翌朝、ロンドンに向かうため、朝6時にボストンのホテルを出なければならなかった。
ボストンのローガン空港のに着き、 チェックインカウンターにたどり着いて初めて、ロンドン行きのブリティッシュ・エアウェイズがキャンセルになっていたことを知った。「ま、こんなものさ」と思いながら、アメリカン航空に乗り換えるために、バスに乗ってターミナルを移動した。
空港のセキュリティでは、20-30分も集中的にかばんの中身を調べられ、残量ごくわずかのハンドクリームやリップクリームなどが没収されてしまった。911の同時多発テロでは、ボストン発の便にテロリストが搭乗したので、この空港のセキュリティがタイトなのはわかるが、あまり気持ちがいいものではない。
やっとのことで、アメリカン航空に搭乗できた。大西洋を横断して、数時間後にロンドン空港に到着した。そして、ヒースロー・エクスプレスで、ロンドン市内へ。ホテルに着いたときには、もう既に夜の11時をまわっていた。シャワーを浴びて、寝る用意をする。
ちょうどその時間から、東京は月曜日の朝を迎えているのである。メールがガンガン入ってくるので、それらを処理して、キリのいいところで眠ることにする。
翌朝、夜のうちにたまったメールを処理して、プールで一泳ぎだ。NYとボストンでは、結局泳ぐ時間をとれなかったので、多少体がなまっていた。
正午12時からは、欧州の投資家との、投資家総会である。欧州には現在、ロンドン(英国)、チューリッヒ(スイス)、ミュンヘン(ドイツ)、オスロ(ノルウェー)、レイキャビック(アイスランド)、パリ(フランス)の6都市・6カ国に投資家がいる。
コラムの読者には、僕が会う投資家のイメージが沸かない方もいると思うので、ここで簡単に説明することにしよう。投資家は、大体以下のように分類できる。なお、グロービスのファンドに占める資金拠出の割合も、ご参考まで列挙してみることにした(カッコ内が割合である)。
1)公的年金機関:(5%)
2)民間の年金機関:(25%)
3)生命・損害保険会社や銀行などの民間金融機関:(20%)
4)大学や財団の基金:(5%)
5)政府系の銀行や投資機関:(10%)
6)個人投資家:(10%)
7)ファンズ・オブ・ファンズ:(25%)
これらの投資家に会うために日本の投資家に会いながらも、北米、欧州、アジア、オセアニア・中近東という地理的に分散した地域を駆けずり回りながら、資金を集めてくるのである。その結果、過去10年間でグロービスは、過去に3つのファンドを組成し、現在では、約400億円規模のファンドを運用することができているのである。
1996年設立の1号ファンドは、国内で5件の投資家から資金を預かった。
1999年設立のエイパックスとの合弁である、2号ファンド(エイパックス・グロービス・ジャパン・ファンド)では、初めて海外投資家向けのファンド・レイジング(資金集め)を実施した。
そのときは、太平洋横断7回、ユーラシア大陸横断6回、そして大西洋横断5回という強行スケジュールを貫徹したのである。そのロードショー(資金集めの旅)が終わってから暫くは、時差ボケなのか疲れなのかわからないが、体調が本調子でない状態が続き、半年ぐらいしてやっと回復した記憶がある。
一方、昨年組成した、3号ファンド(グロービス・ファンドIII)の資金集めの際には、米国1回、欧州1回で完了した。訪問する投資家も、既存の投資家と、日本に関心が高い以前からコンタクトがあった投資家のみに絞ったので、出張の回数を減らすことができたのである。また、過去10年間の運用成績が良かったし、毎年投資家を訪問するなど、地道なIR活動をしてきたのが功を奏したのであろう。試験前にバタバタするような「一夜漬け」的な出張をしなくても、大丈夫だったからだ。
ちなみに、過去の投資家の地域的比率は、大体以下である。
米国:50%
欧州:25%
アジア(日本を除く):10%
日本:15%程度
かなりグローバルである。ここに中近東と豪州の投資家が入ると、投資家としては、ぼぼ地球全域をカバーすることになるが、今のところは縁が無いようだ。
ロンドンで昼食時に開催した投資家総会には、ミュンヘンとオスロ、ロンドンからそれぞれ投資家が参加してくれた。わざわざ遠くから来ていただけるのは、大変ありがたいことである。2号ファンドからお付き合いのある投資家と、3号ファンドから新たにお付き合いを始めた新しい投資家とがいた。
NYでの投資家総会と同様に、プレゼンを行った。十分に説明できたかどうかはわからないが、NYの時の倍以上の時間を使って、全ての質問に答えていった。答え切れないものは、メールで回答することにした。
投資家の方々に謝意を表明して、別れを告げた後、僕はベンチャーキャピタルの同僚とともに、パートナーであるエイパックス社に表敬訪問した。一通りの挨拶が終わったのが、15:00過ぎであった。次のアポは、ロンドン・ビジネス・スクール(LBS)におけるスピーチだ。待ち合わせ時間は18:15だった。
その間、どうやって時間を有効に使おうかと考えてみた。ロンドンの紳士服街であるジャーミー通りにあるお店(毎年スーツを新調する店だが)、に行くことも考えたが、円安・ポンド高なのでさすがに買い物をする気にはなれなかった。結局、トラファルガー・スクエアにあるナショナル・ギャラリーに向かい、ゆっくり名画とともに、時間を過ごすことにした。
荷物、傘(小雨であった)、コートなどを全てクロークに預け、身軽な格好になり、2時間以上ものんびりと絵を堪能させてもらった。「マネからピカソまで」が特別展として開催されていた。解説ビデオもゆっくりと鑑賞できた。贅沢なひと時である。
常設展もとても充実している。ナショナル・ギャラリーに来るのは、今回で何回目になるかわからないが、毎回絵の見方が変わっている自分を発見して驚かされる。以前は、キリスト的な宗教画には、まったく興味が無く、もっぱら印象派からキュービズムの時代が好きだったのだが(それこそマネからピカソまでだが)、今回は宗教画にも深く感じ入ることができた。
ナショナル・ギャラリーで、今回もっとも深く感じ入ったのは、ターナーであった。ターナーの絵には深みがあり、僕の心を引き留めて離さなかった。こうやって時間を過ごしていたら、スピーチの時間が近づいてきた。クロークで荷物をピックアップして、会場に向かった。
LBSの教室には、50人近くの学生と社会人が集まっていた。今まで常に英語でスピーチをしていたが、今回はなぜだか日本語のスピーチになっていた。本当は、英語でスピーチをしたかったが、「ま、これはこれでいいかもしれない」、とポジティブに思い、シカゴ、ニューヨーク、ボストン同様、参加者に今回の期待や質問を聞いた後に、一つ一つ丁寧に答えていった。
その後、食事会に向かった。スタンディング形式のパーティで、ビールやワインを片手に楽しい一時を過ごすことができた。いい人材がグロービスにジョインしてくれそうな気配もしていた。その後、ロンドン在の友人とともに、軽く出かけることにした。
ホテルに戻ったのは、真夜中を過ぎていた。これで、世界一周出張の全てのスケジュールを終了することができた。自分の総括としてもまあまあだったのではないかと思う。今回は、なるべく会合の数を減らして、必要最低限に絞り込み、その代わりに質を高めるように意識するようにした。
翌日のロンドンは、久しぶりに晴れていた。空港に向かうタクシーの中で、東京の自宅に電話した。妻と軽く話したあと、長男、次男、三男、四男と順番に話をした。一人でも抜かすと、電話越しでへそを曲げられてしまうのである。さすがに五男はまだ一歳なので、電話口には出てこれない。今回の出張では、なるべく毎日自宅に電話することにしていた。妻によると、電話一本でもすることにより、子供達の精神状態が良くなるのだという。
次の海外出張は、4月まで予定されていない。当面は、国内でしっかりと基盤作りに励みたいと思う。
成田への帰国便では、オーロラを見るために左側の窓際の席を確保した。何度か窓の外に目をやったが、薄緑の光の塊を拝見できず、ただただ暗闇の世界が続いていた。
2007年1月26日
成田に向かう機内にて
堀義人