はもう長男には、互戦(置石無し)で負け始めていた。子供の成長を喜ぶべきなのか、自分が負けていることを悔しがるべきなのかは微妙なところである。

ただ、明らかに子供達が成長しているのを実感することができていた。


2007年3月10日
休日に自宅で執筆
堀義人

京都大学工学部卒、ハーバード大学経営大学院修士課程修了(MBA)。住友商事株式会社を経て、1992年株式会社グロービス設立。1996年グロービス・キャピタル、1999年 エイパックス・グロービス・パートナーズ(現グロービス・キャピタル・パートナーズ)設立。2006年4月、グロービス経営大学院を開学。学長に就任する。若手起業家が集うYEO(Young Entrepreneur's Organization 現EO)日本初代会長、YEOアジア初代代表、世界経済フォーラム(WEF)が選んだNew Asian Leaders日本代表、米国ハーバード大学経営大学院アルムナイ・ボード(卒業生理事)等を歴任。現在、経済同友会幹事等を務める。2008年に日本版ダボス会議である「G1サミット」を創設。2011年3月大震災後に、復興支援プロジェクトKIBOWを立ち上げ、翌年一般財団法人KIBOWを組成し、理事長を務める。2013年6月より公益財団法人日本棋院理事。いばらき大使、水戸大使。著書に、『創造と変革の志士たちへ』(PHP研究所)、『吾人(ごじん)の任務』 (東洋経済新報社)、『人生の座標軸』(講談社)等がある。

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